マツモト先生のこと―離島で先生になりました―
メーちゃん
マツモト先生の家は、古いけど広い二階建て。柱がポコポコいっぱい建ってる、昔ながらの日本家屋。家の表側は、狭い県道一本を隔てて、すぐに海。家の裏手には山が迫ってて、山には段々畑が続いてる。サツマイモをメインで作ってるらしい。
マツモト先生のおかあさんは、裏山で農業やってる。漁協のほうで人手が足りないときは、ヘルプで入ったりするらしい。
「昔は、うちはイワシの加工の工場ば持っとったとよ」
と、マツモト先生のおかあさんはおっしゃってた。島の外からも出稼ぎが来るくらい、大きな工場だったんだって。でも、マツモト先生が中学生のころに畳んだんだって。島は、そのころから寂れ始めたんだって。
ちなみに、マツモト先生のおとうさんとはお会いしたことない。
マツモト先生の妹は、メーちゃん。あたしより一つ年上。島の病院で看護師をやってる。マツモト先生と違って、明るくて元気でよく笑う。
マツモト家は、七人きょうだいなんだって。メーちゃんは下から二番目で、末っ子の弟くんは大学生。マツモト先生が下から三番目。
「兄貴には、兄・姉・弟・妹、全員おるとよ」
メーちゃんがそう言ってた。
マツモト家の上のほうのきょうだいは、みんな遠くに就職してるそうだ。メーちゃんが家を継ぐ形らしい。
「兄貴は教員やけん、転勤があるやろ? 今は実家から通えるばってん、次の学校は、絶対、島の外やもんね」
そうなのよね。この島には小学校が一つしかないから。メーちゃんが小学生のころは、三つあったらしいけど。
中学校も、かわいそうなくらい人数が少ない。部活は卓球部オンリー。本土の陸上競技会があるときは、全員が陸上部に早変わり。ああ、離島って……。
メーちゃんの話は、いつもおもしろい。マツモト先生がいない隙に、昔のことを聞かせてくれるの。
「ねえねえ、兄貴の字、見たことある?」
「あるよ、隣の席だもん」
「今は、けっこう見られる字ば書くやろ?」
「今はってことは、昔は違ってたの?」
「めっちゃ下手くそやったばい」
「うっそー!?」
「学校の先生に『読まれんけん書き直し』って言われよった」
「そんなにダメダメだったんだー」
二人でけらけら笑ってたら、いつの間にかマツモト先生が戻ってきてたりする。で、二人して叱られる。
「口ばっかり動いて、手の止まっとるやろが」
あたしは通知表の所見の下書きをしなきゃいけない。メーちゃんは病院勤務の分厚いマニュアルの復習中。
「言われなくてもちゃんとしますー」
あたしとメーちゃんの声が重なった。だって、こういう場面、毎回なんだもの。あたしが仕事の困ったとこを抱えてマツモト家に来るたびに。
マツモト先生って、あたしより六つ上だっけ? 妹のメーちゃんより年下のあたし、完全に妹扱いよね。
マツモト先生が背中を向けた瞬間、あたしとメーちゃんは、あっかんべーをした。呼吸ピッタリ。また二人でクスクス笑う。
そうそう、メーちゃんから聞いた中でいちばん笑っちゃった話。マツモト先生って、小学生のころはスポーツが全然ダメだったらしい。付いたあだ名が「ヨタ」。よたよた走るからヨタっていう、容赦のないあだ名。
当時の同級生と会ったら、今でも「マツモトヨタ」って呼ばれるんだって。もちろん、今は全然ヨタじゃないから、ジョークとしてだけど。
「でも、どうやってヨタを返上したの?」
所見の下書きから顔を上げて、何気なく訊いちゃったあたし。ちょっと無防備すぎた。メーちゃんは、ちょっとまじめな目をして言った。
「兄貴はね、中学に入って部活ばやり始めたら、めきめき伸びたと。バレー部でね、一メートル近くジャンプできるセッターでね。もともと毎日、裏山の畑ば手伝うとったとさね。そいけん、足腰が鍛えられて、誰よりもバネがあったと。島の中学の弱かったバレー部が、兄貴に引っ張られて九州大会まで行った」
「そうだったんだ……」
「あのね、字も同じ。下手くそは悔しかけんって、毎晩、ペン習字ばやりよる。兄貴はね、理想や目標ば持ったら、絶対に曲げんと。努力とか根性とか、兄貴のためにある言葉かもしれんよ。そげん部分はね、やっぱり、兄貴はすごかと思う」
ああ、そっか。マツモト先生がマイペースで媚びてない理由、わかった。プライド、高いんだ。自分のこと、ストイックに鍛えてるから。あたしのこと、情けないって思ってるのかもね。あたし、自分に対して甘いもん。
努力と根性。それは、マツモト先生のためにある言葉。妹にまでそう言わせちゃうなんて、どれだけ頑張り屋なんだろう?
あたしは不覚にも、マツモト先生のことをすごいと思ってしまった。マツモト先生のおかあさんが振る舞ってくださる夕食の間、なんとなく……マツモト先生の顔を見られなかった。
マツモト先生のおかあさんは、裏山で農業やってる。漁協のほうで人手が足りないときは、ヘルプで入ったりするらしい。
「昔は、うちはイワシの加工の工場ば持っとったとよ」
と、マツモト先生のおかあさんはおっしゃってた。島の外からも出稼ぎが来るくらい、大きな工場だったんだって。でも、マツモト先生が中学生のころに畳んだんだって。島は、そのころから寂れ始めたんだって。
ちなみに、マツモト先生のおとうさんとはお会いしたことない。
マツモト先生の妹は、メーちゃん。あたしより一つ年上。島の病院で看護師をやってる。マツモト先生と違って、明るくて元気でよく笑う。
マツモト家は、七人きょうだいなんだって。メーちゃんは下から二番目で、末っ子の弟くんは大学生。マツモト先生が下から三番目。
「兄貴には、兄・姉・弟・妹、全員おるとよ」
メーちゃんがそう言ってた。
マツモト家の上のほうのきょうだいは、みんな遠くに就職してるそうだ。メーちゃんが家を継ぐ形らしい。
「兄貴は教員やけん、転勤があるやろ? 今は実家から通えるばってん、次の学校は、絶対、島の外やもんね」
そうなのよね。この島には小学校が一つしかないから。メーちゃんが小学生のころは、三つあったらしいけど。
中学校も、かわいそうなくらい人数が少ない。部活は卓球部オンリー。本土の陸上競技会があるときは、全員が陸上部に早変わり。ああ、離島って……。
メーちゃんの話は、いつもおもしろい。マツモト先生がいない隙に、昔のことを聞かせてくれるの。
「ねえねえ、兄貴の字、見たことある?」
「あるよ、隣の席だもん」
「今は、けっこう見られる字ば書くやろ?」
「今はってことは、昔は違ってたの?」
「めっちゃ下手くそやったばい」
「うっそー!?」
「学校の先生に『読まれんけん書き直し』って言われよった」
「そんなにダメダメだったんだー」
二人でけらけら笑ってたら、いつの間にかマツモト先生が戻ってきてたりする。で、二人して叱られる。
「口ばっかり動いて、手の止まっとるやろが」
あたしは通知表の所見の下書きをしなきゃいけない。メーちゃんは病院勤務の分厚いマニュアルの復習中。
「言われなくてもちゃんとしますー」
あたしとメーちゃんの声が重なった。だって、こういう場面、毎回なんだもの。あたしが仕事の困ったとこを抱えてマツモト家に来るたびに。
マツモト先生って、あたしより六つ上だっけ? 妹のメーちゃんより年下のあたし、完全に妹扱いよね。
マツモト先生が背中を向けた瞬間、あたしとメーちゃんは、あっかんべーをした。呼吸ピッタリ。また二人でクスクス笑う。
そうそう、メーちゃんから聞いた中でいちばん笑っちゃった話。マツモト先生って、小学生のころはスポーツが全然ダメだったらしい。付いたあだ名が「ヨタ」。よたよた走るからヨタっていう、容赦のないあだ名。
当時の同級生と会ったら、今でも「マツモトヨタ」って呼ばれるんだって。もちろん、今は全然ヨタじゃないから、ジョークとしてだけど。
「でも、どうやってヨタを返上したの?」
所見の下書きから顔を上げて、何気なく訊いちゃったあたし。ちょっと無防備すぎた。メーちゃんは、ちょっとまじめな目をして言った。
「兄貴はね、中学に入って部活ばやり始めたら、めきめき伸びたと。バレー部でね、一メートル近くジャンプできるセッターでね。もともと毎日、裏山の畑ば手伝うとったとさね。そいけん、足腰が鍛えられて、誰よりもバネがあったと。島の中学の弱かったバレー部が、兄貴に引っ張られて九州大会まで行った」
「そうだったんだ……」
「あのね、字も同じ。下手くそは悔しかけんって、毎晩、ペン習字ばやりよる。兄貴はね、理想や目標ば持ったら、絶対に曲げんと。努力とか根性とか、兄貴のためにある言葉かもしれんよ。そげん部分はね、やっぱり、兄貴はすごかと思う」
ああ、そっか。マツモト先生がマイペースで媚びてない理由、わかった。プライド、高いんだ。自分のこと、ストイックに鍛えてるから。あたしのこと、情けないって思ってるのかもね。あたし、自分に対して甘いもん。
努力と根性。それは、マツモト先生のためにある言葉。妹にまでそう言わせちゃうなんて、どれだけ頑張り屋なんだろう?
あたしは不覚にも、マツモト先生のことをすごいと思ってしまった。マツモト先生のおかあさんが振る舞ってくださる夕食の間、なんとなく……マツモト先生の顔を見られなかった。