白雪姫に極甘な毒リンゴを

 今このリビングで、
 お兄ちゃんと二人だけになるのも
 ドキドキしちゃうのに、
 お兄ちゃんの部屋なんて行ったら、
 私の心臓が停止しちゃうかもしれないよ。


 それに……あの部屋は……


「……行かない。

 だってお兄ちゃんの部屋には、
 まだ入る勇気がないから」


 お兄ちゃんに内緒で、1度だけ入った。


 十環先輩に言われて、
 お兄ちゃんのクローゼットにある、
 赤と青の箱の中を覗くために。

 でもあの時は、お兄ちゃんに会いたい一心で、
 気づいたら入っていたけど……

 今は違うもん。

 あの部屋に入ったら、また苦しくなっちゃう。

 お母さんに会いたくて、謝りたくて、
 苦しくなっちゃうんだから。

 そんな私の思いを見透かしたように、
 お兄ちゃんがぼそりと声を出した。


「あの部屋に入ると、
 母さんが亡くなったあの日を思い出すんだろ?」


「……うん」


「その気持ちは痛いほどわかるよ。

 俺だって、あるからさ。

 母さんに酷いことを言った自分を
 思い出して苦しくなることがさ。

 でも、辛い思いでだけじゃないだろ?

 母さんが亡くなるまでは、
 家族4人であの部屋で寝ていたんだから。

 幸せだった思い出だって、
 たくさんあるだろ?」


 ……お兄ちゃんの言う通りだ。


 今、お兄ちゃんが使っているあの部屋は、
 寝る前にお母さんが、毎日絵本を本でくれた。


 私が眠るまで、
 お母さんが優しく頭を撫でてくれた。


 お兄ちゃんと枕を投げ合いっこもした。


 朝起きるとお父さんが、
 私をお姫様抱っこして、
 リビングまで連れて行ってくれた。


 今までずっと、
 思い出さないようにしていた。


 あの部屋の思い出は。


 だって、そこから連鎖していって、
 お母さんが亡くなった日のことを
 思い出しちゃうから。


 私は擦りむいたところに
 水がしみるような痛みが心を襲ってきて、
 涙をこらえるように、
 げんこつを握りしめて言った。


「たくさんあるよ。
 あの部屋での……楽しい思い出」


「だろ?

 母さんも悲しいと思うけどな。

 六花が、母さんと楽しかったことまで、
 思い出さないでいるのはさ」



 ………そうだね。


 お母さんはきっと悲しんでいる。


 私を安心させるような優しい声で、
 たくさんの物語を読んでくれたのに、
 そんな幸せな思い出まで、
 心の奥の奥に閉じ込め続けていることに。


「あの部屋での悲しい思い出は、
 俺が塗りかえてやる。

 六花が、母さんと
 幸せだった時間を思い出せるように」

 
 お兄ちゃんの優しさに、
 心がじんわりと温かくなった。


 私は素直にコクリとうなずくと、
 お兄ちゃんは綺麗に並んだ真っ白な歯を見せ、
 優しく笑った。


 そして差し出された、大きな手のひら。


 目の前のお兄ちゃんは、
 なぜか恥ずかしそうに
 そっぽを向いているけど。


 これって……


 『手をつなごう』ってことだよね?


 今まで、お兄ちゃんに
 いきなり抱きしめられたことはあったけど、
 手をつないだことは1度もない。


 しかもこの状態。


 私からお兄ちゃんの手を
 握りに行かなきゃダメってことだよね。


 お兄ちゃんに触れたいと思うのに、
 ドキドキしすぎてお兄ちゃんの手に
 触れられない。


 でも目の前のお兄ちゃんは、
 手もつないでいないのに、
 さっきよりも顔が赤く染まってきているし。


 心臓が飛び出しそうなほどのドキドキの中、
 お兄ちゃんに手のひらを、そっと触れてみた。


 お兄ちゃんの体がビクンとはねた後、
 私の手のひらを包み込むように
 握りしめたお兄ちゃん。


 ど……ど……どうしよう……


 お兄ちゃんに触れられている手のひらが、
 だんだん熱を帯びてきた。


 お兄ちゃんの手のぬくもりが、
 私の握られた手から、
 体中に届けられていく。


 ドキドキが収まらなくて、
 幸せすぎて倒れちゃいそう。


 お兄ちゃんは耳まで真っ赤。


 恥ずかしいのか、
 私と目も合わせてくれない。


 そして手がつながれたまま、
 お兄ちゃんは私を2階に連れてきた。
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