溺愛の価値、初恋の値段


わたしが、「味」がしないことに初めて気がついたのは、お母さんが亡くなってしばらく経ってからのこと。


雅と一緒に、羽柴先生にあげるバレンタインデーのチョコレートケーキを作っていた時だった。

ブラックチョコレートを使ったものの砂糖を入れ忘れ、苦い仕上がりになってしまったと雅は嘆いていたのに、わたしは「苦い」と感じなかったのだ。

何を食べても味がせず、美味しいと思えずにいたことに、気がついた。

その時は、まだ、お母さんが亡くなってから数か月しか経っておらず、きっと気分が落ち込んでいるせいだと思った。

でも、春が過ぎ、夏が過ぎても、口に入れたものの「味」がしない。
どんなものを食べても、砂やゴム、紙を食べているような食感だけしかなく、美味しくない。


食欲は落ち、体重はみるみる減っていった。


やがて頻繁に貧血を起こすようになり、雅によって、強制的に羽柴先生のところへ連れて行かれた。

羽柴先生は外科のお医者さんなので、味覚については専門外。いろいろ調べて、別の病院で働いていた、友人である心療内科の先生のところへ連れて行ってくれた。


診断の結果は、心因性の味覚障害。


これまで溜め込んでいたいろんなストレスが、お母さんの死が引き金となって、現れたのだろうと言われた。

単なる亜鉛不足ではないため、原因となっているストレスを解消しないと治すことは難しいとも。

薬を呑んでみたけれど、良くなったり、悪くなったりを繰り返し、完治しないのなら上手く付き合っていくしかないと諦めた。

味がわからないため、塩分糖分を取り過ぎないように気をつけなくてはならない。自炊するのが一番いいのだけれど、さぼりがちだ。


わたしの主食は、もう何年もの間、冷蔵庫にストックされているゼリー飲料だった。

< 66 / 175 >

この作品をシェア

pagetop