彼女は突然、僕の前に現れた。
 「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
 「うん、じゃあまた月曜日に」
 「はい、おやすみなさい」
 伊織に見送られて敦は来た道を戻っていく。
 「本当、どこまでも優しい方ですね」
 伊織も自分の家に向かって歩き出した。
 「ただいま」
 敦が家に入ると部屋は真っ暗だった。
 「ユリ?…寝たのかな」
 部屋の電気をつけるとテーブルの上に一枚の手紙が置いてあった。
 拙い文字で『お世話になりました ユリ』と書かれていた。
 「え…」
 敦は家の中を隅々まで探したがユリはいなかった。
 「ユリ…っ」
 敦は急いで家を飛び出した。
 その頃ユリは家から少し離れた大通りを彷徨っていた。
 「…いつの間にか好きになってたのかな」
 最初はクモに食べられそうになったところを助けてもらって恩を返すために傍にいた。
 「敦さん」
 敦と一緒に過ごしているうちにもっと一緒にいたいと思うようになった。
 「虫と人では違い過ぎるのに…」
 敦のことを考えているときは幸せを感じたり胸が苦しくなったり…。
 「敦さんは人だ。あの人と幸せになった方が一番いいの」
 見かけてしまった、幸せそうに楽しそうに話している敦の姿を。
 泣きたいわけではないのに涙が出てくる。
 ユリは呆然と街を歩いていた。
 「ユリ、どこだ…」
 敦は息を切らしながらユリを探す。
 街に出ると車道を挟んで向こう側にユリの姿を見つけた。
 「ユリ!」
 「…!」
 ユリは敦の呼びかけに気づいたのか敦を見た。
 「待ってユリ!」
 敦はユリに向かって走り出す。
 敦が横断歩道を渡ろうとしたその時、車が曲がって来た。
 「え…っ」
 ドンッと大きな音が聞こえた。
 「人が轢かれたぞ!」
 「大丈夫か!?」
 痛みを感じなかった敦はゆっくりと目を開ける。
 「つ…ユリ!」
 車にぶつかったのは敦、ではなくユリの方だった。
 「ユリ、ユリ…!」
 敦はユリの甘えを何度も呼ぶ。
 ユリは息も絶え絶えに言う。
 「敦さんが、無事で良かった…。ねえ敦さん私の願い…聞いてくれますか?」
 敦は涙を流しながら何度も頷く。
 ユリは笑って言った。
 「幸せになってください。私は、貴方といれてとても幸せでした…だから」
 貴方も幸せになって―。
 ユリの姿はその場で光って青い蝶の、本来の姿に戻った。

 「敦さん?」
< 8 / 9 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop