白雪姫に極甘な毒リンゴを


 お兄ちゃんに強制的に連行され、
 私の部屋にやってきました。


 は~ 

 今から魔のテスト勉強タイムだよ。


 私が勉強机の前に座ると、
 お兄ちゃんは私の隣に椅子を置き
 ペラペラと英語の教科書を開き始めた。


「六花、このページの英文、訳してみて」


 い……いきなりですか?


 小さいアルファベットが、
 ページいっぱいに連なっていて、
 見ただけで私の脳は拒否反応。


 ムリです。

 私には、ムリです。


 でも、獲物を狙うカラスのように、
 鋭い瞳を私に向ける悪魔に、
 ムリなんて、口が裂けても言えません。


 とりあえず、
 わかるところまで訳してみなくちゃ。


「動物園には……たくさんの動物が……います」


 え?

 私、最初の一文読めちゃった。


 このまま奇跡が起こって、
 全部読めちゃうかも。


 そんなルンルン気分で、
 次の文を読もうとしたのに、
 う……
 続きが……全く分かりません。

 
 お兄ちゃん、
 我慢の限界みたいな顔になってるし。


 絶対に怒鳴られるよ。『バカ』『アホ』って。


 え?


 突然、お兄ちゃんの手が、
 私の頭を優しくなでた。


 何が起きたかわからなくて、 
 隣にいるお兄ちゃんを見ると……
 お兄ちゃん、穏やかな瞳で微笑んでいるし……


 どうしちゃった?


「お……お兄……ちゃん?」


「ちょっとは、読もうと頑張ったじゃん」


 え?え? 

 ほ……褒められた??



 予想外だよ。


 だって、私、
 最初の1文しか読めなかったんだよ。


 お兄ちゃんの私に向けた微笑みが、
 おひさまみたいに温かくて、
 私は逆に戸惑ってしまった。


「でも……次の文から……わからない……」


「六花はさ、
 自分で英語は理解できないって思いすぎ。

 俺が教えれば、
 絶対に英語が好きになるから。な。」


 な……なんで……

 そんな穏やかな笑顔を私に向けるの?


 いつもはもっと、
 悪魔と鬼が合体したみたいに、
 私のことをののしってくるじゃん。

  
 それなのに今朝は、朝ご飯作ってくれたし、
 行ってらっしゃいの3か条を
 やめていいって言ってくれたし。

 お兄ちゃん、どうしちゃったんだろう。


「とりあえず、英語嫌いから直してくか。

 俺がゆっくり、
 この英文を読んでやるから。

 わかるとこだけでいいから、
 頭の中で訳してみろよ」


 そう言って、私の隣に座るお兄ちゃんは、
 教科書にずらっと連なる英文を読み始めた。


 お兄ちゃんの落ち着いた低い声。


 聞いているだけで癒されるな~。


 英語なんて、全く耳に入ってこない。


 それよりも、
 隣で私のために英文を読むお兄ちゃんを、
 久々に観察してしまった。


 お兄ちゃんって、まつ毛長いな。


 切れ長の目に真っ黒な瞳。


 鼻筋がスーッと通っていて、
 あごのラインが綺麗で。


 女子たちがキャーキャー言うのが、
 ものすごくわかる。


 少し赤みのかかった髪は、
 ゆるくパーマが当ててあって、
 私が鳥だったら、ここでお昼寝したいかも。


 そんなことを思いながら、
 無意識にお兄ちゃんの髪に触れてしまった。


 お兄ちゃんの低く穏やかな声が途切れ、
 目を見開いたお兄ちゃんの視線と、
 私の視線が絡み合った。


 ドスン!!


「お……お兄ちゃん、大丈夫??」


 なぜかわからないけど、
 いきなりお兄ちゃんが椅子から転げ落ちた。


「だ……大丈夫に決まってんだろ?」


「お兄ちゃんの顔、真っ赤だよ。
 どこか打った?」
  

「打ってねえし」


 お兄ちゃんが照れているみたいで、
 なんか可愛くて、
 ついついイジメたくなっちゃった。


 聞くチャンスなんて今しかない。


「お兄ちゃんって、好きな人いるでしょ?」


「へ?」


 いったん赤みのひいたお兄ちゃんの顔が、
 再び赤く染まってきた。


 大きな瞳が高速に閉じたり、あいたり。

 瞬き多すぎ!


 お兄ちゃん。わかりやすい!!


「は?は?は?なんだよそれ!

 お……俺は別に……
 す……好きな奴なんて……いないし」


 小学生の男の子が、
 好きになった子のことを
 ごまかすみたいな慌てよう。


 お兄ちゃんって、
 好きな子のことになると、
 こんなかわいくなっちゃうんだ。
 知らなかった。


 学校でモテモテのお兄ちゃんのことだから、
 何人もの女の人と付き合って
 きたんだろうなって思うけど、
 好きになった子には一途なんだね。
 
 私は何にも考えずに、
 思っていることを言ってしまった。


「お兄ちゃんに好かれる人は、幸せ者だね」 


「は?」


「だって、その人のこと大好きでしょ?
 お兄ちゃん」


「べ、べつに。そんな奴いねえし」


「ごまかさなくてもいいのに。

 でもちょっと、
 お相手さんがうらやましいかも。

 私にもいつか現れるかな?
 私だけを大好きって言ってくれる人」


 七星くんの失恋のことで
 お兄ちゃんに泣きついたからかな。


 それとも、
 お兄ちゃんが好きな人を思って
 赤くなっているからかな。


 お兄ちゃんに自然に喋れちゃった。
 私の理想を。


「いるんじゃね?
 六花は……意外とかわいいとこあるし……」


 え? 

 えぇぇぇぇぇ??!!


 お兄ちゃんが私のことを、
 『意外とかわいいとこある』って言った??


 聞き間違えだよね?


 だって毎日言われているもん。


『お前はブスなんだから、
 男に笑いかけるな。キモがられる』って。


「あ~!
 今日はもう、お前に英語教えるの無理だわ。
 あとは自分で勉強しろよ!」


「え~~? なんで? なんで?
 まだ1文しか訳せてないよ!
 もっと教えて欲しかったのに!」


 お兄ちゃんは私の瞳を見つめ、
 ブンブン首を振った。


 そして、私の部屋から出て行っっちゃった。


 え? 
 
 そ……そんな……

 お兄ちゃんのこと……
 あてにしていたのに……


 そう思った瞬間、
 おかしな自分に気づいた。


 あてにしていた? 

 おかしくない?


 お兄ちゃんが勉強を教えてくれるって
 言った時は、
 恐ろしくて絶対に嫌って思っていたのに。


 いなくなった瞬間に、
 なぜか心にぽっかりと穴が開いたように
 寂しくなった。


 それって、
 もっとお兄ちゃんに
 勉強を教えてもらいたかったってこと?


 もっと、お兄ちゃんと
 一緒にいたかったってこと?


 自分の心に問いかけても、
 答えなんて出てきてくれない。


 私は英語の教科書をパタリと閉じて、
 布団にもぐりこんだ。


 そしてそのまま、朝まで寝てしまった。


 テスト勉強……できなかったよ……

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