にじいろの向こう側





話が平行線になって、溜息様に口を閉ざした俺の腕に小夜が手をかけた。


「瑞稀?とにかく、一度お部屋へ戻って落ち着きましょう?おじさま、きっと瑞稀もいきなりの事に戸惑っているだけですわ。」


…まあ、そうだな。今父さんと話しても埒が明かないのは明白。

小夜と一度話をして、それから…一刻も早く咲月と会わないと。


リビングを出て、そんな事考えながら自室に戻る途中。階段を登る直前で、洗濯物を沢山抱えた咲月が廊下を歩いているのが見えた。


「咲月…!」


咄嗟に駆け寄ろうとした俺を小夜が引き留める。


「瑞稀?部屋に戻ろう?鳥屋尾さんのお仕事邪魔したら可哀想だよ?」
「や、だから…さ…。」


絡められた腕をそのままにまた咲月を見たらぶつかる視線。


真顔の咲月の瞳が一瞬揺れた…けれど。

その顔に少しだけ笑みが生まれた。


「お帰りなさいませ、瑞稀様。」


丁寧におじぎをして近づいて来ると、小夜に目を向ける。


「小夜子様、ワンピースに付いていたストールをお忘れでした。」


ポケットから丁寧にたたんだストールを取り出した。



「本当!瑞稀に会えるって急いでたから、忘れてたね。ありがとう~。やっぱり一緒に選んでもらって良かった!」

「っ!咲月に…服を選ばせた?」

「そうよ?瑞稀に会うのにどれがいいか、相談したの。」



『小夜ちゃんは全部知った上で、鳥屋尾さんも辞めさせないであげてくれって言ってくれたんだぞ。』



「ね、鳥屋尾さん?」って無邪気に笑う小夜にゾクリと背中が鳴った。



「…咲月、ご苦労様。小夜、部屋に入るよ。」

「え?うん。鳥屋尾さん、また後でね?」


少しの時間でも対峙させたくなくて、ニコニコしている小夜を引っ張って部屋ん中に押し込む。


「もー!瑞稀は相変わらず強引なんだから」

「…ふざけんな。」


自分でも驚く程低く冷たい声が口から飛び出して来た。


「…何、企んでんだ。」


一瞬だけ流れた沈黙。

けれど、目の前の小夜は柔らかく微笑む。


「…別に何も?私は瑞稀が好きなだけだよ」

「だからさ、それがおかしいだろ。小夜が好きなのはマコで、俺とは結婚したくないって言ったよな、あの時。」

「…さっきも言ったけど、状況的にそう言っただけだよ?
あの時は、真人さんが後継ぎになったらなって話をおじさまがされてたから。
お父様やお母様の役に立ちたかっただけ。
私は…ずっと瑞稀、一筋だよ?だから、あの時だって辛かった。
瑞稀が後継ぎなら…って何度も思ったんだよ?
だから、今回凄く嬉しかった。おじさんが声をかけてくれた時は。瑞稀が後継ぎなんだって…。これで、私は、心置きなく、大好きな瑞稀と居られるんだって!」


抱きつく小夜の俺を見上げる眼差しは昔のそれとなんら変わらない。


眉間にしわ寄せている俺の頬を小夜の掌が包み込んだ。


「瑞稀…大丈夫。昔の気持ちをすぐに思い出させてあげるから。
あんな子、側に居たから勘違いしただけだよ?ね?」


昔散々求めた唇がゆっくりと近づいて来る。



…“歪んでる”


小夜の思考をそう捉えてしまえばそうなんだろうけれど。

…仕方ないって思えばその通りで。

大きな会社の会長の子孫である俺達はどうあってもそう言う『体裁』から逃れられない環境に、生まれた時から身を置いているんだから。


だから、小夜が今回ここに来ようと思ったことにどうこう言うつもりは毛頭ない。


…だけど、咲月を傷つけるのは話が別だ。
しかも…知らんぷりして、わざと呼び出し、敢えて俺に会うための服を選ばせるとか。

咲月が傷つくに決まってる。


俺は、絶対、そんなこと許さない。



唇が触れる寸前、無意識に俺の口から冷たい笑いが起きた。


「瑞稀…?」


首を傾げた小夜の肩を乱暴に押したら、そのままその身体をベッドへと押し倒す。


「み、瑞稀…気が早いよ…。」


頬を紅潮させる小夜にまた冷ややかに笑いかけた。


「…わかんない?」

「え…?」

「俺が求めてんのは、小夜じゃないって。」


小夜の大きめの目が更に見開いて大きくなった。


「全部事情知ってんだったら、ハッキリ言わせて貰う。
俺は、咲月しか求めない。絶対に。」


俺の言葉と表情に絶句したままの小夜を残して起き上がると乱れた服を直して、机へと向かってパソコンを立ち上げざまに、圭介にメッセージを打ち始める。
小夜は、そんな俺を予想していなかったのか、明らかに動揺して慌てて衣服と整えると起き上がる。


「み、瑞稀…だからあの子の事は、一時の気の迷いで…」

「へーじゃあ、約束破ったのも、気の迷い?」


ベッドの向こうの入り口から、鼻にかかる明るめの声が聞こえて来て、スマホを置く手が固まった。


まっ…マコ?!


「瑞稀!久しぶり!」


その主が、真っすぐ俺に突進して来る。


「お前っ、待て、ストップ!!だーっ苦しっ!」


俺の停止の言葉なんて、この人の耳に入るわけがない。あっという間に長い腕に抱擁された。


「も~!瑞稀は相変わらずカッコいい!何?何?『咲月しか求めない』って!」


き、聞いて…!!


カアッて一気に顔が熱くなる。ギュウギュウ俺を締めつけるマコの後から息を切らした、鬼の形相の涼太が入ってくる。


「おい!真人!勝手に行くなよ!」

「真人さ~ん…勘弁してよ…。ダッシュ力半端ない…。」


…項垂れてる圭介も。


「…どう言う事?」

「瑞稀!だから言ったでしょ?またすぐ戻って来るって!」

「うん…お帰り。とりあえず、マコは黙ろうか。涼太、圭介説明よろしく。」

「ひでっ!ハブだ、ハブ!」


ひゃひゃって笑ったマコは、俺から離れると、マコを見て固まって立ち尽くし何故か青ざめている小夜の前へと進み出た。


「…言ったよね、俺。瑞稀を苦しめないでよって。」

「っ…そ、それは。」

「約束反古にしたんだから、小夜ちゃんの条件ももう無しだよ?わかってるよね。」

「ち、ちがうんです、真人さん…!」


…初めて見たかも、マコのこんな恐い顔。



笑っているのに、全く笑っていない。


下手したら、殺気すら感じる。


言葉で表現したらそういう感じになるのだろうけれど、対峙した相手はその不気味さに、足がすくむ。

まさに…今の小夜みたいに。


世界を回ってたその期間に身につけたのか、それとも元々そう言う所があったのかはわかんないけれど、“絶対敵にしちゃいけない人”って頭ん中で警鐘が鳴ったのは確か。


「…小夜、とりあえずもう部屋戻んな。俺、本当に仕事あるから」


圭介に目配せをすると圭介が丁寧な所作で小夜の側へと行き、退席を促す。


「小夜子様、行きましょう。奥様が買って来られた紅茶をまだ召し上がってませんでしたね。」


それに少し安堵を覚えたのか、強張った表情が少し不服な顔に変わる小夜。
『瑞稀またね?』と笑顔を見せてから、俯き気味で歩き出した。


「あ、小夜ちゃん、咲月ちゃんにも同じ事言えるからね?咲月ちゃんが悲しむのは瑞稀が辛いのに直結すんだから!覚えといてよ~!」


ヒラヒラ手を降るマコの言葉に、小夜の肩が少しだけピクリと揺れた気がした。


…後で肩が揺れた意味を考えれば、小夜を追い詰めてしまい過ぎたのかもしれない。
けれど、俺も…マコも、圭介も涼太も。
皆、この事態をどう乗り切るかで頭がいっぱいだったから。

皆…“動く時が来た”とそっちに気をとられていたから。

小夜への配慮が欠けていたのかもしれない。




「…で?マコ、どう言う事?」


小夜の背中を見送ってドアの閉まる音を聞いた後、溜息まじりにマコを見たら、今度は満面の笑み。


「瑞稀!!」

「ダメ。くっつかないで下さい。」


両手広げて尻尾ふって再び近づこうとしたマコのあごを軽く抑えた。


「ぎゅー!」

「力づくでくっつくな!お前、わざとだろ!」

「…兄弟でイチャつくなよ。」

「あっ!涼太がヤキモチ妬いてる。そうだよね~だって、俺に『帰って来て』ってラブレターを…「書いてねえ!」


…書いたんだ、涼太。


思わず眉を下げてマコの肩越しに涼太を見たら


「まあ…“そろそろ”かなってね。だから居ないより居た方が良いだろ?」


ばつが悪そうに苦笑い。


…ありがと、涼太。
本当によく見くれてる、俺の事も…谷村家の動きも。

しかも、圭介とはまた違った角度から。


「ほら、離れろ」


涼太が無理矢理マコを引き剥がすと、マコは「引き剥がされた!」と口を尖らせながらも楽しそう。


「…元々旅に出ようって思ったのも、小夜ちゃんの事があったんだよね、俺。」


側にあったソファに腰をかけ、胡座をかきながらそう口を開いた。


「小夜がマコの事好きだって言い出したから?」

「そう、それ!それなんだけど、違うの!」


…そうだった、この人、話の要約がかなり下手なんだよ。
大丈夫かな…。




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