にじいろの向こう側




「なあ、智樹。俺に咲月ちゃんを任せたのって、意図的だったの?」


俺の不意の質問に、智樹は「んー」と首を少し傾げながら頭をかく。そして、やはり穏やかに笑みを返し、それからコーヒーを一口飲んだ。


「…咲月ちゃんにも『谷村瑞稀』と知り合う権利も、選ぶ権利もあったわけだしね。」


瑞稀の目線が、その姿を真っすぐ追いかけてる。


「…バカですね、あなたは。律儀にじいさんの手紙なんて間に受けて、俺ん所によこしてさ…。
手放さなきゃ多分咲月はあなたの手元にずっと居ましたよ。そしたら咲月の気持ちだって変化したかもしれないのに。」


そんな瑞稀に「そうかもね」と智樹君は苦笑い。


「でもさ、キツイよ?結構。手え出せない好きな子と二人で暮らすって。」

「……。」

「あなたなら分かるでしょ?」

「わかりません。」

「やっぱりひねくれ者だな。あ、でも心変わりしたら手えだしゃ良かったのか。」

「残念ですが、後の祭りです。あなたが蒔いた種が見事に花を咲かせたって事で。ありがとうございます。」

「えー…性格も悪ぃな…」


…何だろう、本当にさっきから時々、智樹が若干楽しそうなんだよね。
何となく、瑞稀もわざとそれに乗っかってる感があってさ…初対面だけど、波長が合うってやつか?
そうなってくんと、俺的にはやり取りに入れなくて寂しいんですけど、少しだけ。


なんて横しまな事考え出したら、隣で瑞稀がフウッて溜息を零してまた顔つきを引き締めた。


「…咲月はあなたを大事に想っていますよ。ずっと、今でも。
だけど、申し訳ないけれど、どんな話を聞いたって、俺は彼女を自ら手放したりはしない。」


立ち上がり、姿勢を今一度ただすと、智樹に向かって丁寧に、そして深く頭を下げる。


「…売って下さい。鳥屋尾咲月が本来返すべきだった借金の証書と、“返済する権利”を。」

「結論は変わらないってことか。じいさんの手紙だけ持ってとんずらするかと思ったのに。」

「…最初っから俺の気持ちが変化するなんて思ってなかったでしょ、あなたは。
思っていたら、絶対じいさんの手紙なんて見せなかったはずだから。」


それに「ま、俺は咲月ちゃんが幸せんなりゃなんでもいいけどね」と嬉しそうに微笑んで静かに証書をテーブルに置く智樹。


「条件があるんだけど、いいか?」と立ち上がると布のかかっていたキャンバスを瑞稀に差し出した。



「…これも一緒に貰ってくんねーかな。」


そこに描かれていたのは、後ろから陽の光に照らされて、おさえがちな笑顔で微笑む咲月ちゃん。



その暖かな優しいタッチと色使いに、溢れ出ている愛情は一目瞭然で、隣から見ている俺でさえ…気持ちがギュッと苦しくなった。


咲月ちゃんの事、本当に大切なんだな、智樹は。
男女のどうのって事じゃなくてさ…その存在自体が。


「…ここの屋敷は売り払おっかなって思う。
咲月ちゃんはもう、俺と居るより幸せな場所をちゃんとみつけたかんね。いつまでも過去を振り返ってちゃいけないと思うよ。」


絵を見続けてる瑞稀に優しい眼差しを向ける智樹。


「…俺も同じ。
もう、ちゃんと未来に向かって歩かねーと。まあ…あれだ。気持ち的に咲月ちゃんの“兄貴”になれたらまた会いにくんからさ。」


「そん時は会わして?」って笑顔で小首を傾げた。


「圭介…ありがとう。」


俺に向けられた眼差しに込み上げて来るものを抑えて「いや…」って短く返したら


「やっぱえーな、圭介は!」


なんてふにゃりと笑う。


ズルいよな、相変わらず。
その笑顔見せられたらさ、俺は全部許しちゃうって昔から分かってんでしょ?智樹。


「それとさ、出来たらこの一部始終は咲月ちゃんには黙っててやって欲しいかも。
あなたの言う通り、きっと、咲月ちゃんは自分を責めるからさ…。
まあ、いつかは知らなきゃいけない事なのかもしれないけど…。」


まあ、物事にはタイミングってもんがあんだろうし。
確かに咲月ちゃんに今、この状況で知らせるっつーのは、智樹に会える状態で話すならまだしも、会えないって状況だと結構キツいよな、多分。


だけど…智樹の気持ちの整理を優先にしてあげたい、今は。


「…わかった。約束する。咲月に話すのはあなたも同席出来る時にするよ。」


隣で瑞稀がそう発してくれた。


良かった…瑞稀も同じ気持ちでいてくれて。


思わず心の中で吐いた安堵の溜息。


…けれど。
俺ら3人のこの時の判断は後から考えりゃ合ってたのか分からない。


まあ…その後に起こる『不測の事態』なんて瑞稀でさえ予想してなかっただろうから。
仕方のないことだったのかもしれないけれど。




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