イケメンの恋愛観察日記
ロビーの受付カウンターの向こうから、水田さんの…私、興味あります!という喜々とした視線とか…清掃会社のおばちゃんの女豹のような眼差しとか…色んな思惑の混ざった視線を感じて居たたまれないっ!
「初めまして、加瀨 拓海です。」
拓海は静かに胸ポケットから名刺を出すと、梅垣さんに差し出していた。
梅垣さんは名刺を見て、少し表情を変えた。
「君が婚約者?」
「そうです。」
梅垣さんは不躾にも拓海の全身をジロジロと見ると、不適な笑いをした。
「同じ会社にお勤めですか…。」
今、明らかにマウント取ってきたよね?私は素早くスマホを取り出すと義兄にメッセージを送った。
『梅垣とかいう輩が会社に来て、私に暴言を吐いている。お兄様の知り合いだって言ってるけど?』
両方の兄に一斉に送信して脅しをかけておいた。
梅垣さんは拓海の背中の後ろから覗いている私にチラッと目線を向けた。
「僕の方が将来有望なのは分かりますよね?千夏さん。」
何故下の名前で呼ぶ?馴れ馴れしいなっ梅っ!
すると梅垣さんのスマホだろうか?呼び出し音が流れた。
「…失礼。」
梅垣さんは少し離れた。そして電話を受けた梅垣さんは「えぇ?!」と絶叫している。そして電話を切ってこちらを見たけど、顔色悪い…。
「ちょっと急ぎの用事が、失礼します。」
とあたふたしながら帰っていった。
「何だアレ?」
拓海が私を見てきたので
「義兄達に、あの男をなんとかしろ!って連絡しておいた。」
「権力のフル活用だな。」
と、言って苦笑いを浮かべていた。いや~良かった、何が良かったのかは分からないが取り敢えず、良かった。
そして拓海と戻りかけて、受付の水田さんを見ると私にサムズアップをしていた。私も返しておいた。
「水田さんありがとう。」
拓海がお礼を言っているので後で聞いてみると、何やら揉め出したような私に気が付いて営業部に内線を入れて
「相笠さんに会いに来ている変な男がいる!助けに来い!」
と連絡してくれたようだ。
水田さんには後で菓子折りを差し入れしておかないとね。
ゆっくりとエレベーターの前に着くと、拓海は大きな溜め息をついた。
「でも本当、油断も隙も無いなぁ~。」
「おや?ちょっと待って?私が油断していると言っているのかな?」
「そうじゃねぇよ、やっぱり早く形にしておかないとだなぁ~。」
何だろうか?拓海は何かスマホを操作しながら
「今週末にさ、俺の実家に行かない?家族紹介したいし。」
と仰った。
ええっ?!実家っ?家族っ!
偽装なのにそこまでしていいの?イヤ、ご両親は偽装とは知らないから普通に恋人、婚約者のフリを完璧にこなさなければいけないんじゃないかな?
嘉川との崇高な愛を守る為にも、悲恋に身を焦がす尊き生き物を守るのが私の使命!
「お〜いエレベーターきてるぜ。」
エレベーターの中から拓海が呼んでいるので慌てて決めポーズを解いて、エレベーターに乗り込んだ。
拓海はスマホを見てから、私に微笑んだ。
「おっ、母さんはOKだな。じゃあ今週末空けておいて〜。」
よーーし!今日は顔のパックでもしておくかな!
その日の夜、拓海はうちのマンションのフィットネスサロンに行って一汗かいてから帰って来た。
「良いトレーニングの機械置いてるよな~。」
シャワーを浴びてからキッチンに来た拓海は苦笑いを浮かべながら麦茶を飲んでいる。
「何かさ、フィットネスに来てる住人のおばちゃん達に質問攻めにあったよ。どちらにお住まいなの?とかご結婚は?とか…まさかおばちゃんに狙われてたのかな?」
いや、マダム達本人じゃないと思うよ?娘とか姪とか孫娘とか…その辺りの女子を推薦しようとしていたんだと思うよ。
「8階に住んでいる相笠の婚約者ですって言ったら、スーッと引いて行ったわ。」
そりゃマダム達は私がこのマンションのオーナーだって知ってるものね。私の詳しい背景は分からないとしても、拓海はすでに金持ちの女に捕まっている…とみたはずだ。
私、拓海さんの偽物の婚約者ですけどね~。
今日は豚の生姜焼きと肉じゃがとアンチョビガーリック風味のサラダ、豚汁のメニューにした。
いつも幸せそうに食べてくれるね~。作り甲斐があるよ。
それにしても拓海は本当に優しいね。私に声を荒げたこともないね。
本当は嘉川と向かい合ってあ~んとかして食べたいだろうに、正面に座るのが私でゴメンね…。
××月××日(火)
会社に私とお見合いをする予定だった男が押しかけてきた。
出世の為に彼女を捨てるなんて、とんでもない野郎だった。拓海を見習って欲しい。日陰者になりながらも一途に嘉川への愛を貫いている男前だ。あんたとじゃ愛の深さも、悲恋の度合いもマッ〇ーホル〇と天〇山くらいの違いがあるんだからな。
追記
夜中、貴明兄からメッセージが届いた。
『あいつは処分しておいたから。』
処分ってなんだ?恐ろしいことを考えそうになったので、拓海の切なそうなイケメン顔を思い出しながらその日は眠りにつくことにした。