たとえば、こんな人生も
「あなたの奥様が
愛して、大切にしてきたものを」

「他でもないあなたが
壊そうとしているんですよ」


諭すように柔らかく

だけどしっかりした口調で言葉を紡ぐ


……いつきさんは、さっきの会話聞いてたのかな

この人がこうなった理由を知らないはずなのに、この人の心に的確に刺さる言葉を向ける

「お母さん」に繋がる言葉を言われたら
この人は聞き流せない

どれだけ自分を見失っていても
お母さんの事だけは、この人の記憶や心から消えてないから


「奥様が願ったこと、遺した言葉をきちんと思い出してください」


「奥様が望んだのは
こんなことじゃなかったはずです」



いつもだったら怒り狂うのに

容赦なく暴力や暴言を撒き散らすのに


いつきさんのその言葉には

そんな反応はなくて


ただ、ずっと黙り込んでいた


ただただ、あの人は愕然としていた


だけど


何かを思い出したように、その表情が苦痛に歪んで



「…」



その目から涙がこぼれた



「…これは俺の連絡先です
後日また改めて伺います」


そのまま
魂が抜けたようにふらふらと椅子に座り込んで、うつ向くあの人にぺこりと頭を下げて


まだひとり状況を把握できずに呆然としている私を抱き上げて

いつきさんは私を連れてそのまま家を出た
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