にじいろの向こう側





キッチンの掃除をしてから、部屋に戻るとシャワーを浴びて、目覚まし時計をセットした。


明日は智樹さんにやっと会える休日だ。


お天気になりますように…


目を閉じたら


『ありがとう。暖かい。』


浮かぶ、瑞稀様の笑顔


「……。」



何度目を閉じ直しても瑞稀様のキレイな笑顔がずっと瞼の上から離れない。溜息様に布団を頭から被ってギュッと目を閉じた。


『あのさ・・・』


途端に今度はあの伺う様に瞳を揺らした表情が浮かぶ。


…瑞稀様。


あんなに朝早くからお散歩していらっしゃって…もしかして眠れなかったのかな。


ちゃんと、お元気なのかな…お仕事、頑張って来られたらいいけれど。



考え出したら中々寝付けなかった夜を過ごして。薄眠りの中で迎えた朝。

カーテンを開けたら、真っ青な冬の空が目に飛び込んで来て、眩しい位の日差しが、何となく寝不足気味の目に少しだけ染みて思わず「ん~!」と大きく伸びをした。


良かった、快晴だね。


急いで洋服に着替えると、玄関掃除をしている坂本さんに挨拶をして、約三ヶ月ぶりに門の外へと踏み出す。


ここのお屋敷に来てから少しでも早く慣れたいと思って、お休みを頂いた日も、屋敷内で潤さんのお花の植え付けのお手伝いをさせてもらったり、坂本さんのお手伝いをしたりってしていたから…。


「ん~!本当にイイ天気!」


踏み出したその外の空気に何となく新鮮さを感じて、また伸びをした。


今日は日曜日。

…智樹さんは絶対に居る、あそこに。



都会の喧騒を抜けて、少しバスを乗り継いで行った先の大きな川のほとり。近くにかかる大きな橋の全体をその視野に捉えられる、密かな絶景ポイント。昔からずっと、智樹さんはここで絵を描いている。


…ほら、やっぱり居た。


バス停を降りて、見えた丸まった背中に思わず頰が緩んだ。


「…こんにちは。」


相変わらず柔らかい空気を纏いつつも、振り向いた顔が驚きに満ちている。


「お久しぶりです。」
「咲月ちゃん…。」


少し、痩せたかな…また。


胡座をかいているその横に、顔を覗き込む様にしながら腰を下ろした。


「…だめじゃん、会いに来たら。」


静かに私をたしなめる智樹さんの少しブラウンがかった短めの髪がフワッと風に揺れる。
少しタレ目の優しい目元は、相変わらずで、それでも困惑しているのは見て取れた。

フウと溜息をついてスケッチブックを閉じる智樹さん。


「約束でしょ?俺に会ったらダメって。」

「どうしてですか…?納得出来ません、そんなの。」

「咲月ちゃんはもう、新しい屋敷でメイドとして働いてるんだからさ。俺はご主人じゃ無いんだよ?」


それは…そうかもしれないけれど。








物心ついた時にはもう前のお屋敷に住み込みしてた私。


『ほら、咲月ちゃんの絵、でーきた!』

いつも隣には智樹さんの笑顔があった。


父親も居なかったし、家族もお母さんだけだったけれど。智樹さんもその父親である、ご主人様も本当に優しかったから。『お父さんが居なくて寂しい』なんて思った事、一度も無かった。
だから、凄く感謝していたし、『智樹さんとはずっと一緒』ってどこかでそれが当たり前だと思っていた。

けれど…前のお屋敷を解雇される事になって、数日後に圭介さんが会いに来てくれて。返事をしたすぐ後だったって思う。


お屋敷に戻ったら

「咲月ちゃん?
咲月ちゃんはもう、この屋敷の事も、俺の事も忘れて、新しいとこで頑張らないと。俺にはもう金輪際会っちゃダメ。」

智樹さんが突然そんな事を言い出して。


あの日は凄いショックで、沢山泣いたっけ。


『大好きな智樹兄に突き放された』


そんな感情で。


だって。確かに、ご主人様とメイドって関係ではなくなったけれど…


「私にとって、智樹さんが大切な人だって事は変わりませんから。」


横から吹いて来る風に攫われた髪を指でどかしたら、首周りに少し肌寒さを感じたら


「…そんな事言ったら、今の主人に大目玉だろ。」


途端にふわりと被せられる上着。智樹さんは、そのまま、私の方へと身体ごと向き直す。


「もう大分慣れた?新しい屋敷。」


覗き込む様に私を見る表情に懐かしさと嬉しさを感じて少しだけ目頭が熱くなる。


「皆さん、優しい方ばかりなので…。」
「そっか…。」


変わらず微笑む智樹さんの表情が、少しだけ嬉しそうに思えた。


「智樹さん…?」


小首を傾げた私に少しだけ眉を下げる智樹さん。


「や?慣れたんだったら良かったなって思ってさ。主人…今住んでいるのは息子だっけ?も結構イケメンだっていうじゃん、谷村家は。」

「はあ…イケメン。」

「違うの?」

「イケメン…ではあると思いますけど…。」

「けど?」


思い出す、あの口角をキュッとあげた意味ありげな笑い方。柔らかく優しいけれど、少し幼さを纏って、イタズラな表情になる。そう言う時、決まって何か困惑する様な事を言い出すんだよね…瑞稀様。

『罰ゲームね』とか言って。


「…何と言うか、一筋縄では行かないと言うか…どうしたら良いのか分からなくなる時が多々合って。」


今度は、寂しげに瞳を揺らし、私の顔色を伺う様な表情の瑞稀様が脳裏を過ぎる。


時々見せるあの表情に、不安を抱き胸が苦しくなる。
しかも…時が経つにつれて見る時が増えている気がする。


瑞稀様って本当はどう言うお方なのだろうか、少なくとも最初に抱いた、“冷めている”と言う印象はあまりなくなった今、気になって仕方がない。


目の前でふわりふわりと風に吹かれてるススキ達。
そこに何となく瑞稀様の色々な表情が浮かんでは消えてった。



「頭の回転が凄く早い方みたいなので、私がついて行けていないだけなんだと思いますけど…。」


そこで言葉を少し切って考え込んだ私に智樹さんがふわりと笑う。
頭をポンポンと撫でられた。


「…気になるの?そいつの事。」


そ、『そいつ』?!


カッと反射的に身体が熱くなった。


「やっ?!あ、あの、ご、ご主人様なので…その…気になるだけですよ?め、メイドとしてご主人様をきちんと理解していないと、お屋敷で寛いでいただくことは出来ませんから!」

「…ふうん。」


真顔でジッと覗き込む表情に更に熱を上げる。
頭の上に置かれた智樹さんの掌が少しだけ重みを増した気がした。


…そう言えば。
疑問に思っていた事があるんだった。


「…あの。」

「ん?」

「ご主人様って…その…メイドの頭を撫でるものなんですか?」

「…されんの?そいつに。」

「はあ…まあ。ヨシヨシと言うか、ポンポン位なもんですが…。」

「そう…なんだ。」


熱さを纏ってる頬に冷たい風が掠めたと思ったら、頭の上に感じた重みがフッと消える。


私に背中を向ける様にスケッチブックを再び開く智樹さん。


「あの…」


話を続けようと思ったら


「咲月ちゃん、あんまり長居すると身体が冷えちゃうから。そろそろ帰った方がいいよ?」


それを柔らかい笑顔で遮られた。







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