有難うを君に
「ねえねえ窪田君、写真撮らせてくれない?」

そう僕に言ってきたのは友達のお姉さんだった。何度か家に遊びに行った時に面識はあったが、真面に会話した記憶はない。

「え?嫌ですけど」

「え?何で?」

断られると思っていなかったのか、お姉さんは意味がわからないとゆう顔をして聞き返してきた。

「魂が取られるから嫌です」

「いやいや、いつの時代の人間なのよ!てゆうかお願い!友達に頼まれたの!」

「お断りします」

勿論本気で魂が取られると思っていたわけではない。ただの照れ隠しだ。

「ねぇ待って!」

歩き出そうとして呼び止められ振り向いた拍子に『カシャ』と、シャッター音が聞こえた。

「・・それ、盗撮ですよ」

「ま、減るもんじゃないしいいじゃん」

悪びれた様子もなくお姉さんは『ありがと!』と、残して行ってしまった。

そんな事があった数日後だった。学校からいつも通りだらだらと歩いて帰っている途中、僕の名前を呼ぶ声に足を止めた。

「窪田君・・」

声の方に目を向けると、同じ中学の制服を着た女の子が立って居た。何処かで見たような既視感はあったが、名前はわからない。少なくても言葉を交わした事は無いはずだ。

「ええと・・」

「あ、急でごめんなさい!私は3年の松崎沙織って言います。この間、その、由紀子に窪田君の写真頼んだの私なんです」

沙織は申し訳なさそうな顔をしてそう言って少し視線を下げた。

「ああ・・別に大丈夫ですよ。もう気にしてないですし」

目立つ様な美人では無い。不細工とゆうわけではないが、特に際立った物があるわけではないその顔は、端的に言って華がない。強いて言うのなら、同世代の女の子にしては少しだけ高そうな身長だか、それも160センチに届くかどうかと言ったところ。

「うん、ありがとう。でも、ごめんね」

「本当にもう気にしてないので先輩も気にしないでいいですよ。あまり謝られても困りますから」

「うん・・」

「じゃあ僕はこれで」

「あっ、ま、待って!」

前に向き直った僕を沙織の声が再び呼び止める。

「なんですか?」

「あ、あのね、もし良かったら、嫌じゃなかったら、その、私と付き合ってくれないかな?」

中学生の恋愛なんてそんな物なんだと思う。勿論自分が大人になったからそう思えるだけで、当時はそんな事を思っていたわけじゃないけど。

好きも嫌いも無い。俺は沙織の事をこれっぽっちも知らなかったんだから。

だから俺と沙織の関係はそんな始まり方だった。





沙織が受験生だったのもあって、頻繁に何処かに出掛けるとゆう事はなかった。精々登下校を一緒にしたり、昼休みに内容もない会話をしたり。

たまに、休みの日にアテもなく街を彷徨いたり。

俺達には

何処かに旅行に行った。

テーマパークで観覧車に乗った。

綺麗な夜景に2人で肩を並べて感動した。

別れ際に沙織の家の前でこっそりキスをした。

そんな思い出は無い。

あるのはたったひとつだけ。

年が明けて、学校が始まるまでの僅かな時間の事だった。



「もう新年だね」

「だね。もう沙織と付き合って3か月近くなるのか」

受験生勉強の息抜きと、合格祈願も兼ねて沙織と初詣に来ていた。

人でごった返した境内を2人で手を繋いで歩いて行く。

「ねえ、司君も同じ高校来る?」

本殿からの行列の最後尾に並んだ時、不意に沙織がそんな事を聞いてきた。

「うん、行くよ。だからちゃんと合格してよ」

沙織の志望校は特に難関とゆうわけでもなく、僕たちの通う中学の大半はそこに進学する。だから、確認する迄のもない事だったがきっと僕も沙織もそんなやり取りが楽しかったんだと思う。

当たり前の様にある日常は、当たり前にそこに有るから。

有るとゆう認識すら無かった。

初詣から数日して1月10日。

始業式が終わって、いつもの様に学校から沙織と一緒に帰りいつも通りの十字路で『また明日』と言って別れた。





「その時はまだ、携帯も殆ど普及して無くてさ、ポケベルかPHSって電波の弱い携帯みたいなのしかなった。じゅりの歳だと知らないかもしれないけど」

「・・・」

「だから、鳴ったのは家の電話だった。1月10日がもう直ぐ終わるぐらいの時間で、相手は友達の姉貴で沙織の友達。沙織が死んだって」

「・・事故やったん?」

俺はゆっくりと首を横に振る。

「自殺だったんだよ」

遠い昔の話。

もう涙も出ない。

それでも、後悔だけは少しも薄まらない。

「俺と『また明日』って別れてそのままだったみたいで、俺は沙織が『また明日』って言わなかったのも気付いて無かった」

じゅりは何も言わずただ俺を見ていた。同情するでもなく、慰めるでも無く、ただジッと見ていた。

「沙織の友達、俺の友達の姉貴だけど、『何で気付かなかったんだ』って言われたよ。返す言葉もなかったけど、正直頭が追いついてなくてさ、何を言われてるのかもよくわかってなかったよ」

俺が一息ついてからタバコに火をつけると、いつもは一緒に吸うじゅりは灰皿だけ俺の側に置いてくれた。

「俺宛ての遺書があって、そこにはただひたすら『ごめん』って書いてあったよ。謝るのは俺だったのにね」

「何で自殺したん?」

「それ聞く?」

冗談っぽく返した俺をじゅりは真顔のまま見ていた。

「・・・初詣に行った日の帰りに襲われたって書いてあったよ。弱くてごめんって、言えなかったって書いてあった。まあ、犯人はわりと直ぐ捕まったんだけど、初めて人を殺したいと思ったよ。それと同じぐらい死にたいとも思った」

灰皿に押し付けたタバコはまだ半分以上残っていたが、構わずに火を消して俺は何でも無い様に続ける。

「と、まあそんな事があって死ぬ事も出来ずに逃げる様にこっちに越してきたんだけど、毎年命日にはその友達の姉貴に連絡してたんだよ。行ける時は墓参りに行ってたし、15年1度も欠かした事無かったんだ。それを・・」

気付いた時、誰よりもその事に俺自身が驚いた。

言い訳ならいくらでも出来る。

仕事が忙しくて

だけど、自分には言い訳は効かない。

「忘れてたんだ。昨日、命日だったのに、俺は沙織の事を忘れてたんだ」

言葉にしてみればたったそれだけの事なのに、その内容は俺の中の深い場所に重い何かを置いて行った。

「・・・私は、司ちゃうし、司の気持ちをわかってあげられへん、人に偉そうに言える人間でもない、せやから私には何も言われへんけど、話し聞くぐらいならいくらでも出来るから」

「ありがと、ごめんな」

「何を謝る事あるんよ」

「いや、楽しい話じゃないしな」

きっとこんな話を聞かされても困るだろう。ここは懺悔室でもなければ、じゅりはカウンセラーでもないんだから。

こんな話しをしたいならば、確実に来る場所を間違えている。

「楽しい話ししかしたらあかんの?」

じゅりはなんでもない様な顔で、心底わからないとゆう顔で言った。

やられたーーーーー

「・・・っとに、天然で言うから困るわ」

「?」

「何でもない。ありがとな、ほんとに」

俺が沙織の命日を忘れてしまった事実が無くなるわけじゃない。

慰められたわけでもない。

それでも店に来る前と出た時の俺の気持ちは明らかに違った。




車に乗ってエンジンをかけてから、ナツに『今から行くわ』と、メールを入れて駐車場なら車を出した。

少したってからポケットの中でメールを受信したのがバイブでわかった。

部屋に着いた俺を迎えてくれたナツは既に寝る直前だったのか、目をトロンとさせて『おかえり〜』とやっぱりトロンとした声で言った。

「悪い、寝てたか?」

「ううん、寝る寸前だった」

眠そうな顔をしたナツに流石に罪悪感を覚え、帰ろうかとも考えたがそれも逆に悪い気がして靴を脱ぐ事にした。

「ご飯まだでしょ?なんか適当に作るから先シャワー浴びちゃって〜」

キッチンに向かいながら言うナツに『ほんと悪いな』とだけ返してから、バスルームに行って服を脱ぎシャワーを浴びる。

高めの温度は冷えた身体に少し熱く感じたが、すぐに心地良く感じられるようになった。

思い出すのは

『楽しい話ししかしたらあかんの?』

と、不思議に言うじゅりの顔。

心の底から疑問に思っているその顔。

気遣いじゃない、素の言葉は俺の心に無遠慮に土足で踏み込んできて、胸の奥に頓挫していた暗くて重たい何かをさらって行った。

それが不快ではなくて、思わず笑みが溢れた。

シャワーから上がり食欲をそそる匂いに誘われてキッチンに向かう。

サバの塩焼きに大根おろし、豆腐とワカメの味噌汁とご飯がテーブルに置かれていた。

「美味そう!ありがとなナツ」

「?なんか機嫌いいね。どうしたの?」

洗い物の手を止めてナツが振り返った。

「ちょっとな」

曖昧に返事をしてから『いただきます』と手を合わせた。

サバの焼き加減も、味噌汁の濃さもちょうど良く美味しく食べてから、ナツと2人でベッドに入った。

「ねえねえ、何があったの?じゅりちゃんに会って来たんでしょ?」

「ん〜・・まあ」

「いいじゃん、気になって眠れないし!」

ナツは俺の肩に手を置いて身体を揺さぶって来る。

「・・俺、じゅりに惚れたかも」

「え?」

「じゅりと居ると落ち着く、すげー居心地良くてさ」

「・・冗談だよね?」

ナツの声のトーンが下がった気がして、顔を向けると目が合った。その瞳は俺の知らないナツで、思わず息を呑む。

「かも、だけど、冗談ではない・・」

「だってそうゆうお店じゃん、向こうは仕事だよ」

「わかってる」

「ほんとの名前も知らないし、性格も知らない。今度の誕生日だってほんとかわかんないじゃん、そんなの好きって言えないでしょ」

「わかってる」

「別に付き合いたいとか思ってるわけじゃない、ただ惚れたってだけだよ、何も望んでない」

「ふ〜ん・・・つまんないの」

「つまらない?」

「結局司もその辺の男と変わらないって事だね、帰って、それともう来ないで」

「それもそうだな、わかった。今までありがとな」

俺の言葉にナツは何も返して来なかった。

灯りの付いていない自分の部屋に着くと、やけに時計の秒針の音が大きく聴こえた気がした。



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