懐妊秘書はエリート社長の最愛妻になりました
異変を察知したのか、奥から出てきた一子の声で絡まった視線が外れた。
「あ、いえ。なんでもないです」
首を横に振って答え、笑顔で誤魔化す。わずかに唇の端が震えたのには、一子も気づかなかっただろう。
亮介も一歩遅れてトレーとトングを手に取り、お客の姿へと戻った。
いくつかパンを選び、ぐるっと店内を一周する彼を横目で追う。ハイスピードで刻む鼓動は速度を保ったまま。彼が現れてからずっと、里帆の胸を鳴らし続けている。
ひと通り回り、パンをのせたトレーを亮介がレジカウンターに置く。
里帆はひとつずつビニールに詰め、大きな袋にまとめた。心臓の音が彼に聞こえやしないかと気が気でならない。
「千二百五十円になります」
自分でもおかしいと思うくらいに声が上ずった。
亮介が差し出したお金を受け取ろうとした里帆の手が小刻みに揺れる。
「……七百五十円のお返しです」
顔も見られない。ただただ、指の長い綺麗な手を見つめた。