にじいろの向こう側






結局、バレンタイン当日の朝も『ガトーショコラ作りも手伝って?』と奥様に呼び出されて、一緒に作らせてもらった。


「…本当にチーズケーキしか作れないのね。」

「も、申し訳ございません…今まで、ケーキ作りは一、二度しかした事がありませんで。」


慌てている私にそう言いつつも終始笑顔で作られていて。


…本当に楽しそうだったな、奥様。


瑞稀様の事、真人様の事、美味しいケーキや洋菓子の事…沢山お話をしてくださった。









『瑞稀様、戻られたよ。夜の仕度とお茶、両方今日は任せた方がいいよね』


圭介さんからそんな連絡が来たのは日が沈んでまもなくの時間帯だった。



…ここからが、もう一つの本番だ。


ゴクリと喉を鳴らしたらポンって肩を叩かれる。


「大丈夫よ。瑞稀様はお召し上がりになるわ。」


振り返ったら坂本さんがニッコリ笑った。


「なんせ、奥様と咲月ちゃん、二人分の愛情入りだもの!」


愛情…か。
それで言ったら、私と奥様だけじゃないよね。
波田さんの、伊東さんの、坂本さんの、そして、圭介さんや、涼太さんの愛情が詰まっている。


だって、皆さんの協力が無かったら出来上がらなかったもん。


大きく息を吸い込むと、型から外して、お皿に乗せた。



「失礼いたします。お茶をお持ち致しました」


少しだけ震える手でドアをノックしてワゴンを押して部屋へと入って行く。


机に少し凭れる様にして、タブレットに目を落としてた瑞稀様が一瞬こっちを見て少し口角をキュッとあげ微笑んだ。


そのまま、タブレットを机に置くとワゴンを中まで運び入れた私を後ろから包み込む。


「ただいま。」

「お、お帰りなさいませ。」

「これ…は?」


肩越しに話すその吐息が頬をかすめて、そこが熱を持つ。


「きょ、今日はバレンタインですので…私が焼きました。瑞稀様は甘いものが苦手だとお伺いして…波田さんに相談しまして。」

「ふーん…。」


カットして、お皿に一切れ乗せたら、私を包んでいる手が片方伸びてきてフォークでそれを丁寧に切ると、その口まで運び入れる。


「……。」

「い、いかが…ですか?」


後ろから包まれているから表情が見えない。ドキドキと鼓動が早く強く打った。


「…これ、本当に咲月が作ったの?」


回されている腕にグッと力が入って痛い程身体を締めつけた。


「…はい。
ですが、私はケーキ作りがとても苦手なので、奥様が一緒に作って下さいました。」

「……。」


一瞬の沈黙の後、フウッと溜息が耳元を掠め、余計に鼓動が早くなる。
それでも解かれない腕に何となく安心を感じた。


「…最初は波田さんに相談をしたんです。
瑞稀様に何を召し上がって頂いたら喜んで下さるのかが分からなくて。
そうしたら、教えて下さったのがこの奥様が昔、真人様と瑞稀様に作っていたと言うチーズケーキでした。
波田さんも実は、何度も作ってみてはいたみたいなんです。
昔食べさせて頂いたときの味を思い出しながら。
今回も、坂本さんと二人で、一生懸命思い出してくれました。
ですが…近いものにはなっても同じ味は出せなくて。
伊東さんが見兼ねて『奥様に聞いたほうがいい』と提案して下さいました。」

「…伊東まで関わってたの?」

「はい。最初は奥様のお耳に入らない様にと、圭介さんが懸命に目を逸らし、隠してくれていたみたいなんですが、結局は最初から伊東さんには分かっていたみたいで静観してくださっていたみたいです」


クスリと少しだけ耳元に笑い声が届いた。


「相変わらずだね、あの二人は」


瑞稀様は私を片腕で捕らえたまま、またチーズケーキを口に運ぶ。


「あの人…よく、作るつったね。あの人の中で多分俺は『チーズケーキが嫌い』ってなってるはずなんだけど。」

「それは…その…伊東さんが昔の真相を話しまして。『瑞稀様が本当はチーズケーキをお好きだと言う所を確かめては』と奥様に…。
その…若かりし頃の瑞稀様の、何と言いますか、微笑ましいお茶目なイタズラを。」


そこまで話をしたらギュウッとまた腕に力が籠って。


「………。」


………無言。



お、怒っているかな…そりゃそうか。
勝手に過去を掘り返されて、こんな事されて。
余計なお世話だって思われても仕方がない。


けれど…


リビングで再会した瑞稀様とご両親の空気を思い出した。



…きっとあれが三人の本当の姿では無い気がする。
だって、ケーキを作っているときの奥様、本当に楽しそうだったから。


『瑞稀はね?子供の頃…』


瑞稀様の子供の頃のお話を、懐かしむ様にして下さった奥様は、『谷村家跡取りの母親』ではなくて『一人の息子のお母さん』という感じがして終始柔らかくて温かい表情をしてらっしゃった。


「…チーズケーキを作っていらっしゃる時の奥様は、本当に楽しそうで、嬉しそうでした。」


“あなたは『谷村瑞稀の妻』として相応しくありません”


今回の事で奥様のお考えが変わるとは思っていない。

けれど。


「私も楽しかったし、嬉しかったです。奥様と一緒に作れて。」


瑞稀様の事を一緒に考えながら作るあの時間は本当に嬉しかったから。


それでいいかな…って。


「…申し訳ありません。出過ぎた真似を致しまして。」


ひたすら首筋に顔を埋めてる瑞稀様に不安が過る。


「咲月」

「はい…。」

「今日、あの人は?」

「本日は旦那様とホテルでディナーをしてそのままお泊まりになると…。」

「そっか…」


溜息のあと、


「……。」


また少しの沈黙。


やっぱり…嫌だったかな、こんなの。


俯いてカットしたチーズケーキを見つめたら、そこにフォークが差し込まれて、そのまま瑞稀様の口へと運ばれた。


「…ありがとう。美味いです。」


短いその言葉に鼓動がトクンと跳ねた。


「あ、あの…良かったら、もう少し召し上がりませんか?ま、まだまだありますし…。」


未だに捕らえられてる身体を腕の中で一生懸命動かし振り返ると、煌めきの多い瞳と視線がぶつかる。


…少し目が赤い。
鼻の頭も。


「…勝手に振り向かないでよ。ケーキ、切ってよ、ほら。」
「は、はい…。」


乱暴にまた前を向かされて、そのまま包み直される。
瑞稀様の体温がさっきより温かい気がして、少しだけ頬が緩んだ。


「瑞稀様…1/4切れ召し上がりますか?」

「……。」

「よく冷やしてありますから、以前召し上がったものより、更に美味しいかと。」


クスクス笑う私を瑞稀様は「あ~もう…」と乱暴にひっくり返す。
おでこをコツンて付けて、触れるだけのキスをした。


“ありがとう、美味いです”


…良かった。召し上がってくれて。

ありがとうございます、瑞稀様。
皆んなの…そして、奥様の想いも、受け入れてくださって。








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