にじいろの向こう側




「これは、これは。門先でこんなに笑っては奥様に叱られてしまいますな。」


しーっと指を立てて、お茶目にウィンクする伊東さんに思わず頬が緩んだら、また元の優しい表情に変わる伊東さん。


「…奥様はあなたのそんなメイドとしての資質を買ったんでしょうな。
だからこそ、恋人であると分かったあなたに、厳しく話をしたのかもしれません。」

「…え?」


不意にあたりに少し強い風が吹いた。


「…あのケーキ屋にメイドを連れて行ったのは私の記憶にある限り、二度だけです。
一度目は10年程前にあそこがオープンしてすぐの頃。そして…今回。」


ジッと見ている私を変わらず目尻に皺を寄せて見つめ返してる伊東さん。


「…あそこは、奥様がお忍びで通う、唯一の『1人になれる』場所ですから。」


奥様が唯一『一人になれる場所』…そこへ連れて行ってくださった。


『あなたは相応しくありません』


言葉の重みが余計に重みが増した気がした。


サアアっとまた強めの風が吹いたら、やけに温かく感じる首に巻いたマフラー。
少しそこに埋もれる様に顔を隠したら、瑞稀様の体温が蘇って、心がキュウッて苦しくなった。

けれど、目の前の伊東さんは、変わらず穏やかな表情で、優しく目を細める。


「…あなたなら…あるいは何かを変えられるのかもしれませんな。」
「あ、あのでも…。」
「伊東さん、おはよ。つか、こんな所で油売ってて良いワケ?」


続きを聞こうと口を開いたら、涼太さんが現れた。
少し眉間にしわ寄せて、私と伊東さんとの間にさりげなく立つ。


それにまた面白そうに笑う伊東さん


「これは、これは。涼太君、相変わらず、精が出ますな。」

「…まあね。奥様から剪定のアドバイスも頂いたし。庭の手入れやり直さないと。」


せ、剪定のアドバイス…
奥様はそんな事まで気をおまわしなるのですね。


思わず見てしまったお庭の花壇。こんなに綺麗になっているのに。
どこがおかしいのか全然わからない。


洗濯物を持ったまま、眉間にしわ寄せて、ジッとそのまま花を見ていたらはっはっはって笑い声がまた響く。


「いや、本当に面白いお嬢さんだ」

「うん、それは俺も認める。」

「薮君にしてはいい仕事をしましたな。」

「圭介さんはいつだっていい仕事をしてますよ。誰かさんの弟子ですから。」


はっはっはっ…って二人で笑っているけど…火花が何か散ってるよね、これ。


「いや、これは失礼。朝から楽しませて貰えました。では、私はそろそろお二人のお茶の仕度に参りますので。」


伊東さんの去っていく後ろ姿に少しまた会釈をしたら、涼太さんが横で溜息をついた。


「…何か言われた?」
「いえ…。」
「そ?まあ、あの人の言う事はあんま気にすんな?」


涼太さんはそのままその場にかがみ込むと、早速花壇の手入れを始める。


「あの…涼太さんは瑞稀様とは大学の時にお知り合いになったと…以前おっしゃってましたよね。」

「あ?ああ、うん。」

「……。」

「…何だよ。」


歯切れの悪い私を見上げて苦笑い。


「いえ…その…どんな感じだったのかな…って。学生の瑞稀様って。」


一瞬


その強い眼差しの奥の瞳が揺らめいた


「あ…すみません。こんな事聞いたら失礼ですよね。瑞稀様に。」


抱えている洗濯物を持ち直して、「では」と背中を向ける。


「…基本は冷めてたかな。」


向けた背中に、落ち着いたけれどどこか寂しげな声。
もう一度振り向いた。

涼太さんは、剪定ばさみを手に、花壇を整備しながら、少しだけ私に微笑むとまた目線を目の前の花壇に戻した。


「瑞稀はさ、俺らには優しかったけど。大抵の事は冷めた目で見てた気がする。冷静っつーか。何でも先回りして物事の結論から見るっつーか…『どうせこうでしょ?』みたいな感じでさ。」


パチンと剪定ハサミの音があたりに響いた。


「まあ、幾つか夢中になってる事はあったけど。それもね…。」


フウッて溜息付いたその瞳がまた揺らめいた。


「…瑞稀は変わったって思う。咲月に会って。
なんつーか、より『瑞稀らしく』なった…って感じかも。」


瑞稀様らしく…か。

私は私に接してくれている今の瑞稀様しか知らないからな…


少し作業をやめて、眼差しを空に向ける涼太さん。


「…後もう少しかもな。」


…後…もう少し?


涼太さんの呟きの意味が良くわからなくて首を傾げたら、再び私の方を見る。その表情は、どちらかというと寂しげな色は無くなって、少しイタズラな笑顔。


「まあ、頑張って?とりあえず、14日?」
「14…あっ…」


…バレンタイン、どうしよう。


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