にじいろの向こう側
.
古いアパートの角部屋
「あ~…やっと二人きりになれた。」
上がってもらって、お茶の仕度をしていたら、後ろから包まれた。
「瑞稀様…。」
「…もう、『様』じゃないよ?咲月もメイドじゃないし。」
その腕の中でくるりと向きを変えさせられる。
「ま、『俺の』ですけどね。」
コツンて付けられたおでこの温度が現実だって教えてくれて目頭がまた熱くなった。
思わず、嬉しくて、目を細め微笑む。
「ほら…その顔。
咲月のさ、その…控え目な笑顔?
それのおかげで俺は無一文だよ?あり得ないでしょ。社長辞めて家出とかさ。」
不服を訴える口ぶりとは裏腹に、瑞稀様の表情はまるで静かな小川のせせらぎの様に穏やかで、柔らかい。
「俺がこんな事になった責任、ちゃんと取ってよ?」
その言葉を最後に重なった唇。
窓の外からは夜風と一緒に波の音が入り込んで来て、角度を変えて交わされる口づけが深くなればなる程心地良さを増して行った。
.
『最後まで貫き通せよ』
そう言われて抱かれた1年前
瑞稀様に抱かれてるっていう事実に、もうお別れなんだという事実に、悲しくて、寂しくて、沢山涙を流した。
だけど、1年後の今日は
「咲月…好きだよ。」
囁くその声も、少し歪ませるその表情も、汗ばんでいく熱い身体も
全部
嬉しくて、幸せで、沢山涙が溢れて来た。
『鳥屋尾?へー珍しい苗字だね』
谷村家に足を踏み入れたあの日、こんな結末を予想していなかったけれど、こうなる事は、出会いは巡り巡って決まっていた運命なのかもしれない。
だって、あの時から
『ちゃんと表情変わるじゃない』
瑞稀様は私を
『この人は…どうしてこんなに顔色を伺う様に見るんだろう…。』
私は瑞稀様をきちんと見ていたから。
.
.
…どの位身体を重ねてたか覚えていない。
ただ、幸せの中で瑞稀様を感じ続けて…意識を手放した昨日。
高く登っている陽の光と波の音で目を覚ました。
…そっか、あのまま眠ってしまったんだ。
「っ!仕事!」
手元にあったスマホを確認したら昼近く。
う、嘘…。
事業所からの着信の後に入ってた、所長からのメッセージ。
『今日は代打が働いてくれてるから、ゆっくり休め~』
だ、代打…???
「あ~…あのマコが働いてんじゃない?確か、マコ、以前バイトのためにヘルパーの資格取ったって言ってた。まあ、マコだからあなたの代わりを全てってわけにはいかないだろうけど。」
不意に背中からギュウッて包まれた。
「…おはよう。」
「お、おはようございます…。」
背中に当たる素肌が瑞稀様の存在を感じさせる。
「…何か、ここの部屋、スイート並みの景色だね。」
耳元でくふふって笑う瑞稀様の顎が肩に乗っかった。
「目の前…海が見えますもんね。」
「うん、今日は、特別サービスで虹までかかってるしね。」
風がカーテンを巻き上げて見えた窓の外には、朝、少し雨が降ったのか、湿り気を帯びた空気と水平線に大きくかかる7色に光る虹。
「こんなくっきりした虹見たの、子供の時以来かも。」
…そう言えば、伊東さんが言っていたな。
『あのにじの向こうって何があるの?』と瑞稀様に聞かれたって。
「瑞稀様…。」
「……。」
「…瑞稀さん。」
「はい、何でしょう。」
「……。」
「何?早く言いなよ」と笑うと息が少し頬にかかってくすぐったい。
「昔、伊東さんに『あのにじの向こう側にはなにがあるの?』と聞いたのを覚えてらっしゃいますか?」
少し息を吐きながら私をシーツごと抱き締め直す瑞稀様
「それ…“一歩踏み出して行った人にしか分かんない”ってやつかな。」
「え?」
「伊東に言われた事あるんだよ。『本気で見たいなら、一歩踏み出して、ご自分でご覧になってください』って。」
『一歩踏み出して』…
不意に答えを教えてくれず笑ってた伊東さんを思い出す。
「…まあさ、虹のこっち側に来たら、虹は遮光角度で消えたり、違う様にみえたりって事が発生するんだろうけどね。そうですよと教えるのは、大人の伊東からしたら簡単だったんだろうけど。
俺は自分が嫌いで、それを親のせいにしていたから。
それを伊東は分かってた。
だから、多分『人のせいにしていないで、まずは変われよ、お前が』って言いたかったんだろうね。」
…もしかして、物事もそれぞれの人の事も一番よく見て、考えていたのは伊東さんだったのかもしれない。
全てを見守り、そして、『ここぞ』と言う時にそれぞれに手を差し伸べて来た。
全ては…『谷村家』が家族として“自ら”成長して行けるように。
そして、同時に、名家としての誇りを保てる様に。
「凄い…人ですね」
「うん。谷村家をずっと支えてくれてる敏腕だから。…ま、圭介もだけど。」
「そうですね。」
「どっちかっつーと、圭介は俺寄りだからね。そう言う意味では伊東のが執事として優秀だったのかもね」
「だけど、圭介さんも涼太さんも、波田さんも、坂本さんも、谷村家に居た方々は皆さん本当に素敵な方々だって思います。」
「そう?だけど俺を一番変えたのはあなたでしょ?」
不意に項に唇が触れて、思わず前に仰け反ったら、腕で引寄せられる。
「…この2年、本当に辛かった、咲月が居なくて。」
項に唇が触れる感触。
「言っとくけど、二度はないよ?
もう『別れる』って言われてもムリだから。」
「…はい。」
…これからきっとお互いにしなければ行けない事、学ばなければならない事は沢山あるけれど、どんな時も、瑞稀様の隣に居させて下さい。
そして…『お帰りなさい』とずっと言わせて下さいね。
「あ、あの…。」
「ん?」
「新しく興す会社はその…私服ですか?」
「…咲月、そんなにネクタイ結びたいの?」
互いに握り合った掌
そこに力が籠って、また唇同士が触れ合って、互いの吐息が波音に重なった。
~あのにじの向こう側に fin.~
古いアパートの角部屋
「あ~…やっと二人きりになれた。」
上がってもらって、お茶の仕度をしていたら、後ろから包まれた。
「瑞稀様…。」
「…もう、『様』じゃないよ?咲月もメイドじゃないし。」
その腕の中でくるりと向きを変えさせられる。
「ま、『俺の』ですけどね。」
コツンて付けられたおでこの温度が現実だって教えてくれて目頭がまた熱くなった。
思わず、嬉しくて、目を細め微笑む。
「ほら…その顔。
咲月のさ、その…控え目な笑顔?
それのおかげで俺は無一文だよ?あり得ないでしょ。社長辞めて家出とかさ。」
不服を訴える口ぶりとは裏腹に、瑞稀様の表情はまるで静かな小川のせせらぎの様に穏やかで、柔らかい。
「俺がこんな事になった責任、ちゃんと取ってよ?」
その言葉を最後に重なった唇。
窓の外からは夜風と一緒に波の音が入り込んで来て、角度を変えて交わされる口づけが深くなればなる程心地良さを増して行った。
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『最後まで貫き通せよ』
そう言われて抱かれた1年前
瑞稀様に抱かれてるっていう事実に、もうお別れなんだという事実に、悲しくて、寂しくて、沢山涙を流した。
だけど、1年後の今日は
「咲月…好きだよ。」
囁くその声も、少し歪ませるその表情も、汗ばんでいく熱い身体も
全部
嬉しくて、幸せで、沢山涙が溢れて来た。
『鳥屋尾?へー珍しい苗字だね』
谷村家に足を踏み入れたあの日、こんな結末を予想していなかったけれど、こうなる事は、出会いは巡り巡って決まっていた運命なのかもしれない。
だって、あの時から
『ちゃんと表情変わるじゃない』
瑞稀様は私を
『この人は…どうしてこんなに顔色を伺う様に見るんだろう…。』
私は瑞稀様をきちんと見ていたから。
.
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…どの位身体を重ねてたか覚えていない。
ただ、幸せの中で瑞稀様を感じ続けて…意識を手放した昨日。
高く登っている陽の光と波の音で目を覚ました。
…そっか、あのまま眠ってしまったんだ。
「っ!仕事!」
手元にあったスマホを確認したら昼近く。
う、嘘…。
事業所からの着信の後に入ってた、所長からのメッセージ。
『今日は代打が働いてくれてるから、ゆっくり休め~』
だ、代打…???
「あ~…あのマコが働いてんじゃない?確か、マコ、以前バイトのためにヘルパーの資格取ったって言ってた。まあ、マコだからあなたの代わりを全てってわけにはいかないだろうけど。」
不意に背中からギュウッて包まれた。
「…おはよう。」
「お、おはようございます…。」
背中に当たる素肌が瑞稀様の存在を感じさせる。
「…何か、ここの部屋、スイート並みの景色だね。」
耳元でくふふって笑う瑞稀様の顎が肩に乗っかった。
「目の前…海が見えますもんね。」
「うん、今日は、特別サービスで虹までかかってるしね。」
風がカーテンを巻き上げて見えた窓の外には、朝、少し雨が降ったのか、湿り気を帯びた空気と水平線に大きくかかる7色に光る虹。
「こんなくっきりした虹見たの、子供の時以来かも。」
…そう言えば、伊東さんが言っていたな。
『あのにじの向こうって何があるの?』と瑞稀様に聞かれたって。
「瑞稀様…。」
「……。」
「…瑞稀さん。」
「はい、何でしょう。」
「……。」
「何?早く言いなよ」と笑うと息が少し頬にかかってくすぐったい。
「昔、伊東さんに『あのにじの向こう側にはなにがあるの?』と聞いたのを覚えてらっしゃいますか?」
少し息を吐きながら私をシーツごと抱き締め直す瑞稀様
「それ…“一歩踏み出して行った人にしか分かんない”ってやつかな。」
「え?」
「伊東に言われた事あるんだよ。『本気で見たいなら、一歩踏み出して、ご自分でご覧になってください』って。」
『一歩踏み出して』…
不意に答えを教えてくれず笑ってた伊東さんを思い出す。
「…まあさ、虹のこっち側に来たら、虹は遮光角度で消えたり、違う様にみえたりって事が発生するんだろうけどね。そうですよと教えるのは、大人の伊東からしたら簡単だったんだろうけど。
俺は自分が嫌いで、それを親のせいにしていたから。
それを伊東は分かってた。
だから、多分『人のせいにしていないで、まずは変われよ、お前が』って言いたかったんだろうね。」
…もしかして、物事もそれぞれの人の事も一番よく見て、考えていたのは伊東さんだったのかもしれない。
全てを見守り、そして、『ここぞ』と言う時にそれぞれに手を差し伸べて来た。
全ては…『谷村家』が家族として“自ら”成長して行けるように。
そして、同時に、名家としての誇りを保てる様に。
「凄い…人ですね」
「うん。谷村家をずっと支えてくれてる敏腕だから。…ま、圭介もだけど。」
「そうですね。」
「どっちかっつーと、圭介は俺寄りだからね。そう言う意味では伊東のが執事として優秀だったのかもね」
「だけど、圭介さんも涼太さんも、波田さんも、坂本さんも、谷村家に居た方々は皆さん本当に素敵な方々だって思います。」
「そう?だけど俺を一番変えたのはあなたでしょ?」
不意に項に唇が触れて、思わず前に仰け反ったら、腕で引寄せられる。
「…この2年、本当に辛かった、咲月が居なくて。」
項に唇が触れる感触。
「言っとくけど、二度はないよ?
もう『別れる』って言われてもムリだから。」
「…はい。」
…これからきっとお互いにしなければ行けない事、学ばなければならない事は沢山あるけれど、どんな時も、瑞稀様の隣に居させて下さい。
そして…『お帰りなさい』とずっと言わせて下さいね。
「あ、あの…。」
「ん?」
「新しく興す会社はその…私服ですか?」
「…咲月、そんなにネクタイ結びたいの?」
互いに握り合った掌
そこに力が籠って、また唇同士が触れ合って、互いの吐息が波音に重なった。
~あのにじの向こう側に fin.~