にじいろの向こう側
◇
シュシュを付けたら、戸惑いがちにそれを触って瞳を潤ませる咲月を後ろから包んで。
一応ね…頑張って心の内を話したんだよ、俺も。
『明日から毎日このシュシュを付けて、瑞稀様のネクタイを結ばせて頂きます』
そうしたら嬉しそうに微笑んでくれて。ちょっと恥ずかしかったけれど、話せて良かったかな、なんて幸せに浸ってたら。
「ご主人様はメイドの頭を撫でるのが通例なんですか?」
…何だそれ?
投げかけられた疑問に思わず咲月を撫でてた手がぴたりと止まる。
再び目を合わせた咲月は、いつも通り真面目な顔で俺の答えを待っている。
どう考えても…自分が変な疑問を抱えてるなんて微塵も思っていない。
…どういうことだ?
頭の中をもの凄い勢いでフル回転して、今までの経過を振り返る。
俺が撫でて…マコが撫でて。
…前の屋敷に居たのは咲月が生まれて間もない頃からだと言っていた。そして、咲月の話を聞いていると、とてもメイドによくしていた人っぽいからな。
そうなると、前の主人にも撫でられてた?
もしかすると…『智樹さん』にも。
…成る程ね。
確かに、『ご主人様』に撫でられてるわ。
じゃあ、まあ、通例って事に……なるか、そんなもん。
「…いつ俺が坂本さんの頭を撫でたよ。」
「え?!そ、それは…年下のメイドにだけやるのかと…。」
何だ、その、物凄い都合良い解釈。
何となく、身体を少し離して
「痛っ!!」
何となくデコピン。
この位の八つ当たりはする権利があると俺は思う。
返せよ、俺のこの何週間かの苛立ちとストレスの時間。
まあ…でも。
逆に、咲月がマコに対して『ご主人様』と言う認識しかないって言うのはハッキリしたけどね。
どうして、撫でられる事をあっさり許していたのかも。
「あ~あ…」と咲月から離れて、気が抜けた様にベッドに腰掛けた。
「あのさ…いくら何でも、好意を持っていない相手の頭を撫でたりとかしないでしょ。
まあ、恋愛感情の『好き』なのかはともかく。
『可愛い』位には思っていないと撫でないと思う。マコは特にね。
あの人、実は人見知りだったりするから。」
「ええっ?!真人様、人見知りなんですか?!」
いや、そこじゃなくて、『可愛いと思われてる』と言うくだりに着目して欲しいんだけど、俺は。
真面目はいいんだけど…ズレてんだよな、どっか。
咲月の腕を伸ばして引っ張ったら
「きゃあっ!」
バランス崩して倒れ込んで来る咲月の身体。
「…潰れる」
「ヘ、減りました!3キロ位は!目下減量続行中です!」
「いいよ、痩せないで。揉み甲斐なくなるから。」
「揉み…!」
余計に顔を赤く染める咲月が、少し気まずそうに目線を反らした。
「だ、だけど…」
まあ、無理やり持ち上げて咲月に心配かけさせてるのは俺だけどね。
と言うか、持ち上げられるのを拒否せずに、自分が痩せようとするって所が咲月だよな。
「別にそれほど重いとも思わないよ?俺は。と言うか、もし腰を痛めるとかなら、俺の問題じゃない?もっと鍛えないとって。」
「ち、違います…私の問題です。」
尻つぼみに悲しそうに口を尖らせる咲月
「う、上田さん…綺麗でした。」
「…は?」
「秘書の…上田さんと瑞稀様…お似合いでした。」
いや、ちょっと待って?
…どう言う事?
予想外の名前が出て来て、思わず咲月ごと起き上がる。
「咲月…?」
「上田さん、凄く、凄く綺麗で…二人とも凄く素敵な出で立ちで。そこに自分が居るって事が居たたまれなくて。
み、惨め…だったと言いますか。
あ、あの…この間の花を頭に付けた件については、その事をずっと考え込んでいたら、つい、涼太さんについて行ってしまったといいますか…。」
…そんなに深刻に考え込んでたわけ?俺と上田が一緒に居る所をみて?
その事で、他人について行くくらい、上の空…
「……。」
…やばい。
ニヤケ顔が抑えられない。
と言うかさ、行った先で花をつける所じゃなくて、もっと凄い事されたらどうすんだよ。まあ…涼太はそんな事しませんけどね?
浮かれた心を落ち着かせる為に、そんな事考えている俺に全く気がついていないであろう、咲月は、憂いで伏せた睫毛が震える。
「も、もちろん、上田さんみたいに素敵な女性になれるとは思ってはいませんが…も、もし、私がこのままその…瑞稀様を好きでいていいならば…もっとマシになりたいです。」
…『好きでいていいならば』って。
もう、緩んだ顔を引き締めるなんて不可能で、憂鬱を纏ってる咲月を再び引き寄せたら首筋に歯を立てた。
「っ…。」
咲月のピクッと揺れた肩を合図に寝間着の隙間から、手のひらを滑り込ませて、背中に触れる。解く。
「み、瑞稀様…」
「いいでしょ、別に。咲月は俺のなんだから」
「…。」
「あのね、俺はそう言う立場の人間なんだよ。いくらでも周りに綺麗な人はいるよ?色気ムンムンの子だっているし。それを武器に近寄って来る子もいる。それに、確かに上田は綺麗だと思うよ?俺も。」
這わせた唇を耳裏に付けると、咲月の柔らかい耳たぶの感触が下唇に伝わった。
「…だけど、俺は咲月がいい。」
俺の言葉に咲月の体が少し離れて、それによって見えた目を見開いた表情。
それに思わず含み笑い。
「そんなに驚く?」
「だ、だって…」
「…何?もしかして俺がただ何となく『好きだ』って言われたからこんな事してると思ってた?」
「い、いえ…そこまでは…。」
「覚えてないの?俺が言った事。主人が本気でメイドに手出すの、かなりの度胸だって。」
「そ、それは…。」
「…好きじゃなきゃこんなストレス溜まる恋愛はしない。絶対。」
「す、ストレス…」
「だって、考えてもみなよ。『智樹さん』とやらが大切だとか言っちゃってさ…マイナススタートも良い所。おまけにマコには気に入られるし。
本当に、嫌な事ばっかり。
だけどね?それでも俺は咲月がいいんだから、どうしようもないでしょ?」
眉下げて笑ってみせたら咲月の瞳が潤みを帯びて
「…好きだよ。」
俺の言葉に雫が頬を伝った。
…上田の事、綺麗って言うけどさ。
俺からしてみれば、咲月の表情の方がよっぽど綺麗に見えるんだけどね。
抑え気味で戸惑いがちな笑顔も、そうやって静かに流す涙も…全部、独り占めしたいっていつも思う。
目元を親指でキュッと拭いてあげたらそのまま頬を包んで唇に触れた。
「…別に、咲月は今のままでも充分だから。
俺の好みに…って言うなら、マコに頭撫でられない様にして欲しいって方が大きい位。」
「あ、あの…」
「うん、わかるよ?主人のする事を無下には断れないもんね。」
…こうして心穏やかになった今ならわかること。
最初から、冷静に咲月の考えとか想いを考えてあげていたら、悩ませる事もなかったんだろうな。
そこら辺、やっぱ俺はマコに翻弄されるって事だよね。
多分…染み付いていたもの。
“自分よりマコの思考が優先”
でも、それではダメな時もあるんだと、咲月の存在で気がついた。
“用意をしておきます”
まあ、圭介のおかげでこうしてちゃんとここに来て話も出来たから良しとしますか。
そんな風に省みて咲月の事抱き締め直したら、マコの笑顔とあの大きな掌が脳裏を掠めた。
昔から、何かにつけて、俺の事を撫でていたマコ。
先代の会長…つまりは、俺の祖父である佐次郎じいさんが幼い頃に亡くなってからは、この世で唯一俺の頭を撫でる掌だった、マコの掌。
マコもそれが幼く未熟な俺の拠り所になっていると理解していたんだと思う、他の誰の頭を撫でる事もなくて。
けれど、咲月は出会って次の日には撫でていた。
だから…『マコは本気だ』と思った。そして、俺はマコと同じ土俵に立つことに怖気付き、逃げようとした。
けれど…逃げる事が出来なかった、咲月についてだけは。
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シュシュを付けたら、戸惑いがちにそれを触って瞳を潤ませる咲月を後ろから包んで。
一応ね…頑張って心の内を話したんだよ、俺も。
『明日から毎日このシュシュを付けて、瑞稀様のネクタイを結ばせて頂きます』
そうしたら嬉しそうに微笑んでくれて。ちょっと恥ずかしかったけれど、話せて良かったかな、なんて幸せに浸ってたら。
「ご主人様はメイドの頭を撫でるのが通例なんですか?」
…何だそれ?
投げかけられた疑問に思わず咲月を撫でてた手がぴたりと止まる。
再び目を合わせた咲月は、いつも通り真面目な顔で俺の答えを待っている。
どう考えても…自分が変な疑問を抱えてるなんて微塵も思っていない。
…どういうことだ?
頭の中をもの凄い勢いでフル回転して、今までの経過を振り返る。
俺が撫でて…マコが撫でて。
…前の屋敷に居たのは咲月が生まれて間もない頃からだと言っていた。そして、咲月の話を聞いていると、とてもメイドによくしていた人っぽいからな。
そうなると、前の主人にも撫でられてた?
もしかすると…『智樹さん』にも。
…成る程ね。
確かに、『ご主人様』に撫でられてるわ。
じゃあ、まあ、通例って事に……なるか、そんなもん。
「…いつ俺が坂本さんの頭を撫でたよ。」
「え?!そ、それは…年下のメイドにだけやるのかと…。」
何だ、その、物凄い都合良い解釈。
何となく、身体を少し離して
「痛っ!!」
何となくデコピン。
この位の八つ当たりはする権利があると俺は思う。
返せよ、俺のこの何週間かの苛立ちとストレスの時間。
まあ…でも。
逆に、咲月がマコに対して『ご主人様』と言う認識しかないって言うのはハッキリしたけどね。
どうして、撫でられる事をあっさり許していたのかも。
「あ~あ…」と咲月から離れて、気が抜けた様にベッドに腰掛けた。
「あのさ…いくら何でも、好意を持っていない相手の頭を撫でたりとかしないでしょ。
まあ、恋愛感情の『好き』なのかはともかく。
『可愛い』位には思っていないと撫でないと思う。マコは特にね。
あの人、実は人見知りだったりするから。」
「ええっ?!真人様、人見知りなんですか?!」
いや、そこじゃなくて、『可愛いと思われてる』と言うくだりに着目して欲しいんだけど、俺は。
真面目はいいんだけど…ズレてんだよな、どっか。
咲月の腕を伸ばして引っ張ったら
「きゃあっ!」
バランス崩して倒れ込んで来る咲月の身体。
「…潰れる」
「ヘ、減りました!3キロ位は!目下減量続行中です!」
「いいよ、痩せないで。揉み甲斐なくなるから。」
「揉み…!」
余計に顔を赤く染める咲月が、少し気まずそうに目線を反らした。
「だ、だけど…」
まあ、無理やり持ち上げて咲月に心配かけさせてるのは俺だけどね。
と言うか、持ち上げられるのを拒否せずに、自分が痩せようとするって所が咲月だよな。
「別にそれほど重いとも思わないよ?俺は。と言うか、もし腰を痛めるとかなら、俺の問題じゃない?もっと鍛えないとって。」
「ち、違います…私の問題です。」
尻つぼみに悲しそうに口を尖らせる咲月
「う、上田さん…綺麗でした。」
「…は?」
「秘書の…上田さんと瑞稀様…お似合いでした。」
いや、ちょっと待って?
…どう言う事?
予想外の名前が出て来て、思わず咲月ごと起き上がる。
「咲月…?」
「上田さん、凄く、凄く綺麗で…二人とも凄く素敵な出で立ちで。そこに自分が居るって事が居たたまれなくて。
み、惨め…だったと言いますか。
あ、あの…この間の花を頭に付けた件については、その事をずっと考え込んでいたら、つい、涼太さんについて行ってしまったといいますか…。」
…そんなに深刻に考え込んでたわけ?俺と上田が一緒に居る所をみて?
その事で、他人について行くくらい、上の空…
「……。」
…やばい。
ニヤケ顔が抑えられない。
と言うかさ、行った先で花をつける所じゃなくて、もっと凄い事されたらどうすんだよ。まあ…涼太はそんな事しませんけどね?
浮かれた心を落ち着かせる為に、そんな事考えている俺に全く気がついていないであろう、咲月は、憂いで伏せた睫毛が震える。
「も、もちろん、上田さんみたいに素敵な女性になれるとは思ってはいませんが…も、もし、私がこのままその…瑞稀様を好きでいていいならば…もっとマシになりたいです。」
…『好きでいていいならば』って。
もう、緩んだ顔を引き締めるなんて不可能で、憂鬱を纏ってる咲月を再び引き寄せたら首筋に歯を立てた。
「っ…。」
咲月のピクッと揺れた肩を合図に寝間着の隙間から、手のひらを滑り込ませて、背中に触れる。解く。
「み、瑞稀様…」
「いいでしょ、別に。咲月は俺のなんだから」
「…。」
「あのね、俺はそう言う立場の人間なんだよ。いくらでも周りに綺麗な人はいるよ?色気ムンムンの子だっているし。それを武器に近寄って来る子もいる。それに、確かに上田は綺麗だと思うよ?俺も。」
這わせた唇を耳裏に付けると、咲月の柔らかい耳たぶの感触が下唇に伝わった。
「…だけど、俺は咲月がいい。」
俺の言葉に咲月の体が少し離れて、それによって見えた目を見開いた表情。
それに思わず含み笑い。
「そんなに驚く?」
「だ、だって…」
「…何?もしかして俺がただ何となく『好きだ』って言われたからこんな事してると思ってた?」
「い、いえ…そこまでは…。」
「覚えてないの?俺が言った事。主人が本気でメイドに手出すの、かなりの度胸だって。」
「そ、それは…。」
「…好きじゃなきゃこんなストレス溜まる恋愛はしない。絶対。」
「す、ストレス…」
「だって、考えてもみなよ。『智樹さん』とやらが大切だとか言っちゃってさ…マイナススタートも良い所。おまけにマコには気に入られるし。
本当に、嫌な事ばっかり。
だけどね?それでも俺は咲月がいいんだから、どうしようもないでしょ?」
眉下げて笑ってみせたら咲月の瞳が潤みを帯びて
「…好きだよ。」
俺の言葉に雫が頬を伝った。
…上田の事、綺麗って言うけどさ。
俺からしてみれば、咲月の表情の方がよっぽど綺麗に見えるんだけどね。
抑え気味で戸惑いがちな笑顔も、そうやって静かに流す涙も…全部、独り占めしたいっていつも思う。
目元を親指でキュッと拭いてあげたらそのまま頬を包んで唇に触れた。
「…別に、咲月は今のままでも充分だから。
俺の好みに…って言うなら、マコに頭撫でられない様にして欲しいって方が大きい位。」
「あ、あの…」
「うん、わかるよ?主人のする事を無下には断れないもんね。」
…こうして心穏やかになった今ならわかること。
最初から、冷静に咲月の考えとか想いを考えてあげていたら、悩ませる事もなかったんだろうな。
そこら辺、やっぱ俺はマコに翻弄されるって事だよね。
多分…染み付いていたもの。
“自分よりマコの思考が優先”
でも、それではダメな時もあるんだと、咲月の存在で気がついた。
“用意をしておきます”
まあ、圭介のおかげでこうしてちゃんとここに来て話も出来たから良しとしますか。
そんな風に省みて咲月の事抱き締め直したら、マコの笑顔とあの大きな掌が脳裏を掠めた。
昔から、何かにつけて、俺の事を撫でていたマコ。
先代の会長…つまりは、俺の祖父である佐次郎じいさんが幼い頃に亡くなってからは、この世で唯一俺の頭を撫でる掌だった、マコの掌。
マコもそれが幼く未熟な俺の拠り所になっていると理解していたんだと思う、他の誰の頭を撫でる事もなくて。
けれど、咲月は出会って次の日には撫でていた。
だから…『マコは本気だ』と思った。そして、俺はマコと同じ土俵に立つことに怖気付き、逃げようとした。
けれど…逃げる事が出来なかった、咲月についてだけは。
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