にじいろの向こう側




その日から、波田さんが食材の注文と一緒に材料を調達してくれて始めた『再現』。

…とは名ばかりの、『猛特訓』。




「咲月ちゃん、ほら、もっとしっかりチーズを練らないと。」

「は、はい…」



「波田さん、“フランベ”って何ですか?」

「それはね…?ってあっ!ソースパンから煙が!」




…これ、『再現』どころの話じゃないかも。



夜な夜な波田さんにつきっきりで教わる私を「…大丈夫?」と圭介さんや涼太さんや坂本さんが代わる代わる見に来る有様。


ホント、私、よく大それた事を考えたな…。
現実を知らない恐ろしさを目の当たりにした感じ。


何て、半ば諦めかけていたけれど。


2月14日が三日後に迫った夜


何度目かに焼いたチーズケーキを頬張った圭介さんと涼太さんが「おっ」と目を輝かせた。



「…うめっ!咲月ちゃん、すげー上達したじゃん。普通に食える。」

「確かに。最初『食べて』って言われた時は勇気がいったもんな…これは、売れそう。バザーとかなら。素朴なチーズケーキって感じ?」


褒められてる…よね。
今までは、微妙な顔で「や、でも食うよ?」と言われていたし…。


「…ありがとうございます。」


さすがは波田さん、プロのシェフ。教え方も一流だった。
こんな私でも、食べられるくらいの所までは上達できたんだから。


でも…問題は。


チーズケーキを一口食べて「うーん」と唸る坂本さんと波田さんに目を向けた。


「…そうねえ。近く…は、なって来てるって思うけど。」

「そうだな…やはり、何かが足りない気がするなあ」


そっか…ここまで、波田さんも坂本さんも一生懸命味を思い出してくれて、色々試行錯誤はしてみたけれど…やっぱり『味の再現』は難しいのかな。


不意にカレンダーを見た。


「あの…圭介さん、瑞稀様がお帰りになるのは…。」
「14日の夜かな。予定通りなら。」


…焼けても後一回か。
どうしよう…


「ご本人に聞かれるのが一番の近道ではありませんかな?」
「い、伊東さ…ゲホっ!!」


不意に圭介さんの横に伊東さんが現れて、驚いてむせ返る圭介さん。その姿を伊東さんは横目でじろりと見る。


「全く…夜な夜な何をしているかと思えば。奥様に隠れてこのような事を。」

「…面目ない、咲月ちゃん。一応、上手く目を逸らしてたつもりだったんだけど」


圭介さんが、涙目のまま、ハンカチで口元を抑えて眉を下げた。


「君が私の目を逸らすなど、100年早いわ!」


圭介さんの肩をポンポン叩いて、はっはっはっと楽しそうに笑う伊東さん。


「い、伊東さん、明後日だし、黙っててもらえませんか?」


圭介さんの必死なお願いに小首を傾げる。


「いや?これは、谷村家の筆頭執事として見過ごすわけには行きませんぞ?」


な、何だろう…伊東さん、何だか楽しそう?


坂本さんが目を細め、溜息ついてから伊東さんを睨んだ。


「よく言うわよ、伊東さん。知ってたんでしょ?ずっと」

「…ええっ?!」


圭介さん…凄い驚き様。こんな風になる事があるんだ、圭介さんも。


「はっはっは!だから言っただろう。君に俺を欺くなど100年早いと。」

「も~…何なんすか…。」


今度は項垂れてる。
いつもは冷静沈着の圭介さんが凄い振り回されよう…。


伊東さんと目が合ったら、ニコッとウィンクされた。


「“瑞稀様の為に皆が一丸となって頑張る”まさに、従業員の鏡じゃないですか。ねえ?鳥屋尾さん?」

「は、はい…。」

「…私も従業員の一人として、お役に立たせていただけませんかね。」

「え…?」


息を飲んだら、伊東さんが優しい表情に変わる。


「鳥屋尾さん…あなた次第です。」


私…次第。

私は…『作ろう』と思ったのは、他でもない瑞稀様に食べていただきたいと思ったから。
そして、『瑞稀様に喜んで欲しい』と思ったからこそ、波田さんだってここまで協力してくれた。

やっぱり完成出来るなら完成させたい。


「…伊東さん。私、奥様にチーズケーキの作り方を教わりたいです」


皆が固唾を飲む中、伊東さんは満足そうに笑う。


「かしこまりました。では、参りましょう。」

「え…い、今ですか…?」

「ええ。この時間ならまだ奥様は起きていらっしゃいます。”善は急げ”と言いますからな」


そう言うと私をドアへ向かって導く様な所作で促した。




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