マツモト先生のこと―離島で先生になりました―
九月最後の日曜日:運動会(二)
運動会当日は「これでもか!」ってくらい、よく晴れていた。校舎にアンバランスなくらい広い校庭に、ずらっとテントが張られている。張られているというか、張ったの、あたしたちですけど。
昨日、教職員を中心に、保護者の皆さんたちも手伝ってくださって、運動会の準備をした。おかげで今日は朝から、腕が筋肉痛でつらい。さっきの玉入れ、腕が上がらなくて、全然戦力になれなかった。さすがに、子どもたちからも文句言われちゃった。
特に、受け持ってる四年生たちのうちで、いちばん生意気なショウマくん。運動神経ばつぐんで、誰よりも運動会に燃えてる。腕組みして、仁王立ちになって、あたしをにらんだ。
「タカハシ先生、頑張らんばダメばい! ほら、マツモト先生はあげん頑張りよるたい!」
何でそこでマツモト先生が出てくるかな!? おませなリホちゃんが、ニヤッと笑って、話に割り込んでくる。
「先生、わかりやすかぁ。さっきから、ずーっと、マツモト先生ば見よるやろ?」
んなことないっ! って否定するのが説得力に欠けるってこと、自分でもわかってる。だって、マツモト先生が悪い。目立ちすぎ。
足が速い。走る姿が力強い。いっそ、美しいっていうくらい、さまになる。マツモト先生が走るのを見て、あたしは、野生動物を思い描いた。テレビの動物番組で見た、サバンナを駆けるライオンやチーター。そういうのを連想したんだ。
マツモト先生が、今日はよく笑う。走り終わって、息を切らして、顔をくしゃっとさせて、白い歯を見せて、笑ってる。汗だらけの、日焼けした少年みたいな笑顔。体を動かすのが楽しくてたまらないって感じで、あたしまで笑いたくなる。
どーしよーっ? あたし今日ヤバいって! 恋する乙女モード中学生バージョン、絶好調発動中! って状態じゃん。シャレになんないし!
忙しいんだよ、今日。運営サイドの人数が少ないから、教員やPTA役員はフル稼働で動かなきゃいけないの。あたしは基本的に、子どもたちの入退場の誘導だけだから、まだ楽。でも、進行の状況には逐一気を配ってなきゃいけない。
そうそう、島民運動会っていう名称なんだよね。小学校の運動会じゃなくて。競技に勝てば、賞品がもらえたりする。野菜とか魚とか、物々交換的な賞品。あたし、お米ほしい。全員リレーのMVPがもらえるやつ。あたしがもらえるはずないけど。てか、マツモト先生がもらってくのは目に見えてるけど。
運動会の司会進行は、放送委員の子どもがやってくれてる。放送委員っていうのは、うちのクラスのルミちゃんとサリナちゃん、二人だけ。委員会活動は、三年生以上の子たちみんながやってる。一年生と二年生も、ウサギのお世話当番を手伝ってる。
「次は、全校ダンスです。皆さん、入場門に集まってください」
キレイな声でアナウンスしたのは、ルミちゃん。今日は、競技以外のところで大活躍してる。
あたしは結局、町歌の伴奏を完璧にするところまで行かなかった。行けそうにないって思ったのが、一週間前。途方に暮れてたら、ルミちゃんが代わってくれたの。ルミちゃんは楽器が得意で、ピアノも弾けちゃう。楽譜なしの耳コピで、あっという間に、素晴らしい音源を仕上げてくれた。
その勢いで校歌の伴奏も頼もうと思った。そしたら、ルミちゃんは、ちっちゃな唇を突き出して、首を左右に振った。
「あたし、タカハシ先生のピアノの音、好き。頑張って弾いて」
チョークがポキッと折れたときですら、「今のはラの音」と聞き分けるルミちゃん。彼女の耳に、あたしのズタボロなピアノの音は、どんなふうに届いてるんだろ?
最近、すなおに思う。子どもってすごいなって。四年生の五人は、大人よりも能力の高い部分、みんな持ってる。運動、読書量、花や虫の知識、音楽、図工、魚の捌き方、ほかにもいろいろ。あたしはむしろ、子どもたちに教わる瞬間が好きかもしれない。
全校ダンスになって、対抗チームのテントにいたダイキくんと合流した。ダイキくんは、四年生の中でいちばん遠くから通ってきてる。
「タカハシ先生、やっと一緒に居られるね!」
無邪気でかわいいダイキくん。保護者さんに聞いたところによると、将来の夢は、タカハシ先生と結婚すること、って言ってたらしい。だから最近、マツモト先生のことを微妙に敵視してるらしい。
教えてあげたい。敵視してくれるほどのもんでもないんだよ、って。ため息出てくる。
マツモト先生が、入場門のほうへ走ってくる。地元出身のマツモト先生は、ここにいる全員と顔見知りだ。大人たちの入退場を誘導する係をやりながら、しょっちゅう誰かにつかまってしゃべってる。楽しそう。笑ってる。
ずるい。人気者の存在感を全身から放ってるのが、ずるい。あたしには見せてくれない笑顔で島の人たちと話すのが、ずるい。
こんなこと思ってるあたしは、ガキんちょだ。情けない。わかってる。でも。
くいくい、と。あたしの腕が引っ張られる。見れば、サリナちゃんが小首をかしげている。クラスでいちばん背が高くて、大人っぽい瞬間もある子。
「タカハシ先生、熱中症とかなっとらんよね? 夏にも体調崩しとっとやろ? 無理せんごとしてね」
サリナちゃんは、保健の先生の娘だから、職員室の事情にも詳しい。夏に膀胱炎で倒れたとき、あたし、サリナちゃんママに最初に頼ったもんね。
あたしは慌てて、笑ってみせた。
「大丈夫よ! 久しぶりにこんなにたくさんの人を見てるなーって思ってただけ。島の中にも、何百人かの人が住んでるんだったね」
ちょい待て、あたし。何百人かが集まってるだけで、たくさんと感じるようになってるってヤバいじゃん。あたしの感性、離島化してる……。
マツモト先生が、校長先生をVIP席から回収してきて、一緒に入場門に到着した。大好きなアニメの曲で踊れるからって、子どもたちのテンションが高い。低学年は、はしゃぎ過ぎかも。最初に着く位置とか、ど忘れしちゃったりしないよね?
マツモト先生は、ガキ大将みたいに、子どもたちの前に立った。あ、そっか。あたし、気付いた。今日はマツモト先生がやたらカッコよく見える気がしたんだけど。ハチマキだ。赤いハチマキ。なんか、すごい似合ってるんだ。
マツモト先生が、子どもたちに呼びかける。
「とうちゃんかあちゃん、じいちゃんばあちゃんに、元気か踊りば見すっぞ! 準備はよかか?」
「よかよーっ!」
「じゃ、行くぞ!」
「おーっ!」
えいえいおーが放送席のテントにも見えたみたい。放送委員代理のルミちゃんママが、入場曲を流し始める。これまた子どもたちが大好きな、流行りのアニメの曲。歌いながら走って入場する子どもたち。あたしも、息切れしまくりだけど、一緒に歌う。歌詞、頑張って覚えた。いい曲だなーって思った。
練習どおりの位置に立ち止まる。入場曲がフェードアウトする。みーん、と鳴る校庭のスピーカー。そして、ユーモラスな前奏が流れ始める。
うわぁ、始まっちゃったよ。恥ずかしいけど、楽しんだもん勝ちだよね! キッチリ練習してきたんだし。動画撮るなら撮っちゃっていいよ!
テントから手拍子が聞こえてくる。校庭が広いせいで、音の伝わり方が同時じゃなくて。微妙にリズムがズレた手拍子。でもいい。あったかいから。
体を動かしながら、ぐるっとまわりを見渡してみる。マツモト先生も、子どもたちも、校長先生も、みんな歌いながら、笑いながら、ヘンテコな体操ダンスを踊ってる。
子どものまんまでいられる瞬間。こういうとき、小学校の先生になってよかったって思う。あたし、仕事を楽しんでるんだ。
昨日、教職員を中心に、保護者の皆さんたちも手伝ってくださって、運動会の準備をした。おかげで今日は朝から、腕が筋肉痛でつらい。さっきの玉入れ、腕が上がらなくて、全然戦力になれなかった。さすがに、子どもたちからも文句言われちゃった。
特に、受け持ってる四年生たちのうちで、いちばん生意気なショウマくん。運動神経ばつぐんで、誰よりも運動会に燃えてる。腕組みして、仁王立ちになって、あたしをにらんだ。
「タカハシ先生、頑張らんばダメばい! ほら、マツモト先生はあげん頑張りよるたい!」
何でそこでマツモト先生が出てくるかな!? おませなリホちゃんが、ニヤッと笑って、話に割り込んでくる。
「先生、わかりやすかぁ。さっきから、ずーっと、マツモト先生ば見よるやろ?」
んなことないっ! って否定するのが説得力に欠けるってこと、自分でもわかってる。だって、マツモト先生が悪い。目立ちすぎ。
足が速い。走る姿が力強い。いっそ、美しいっていうくらい、さまになる。マツモト先生が走るのを見て、あたしは、野生動物を思い描いた。テレビの動物番組で見た、サバンナを駆けるライオンやチーター。そういうのを連想したんだ。
マツモト先生が、今日はよく笑う。走り終わって、息を切らして、顔をくしゃっとさせて、白い歯を見せて、笑ってる。汗だらけの、日焼けした少年みたいな笑顔。体を動かすのが楽しくてたまらないって感じで、あたしまで笑いたくなる。
どーしよーっ? あたし今日ヤバいって! 恋する乙女モード中学生バージョン、絶好調発動中! って状態じゃん。シャレになんないし!
忙しいんだよ、今日。運営サイドの人数が少ないから、教員やPTA役員はフル稼働で動かなきゃいけないの。あたしは基本的に、子どもたちの入退場の誘導だけだから、まだ楽。でも、進行の状況には逐一気を配ってなきゃいけない。
そうそう、島民運動会っていう名称なんだよね。小学校の運動会じゃなくて。競技に勝てば、賞品がもらえたりする。野菜とか魚とか、物々交換的な賞品。あたし、お米ほしい。全員リレーのMVPがもらえるやつ。あたしがもらえるはずないけど。てか、マツモト先生がもらってくのは目に見えてるけど。
運動会の司会進行は、放送委員の子どもがやってくれてる。放送委員っていうのは、うちのクラスのルミちゃんとサリナちゃん、二人だけ。委員会活動は、三年生以上の子たちみんながやってる。一年生と二年生も、ウサギのお世話当番を手伝ってる。
「次は、全校ダンスです。皆さん、入場門に集まってください」
キレイな声でアナウンスしたのは、ルミちゃん。今日は、競技以外のところで大活躍してる。
あたしは結局、町歌の伴奏を完璧にするところまで行かなかった。行けそうにないって思ったのが、一週間前。途方に暮れてたら、ルミちゃんが代わってくれたの。ルミちゃんは楽器が得意で、ピアノも弾けちゃう。楽譜なしの耳コピで、あっという間に、素晴らしい音源を仕上げてくれた。
その勢いで校歌の伴奏も頼もうと思った。そしたら、ルミちゃんは、ちっちゃな唇を突き出して、首を左右に振った。
「あたし、タカハシ先生のピアノの音、好き。頑張って弾いて」
チョークがポキッと折れたときですら、「今のはラの音」と聞き分けるルミちゃん。彼女の耳に、あたしのズタボロなピアノの音は、どんなふうに届いてるんだろ?
最近、すなおに思う。子どもってすごいなって。四年生の五人は、大人よりも能力の高い部分、みんな持ってる。運動、読書量、花や虫の知識、音楽、図工、魚の捌き方、ほかにもいろいろ。あたしはむしろ、子どもたちに教わる瞬間が好きかもしれない。
全校ダンスになって、対抗チームのテントにいたダイキくんと合流した。ダイキくんは、四年生の中でいちばん遠くから通ってきてる。
「タカハシ先生、やっと一緒に居られるね!」
無邪気でかわいいダイキくん。保護者さんに聞いたところによると、将来の夢は、タカハシ先生と結婚すること、って言ってたらしい。だから最近、マツモト先生のことを微妙に敵視してるらしい。
教えてあげたい。敵視してくれるほどのもんでもないんだよ、って。ため息出てくる。
マツモト先生が、入場門のほうへ走ってくる。地元出身のマツモト先生は、ここにいる全員と顔見知りだ。大人たちの入退場を誘導する係をやりながら、しょっちゅう誰かにつかまってしゃべってる。楽しそう。笑ってる。
ずるい。人気者の存在感を全身から放ってるのが、ずるい。あたしには見せてくれない笑顔で島の人たちと話すのが、ずるい。
こんなこと思ってるあたしは、ガキんちょだ。情けない。わかってる。でも。
くいくい、と。あたしの腕が引っ張られる。見れば、サリナちゃんが小首をかしげている。クラスでいちばん背が高くて、大人っぽい瞬間もある子。
「タカハシ先生、熱中症とかなっとらんよね? 夏にも体調崩しとっとやろ? 無理せんごとしてね」
サリナちゃんは、保健の先生の娘だから、職員室の事情にも詳しい。夏に膀胱炎で倒れたとき、あたし、サリナちゃんママに最初に頼ったもんね。
あたしは慌てて、笑ってみせた。
「大丈夫よ! 久しぶりにこんなにたくさんの人を見てるなーって思ってただけ。島の中にも、何百人かの人が住んでるんだったね」
ちょい待て、あたし。何百人かが集まってるだけで、たくさんと感じるようになってるってヤバいじゃん。あたしの感性、離島化してる……。
マツモト先生が、校長先生をVIP席から回収してきて、一緒に入場門に到着した。大好きなアニメの曲で踊れるからって、子どもたちのテンションが高い。低学年は、はしゃぎ過ぎかも。最初に着く位置とか、ど忘れしちゃったりしないよね?
マツモト先生は、ガキ大将みたいに、子どもたちの前に立った。あ、そっか。あたし、気付いた。今日はマツモト先生がやたらカッコよく見える気がしたんだけど。ハチマキだ。赤いハチマキ。なんか、すごい似合ってるんだ。
マツモト先生が、子どもたちに呼びかける。
「とうちゃんかあちゃん、じいちゃんばあちゃんに、元気か踊りば見すっぞ! 準備はよかか?」
「よかよーっ!」
「じゃ、行くぞ!」
「おーっ!」
えいえいおーが放送席のテントにも見えたみたい。放送委員代理のルミちゃんママが、入場曲を流し始める。これまた子どもたちが大好きな、流行りのアニメの曲。歌いながら走って入場する子どもたち。あたしも、息切れしまくりだけど、一緒に歌う。歌詞、頑張って覚えた。いい曲だなーって思った。
練習どおりの位置に立ち止まる。入場曲がフェードアウトする。みーん、と鳴る校庭のスピーカー。そして、ユーモラスな前奏が流れ始める。
うわぁ、始まっちゃったよ。恥ずかしいけど、楽しんだもん勝ちだよね! キッチリ練習してきたんだし。動画撮るなら撮っちゃっていいよ!
テントから手拍子が聞こえてくる。校庭が広いせいで、音の伝わり方が同時じゃなくて。微妙にリズムがズレた手拍子。でもいい。あったかいから。
体を動かしながら、ぐるっとまわりを見渡してみる。マツモト先生も、子どもたちも、校長先生も、みんな歌いながら、笑いながら、ヘンテコな体操ダンスを踊ってる。
子どものまんまでいられる瞬間。こういうとき、小学校の先生になってよかったって思う。あたし、仕事を楽しんでるんだ。