にじいろの向こう側
◇
コーヒーをお出しすべく、瑞稀様の部屋に入って行ったらソファにもたれ掛かったまま本をアイマスク代わりにして休んでいる瑞稀様。そっと近くまで行ってコーヒーをカップに注ぐ。
「…ねえ、その花、気に入ったの?」
いきなり投げかけられた言葉に面食らったけど。多分、これ、鳥屋尾さんと間違えてんな。
思わず頬が緩んだ。
この人は、今、滅多に“人”ってもんに興味を持たない。
いつもどこか冷めた寂しい顔をしてて、仕事以外、全てにあまり興味が無い様なそんな感じだから。
それでも涼太や俺の前では多少、楽しそうに笑ってくれたりはするんだけどね…。
ソファのサイドテーブルにコーヒーを置いたら
「つかさ、とりあえず無言はもうやめにしない?」
瑞稀様が、本をどかしざまに俺の手首をさっと掴んだ。
「…あっ」
驚いて息を詰まらせるその瑞稀様の表情に笑いを堪えても口の端が上がってしまう。
気まずいのか、手首を掴む掌に力がぐっと入って、その顔が赤みを帯びた。
「…趣味悪過ぎ。」
口を少し尖らせてバツが悪そうにコーヒーを啜る様子にまた頬が緩む。
「大変失礼いたしました。どなたかと間違えていらっしゃるみたいでしたので…つい。」
そんな俺に眉を下げると目を細めて溜息付き、またソファに深くもたれかかる瑞稀様。
「鳥屋尾、涼太に花をプレゼントされたみたいですね。」
「…そうみたいだね。つかさ、あの人、少しぼーっとしてるみたいだけど大丈夫なわけ?」
「今日一日の仕事ぶりを見ていましたが、大変優秀かと。」
「そうなんだ。じゃあ、この部屋だけではボケボケなわけだ。」
「……。」
「…何?」
「いえ。」
「薮。」
「はい。」
「…別に。」
不服そうにぷいっと横向くその表情に何となく嬉しい想いが込み上げる。
久しぶりだな…『瑞稀』のこんな良い表情。
.
俺と涼太、瑞稀様は大学の同期だった。
あの時は…今よりは冷めていなかった気がするけれど、それでも時折見せる寂しそうな表情に涼太と俺は心配していた。
谷村家の次男に生まれて、親からの愛情も受けて成績優秀、容姿端麗。順風満帆な誰もがうらやむ苦労の無い人生。
瑞稀にそんな目線を周囲は向けていたけれど、側にいた涼太と俺は全く違う印象だった。
自由奔放な長男に頭を抱えていた両親を安心させるべく、『何でもサラリとこなす、谷村瑞稀』を演じる為の血のにじむ様な努力をずっとずっと怠らなかった。
「どうしても長男に継がせたい」
そう思っていた両親の期待の矛先は兄が家を出て放浪の旅をし始めたときから瑞稀に全て向いた。
それでも、『兄』を引きずる両親は彼に社長の座を譲る時「とりあえず」と言ったらしい。
「まあ、俺としても、そんな地位、欲しいわけじゃないしね。
全ては『あの人』が帰ってくるまでの繋ぎって事でいいんじゃない?」
そう言って笑う瑞稀の寂しく揺れた瞳が今でもずっと頭の傍らに残っている。
確かに、瑞稀自身も、『兄貴』を誰よりも深く慕ってて、両親の気持ちもちゃんと理解は出来ているとは思う。
俺も涼太も彼の事は大学時代に出会ってからの付き合いではあるけれど、実際に会ってその『兄貴』の魅力を少しは分かってるつもりだし。
『家族の間の事だから、外野が首を突っ込むのはおかしい』
それもわかっていたんだけどさ…。
若かったのかもしれない、俺も、涼太も。
…親に「とりあえず」なんて言われて、全て瑞稀一人が背負い込むのかよ。
そんな風に捉えてしまった俺達は、どうしても瑞稀を放っておけなかった。
だから、それから3年後、俺は執事として、涼太は庭師として、違う立場で瑞稀の側に居る事を選んだ。
まあ…実際には。
瑞稀と『兄貴』の互いの想いが俺らの想像を凌駕していたと気が付くのはずっと後の事なんだけどな。
.
コーヒーをお出しすべく、瑞稀様の部屋に入って行ったらソファにもたれ掛かったまま本をアイマスク代わりにして休んでいる瑞稀様。そっと近くまで行ってコーヒーをカップに注ぐ。
「…ねえ、その花、気に入ったの?」
いきなり投げかけられた言葉に面食らったけど。多分、これ、鳥屋尾さんと間違えてんな。
思わず頬が緩んだ。
この人は、今、滅多に“人”ってもんに興味を持たない。
いつもどこか冷めた寂しい顔をしてて、仕事以外、全てにあまり興味が無い様なそんな感じだから。
それでも涼太や俺の前では多少、楽しそうに笑ってくれたりはするんだけどね…。
ソファのサイドテーブルにコーヒーを置いたら
「つかさ、とりあえず無言はもうやめにしない?」
瑞稀様が、本をどかしざまに俺の手首をさっと掴んだ。
「…あっ」
驚いて息を詰まらせるその瑞稀様の表情に笑いを堪えても口の端が上がってしまう。
気まずいのか、手首を掴む掌に力がぐっと入って、その顔が赤みを帯びた。
「…趣味悪過ぎ。」
口を少し尖らせてバツが悪そうにコーヒーを啜る様子にまた頬が緩む。
「大変失礼いたしました。どなたかと間違えていらっしゃるみたいでしたので…つい。」
そんな俺に眉を下げると目を細めて溜息付き、またソファに深くもたれかかる瑞稀様。
「鳥屋尾、涼太に花をプレゼントされたみたいですね。」
「…そうみたいだね。つかさ、あの人、少しぼーっとしてるみたいだけど大丈夫なわけ?」
「今日一日の仕事ぶりを見ていましたが、大変優秀かと。」
「そうなんだ。じゃあ、この部屋だけではボケボケなわけだ。」
「……。」
「…何?」
「いえ。」
「薮。」
「はい。」
「…別に。」
不服そうにぷいっと横向くその表情に何となく嬉しい想いが込み上げる。
久しぶりだな…『瑞稀』のこんな良い表情。
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俺と涼太、瑞稀様は大学の同期だった。
あの時は…今よりは冷めていなかった気がするけれど、それでも時折見せる寂しそうな表情に涼太と俺は心配していた。
谷村家の次男に生まれて、親からの愛情も受けて成績優秀、容姿端麗。順風満帆な誰もがうらやむ苦労の無い人生。
瑞稀にそんな目線を周囲は向けていたけれど、側にいた涼太と俺は全く違う印象だった。
自由奔放な長男に頭を抱えていた両親を安心させるべく、『何でもサラリとこなす、谷村瑞稀』を演じる為の血のにじむ様な努力をずっとずっと怠らなかった。
「どうしても長男に継がせたい」
そう思っていた両親の期待の矛先は兄が家を出て放浪の旅をし始めたときから瑞稀に全て向いた。
それでも、『兄』を引きずる両親は彼に社長の座を譲る時「とりあえず」と言ったらしい。
「まあ、俺としても、そんな地位、欲しいわけじゃないしね。
全ては『あの人』が帰ってくるまでの繋ぎって事でいいんじゃない?」
そう言って笑う瑞稀の寂しく揺れた瞳が今でもずっと頭の傍らに残っている。
確かに、瑞稀自身も、『兄貴』を誰よりも深く慕ってて、両親の気持ちもちゃんと理解は出来ているとは思う。
俺も涼太も彼の事は大学時代に出会ってからの付き合いではあるけれど、実際に会ってその『兄貴』の魅力を少しは分かってるつもりだし。
『家族の間の事だから、外野が首を突っ込むのはおかしい』
それもわかっていたんだけどさ…。
若かったのかもしれない、俺も、涼太も。
…親に「とりあえず」なんて言われて、全て瑞稀一人が背負い込むのかよ。
そんな風に捉えてしまった俺達は、どうしても瑞稀を放っておけなかった。
だから、それから3年後、俺は執事として、涼太は庭師として、違う立場で瑞稀の側に居る事を選んだ。
まあ…実際には。
瑞稀と『兄貴』の互いの想いが俺らの想像を凌駕していたと気が付くのはずっと後の事なんだけどな。
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