マツモト先生のこと―離島で先生になりました―
十月最初の火曜日:学習発表会(一)
学習発表会って、あたしが通ってた小学校にはなかった。文化系のイベントっていったら、四年生のときに市の音楽祭に参加したくらい? 毎年必ず四年生が市の音楽祭のステージで合唱するって決まってたんだ。
離島の学校では、たいていどこでも、学習発表会がある。文化祭のステージ企画オンリー、みたいな感じ。そういえば、幼稚園のころは、おゆうぎかいってのがあった。文化祭よりは、おゆうぎかいに近いかもしれない。
人数が少ないから、子どもたちは大忙し。クラス毎の出番あり、全員での合唱あり、合奏あり。地区別での出し物に駆り出される子もいる。
そうなの。学習発表会も、地域の皆さんが参加して盛大におこなわれるの。おかげで、あたしも出番が多い。教員としては合唱をして、地区の出し物では花笠音頭を踊る。昼間は子どもたちの舞台指導をしつつ、夜は大人の出演者たちと練習。当日までの準備だの、当日の進行や運営だの、裏方もやらなきゃいけなくて。
「体力、保たない……」
子どもたちが帰った図工室で、ため息。言い忘れてたけど、もちろん普段の授業も並行してやってます。
あたしは今、B6サイズのプログラムの冊子を作成してるところ。量としては、印刷屋に頼んだらあっという間に仕上がりそうな勢いで小規模。でも、自力でやんなきゃいけないとなると、大変なんだ。デザインからコピー、裁断、折って挟んでホチキスで留める。地味な仕事だし、めちゃめちゃ肩が凝るし。
隣の大机で作業してるマツモト先生が、手を止めて顔を上げた。
「風邪やら引かんでくださいよ」
「わかってますー」
「その喉は、使いすぎで嗄れとるだけですか?」
「そうみたいですね」
「運動会からこっち、ずっと、そげん声でしょう?」
「まあ、はしゃいじゃったんで」
ふふっ、と、マツモト先生が笑った。
え、何、今の笑い方? なんかものすごく柔らかくなかった? 少年っぽいキラキラ笑顔しか知らないよ、あたし? この人、それとは違う顔もするわけ? 大人の顔でも笑うわけ?
マツモト先生は、手にしていた筆を硯に置いて、大きく伸びをした。肩を回すと、かすかに、関節がぱきぱき鳴るのが聞こえた。さすがのマツモト先生も疲れてるんだ。
大机には、条幅サイズの紙が並んでて、書かれたばっかりの文字が天井を仰いでる。マツモト先生は、舞台袖に掲示するためのプログラムを作ってる最中だ。
落語の舞台で演目を見せる看板みたいなの、あるでしょ? マツモト先生が作ってるのは、まさにあんなやつ。昨日は、土台のほうを作ってた。今日は、こうやってプログラムの文字書きをしてる。字、上手だな。シャープで力強い筆遣い。マツモト先生らしい字だ。
「書きますか?」
いきなり、マツモト先生があたしに言った。
「書くって、何をですか?」
「プログラム」
「マツモト先生のほうが字がうまいでしょ!」
「子どもたちは、タカハシ先生の字ば好いとりますよ」
「はぁっ!? 嘘!?」
「嘘じゃなかです。タカハシ先生は、形の整った優しか字ば書くでしょう? 子どもたちは、そげん字が好きです。おれは真似しきらん」
真似しなくていいし! 子どもっぽくてカッコ悪いじゃん、あたしの字! 頑張って丸字は直したけど、ペンの持ち方は直らないしね。
「あたしはマツモト先生の字、カッコいいと思うし、好きですよ」
「え……あ……ざまん?」
ざまん、っていうのは、本当に、って意味の方言だ。たびたび聞くうちに覚えた。てか、何でそんなに目を丸くするかな、マツモト先生?
「嘘はついてませんけど?」
「初めてタカハシ先生に誉められた」
「でしたっけ?」
「はい」
んー、そうだっけ?
「ほんと、何でもできますよね、マツモト先生は。手先が器用だし、スポーツも得意だし、字も上手だし、子どもたちに好かれてるし。この半年で思い知ったんですけど、小学校の先生って、想像以上にパーフェクトを求められるんだな、って。教科は全部わかってなきゃいけなくて、体育や音楽も自分でやんなきゃいけなくて、子どもたちからも保護者さんからも信頼してもらえるように頑張らなきゃいけなくて。難しいのに、マツモト先生、全部できてる。うらやましいです」
口に出して、自分でも気付いた。そうだ。あたし、言ったことないよね。
いっつも考えてること、ぐるぐる悩んだりすることを、初めてマツモト先生の前で言葉にした。
今、もう一つ気付いた。尊敬してるんだ、って。
あたしはマツモト先生のことを尊敬してる。ムカつくときもあるし、彼氏として接してはくれないし。でも、人間として尊敬してる。
まわりが噂を立てるから、勢いで「付き合う!」ってことにした。展開が速すぎて、自分でも、わけわかんなかった。だけど、ちゃんと道の途中にいるんだよ。この尊敬は、きっと、違う形に育っていくから。
二人きりの図工室で、お互い作業の手を止めて、目を見て話をしている。ドキドキしてないわけじゃない。でも今は“職場の先輩後輩”の距離で、居心地がいい。マツモト先生が、照れ笑いして、下を向いた。
「おれは……歌は、下手です」
「知ってます」
マツモト先生が、くくっと笑い出した。二人で、声をあげて笑った。
離島の学校では、たいていどこでも、学習発表会がある。文化祭のステージ企画オンリー、みたいな感じ。そういえば、幼稚園のころは、おゆうぎかいってのがあった。文化祭よりは、おゆうぎかいに近いかもしれない。
人数が少ないから、子どもたちは大忙し。クラス毎の出番あり、全員での合唱あり、合奏あり。地区別での出し物に駆り出される子もいる。
そうなの。学習発表会も、地域の皆さんが参加して盛大におこなわれるの。おかげで、あたしも出番が多い。教員としては合唱をして、地区の出し物では花笠音頭を踊る。昼間は子どもたちの舞台指導をしつつ、夜は大人の出演者たちと練習。当日までの準備だの、当日の進行や運営だの、裏方もやらなきゃいけなくて。
「体力、保たない……」
子どもたちが帰った図工室で、ため息。言い忘れてたけど、もちろん普段の授業も並行してやってます。
あたしは今、B6サイズのプログラムの冊子を作成してるところ。量としては、印刷屋に頼んだらあっという間に仕上がりそうな勢いで小規模。でも、自力でやんなきゃいけないとなると、大変なんだ。デザインからコピー、裁断、折って挟んでホチキスで留める。地味な仕事だし、めちゃめちゃ肩が凝るし。
隣の大机で作業してるマツモト先生が、手を止めて顔を上げた。
「風邪やら引かんでくださいよ」
「わかってますー」
「その喉は、使いすぎで嗄れとるだけですか?」
「そうみたいですね」
「運動会からこっち、ずっと、そげん声でしょう?」
「まあ、はしゃいじゃったんで」
ふふっ、と、マツモト先生が笑った。
え、何、今の笑い方? なんかものすごく柔らかくなかった? 少年っぽいキラキラ笑顔しか知らないよ、あたし? この人、それとは違う顔もするわけ? 大人の顔でも笑うわけ?
マツモト先生は、手にしていた筆を硯に置いて、大きく伸びをした。肩を回すと、かすかに、関節がぱきぱき鳴るのが聞こえた。さすがのマツモト先生も疲れてるんだ。
大机には、条幅サイズの紙が並んでて、書かれたばっかりの文字が天井を仰いでる。マツモト先生は、舞台袖に掲示するためのプログラムを作ってる最中だ。
落語の舞台で演目を見せる看板みたいなの、あるでしょ? マツモト先生が作ってるのは、まさにあんなやつ。昨日は、土台のほうを作ってた。今日は、こうやってプログラムの文字書きをしてる。字、上手だな。シャープで力強い筆遣い。マツモト先生らしい字だ。
「書きますか?」
いきなり、マツモト先生があたしに言った。
「書くって、何をですか?」
「プログラム」
「マツモト先生のほうが字がうまいでしょ!」
「子どもたちは、タカハシ先生の字ば好いとりますよ」
「はぁっ!? 嘘!?」
「嘘じゃなかです。タカハシ先生は、形の整った優しか字ば書くでしょう? 子どもたちは、そげん字が好きです。おれは真似しきらん」
真似しなくていいし! 子どもっぽくてカッコ悪いじゃん、あたしの字! 頑張って丸字は直したけど、ペンの持ち方は直らないしね。
「あたしはマツモト先生の字、カッコいいと思うし、好きですよ」
「え……あ……ざまん?」
ざまん、っていうのは、本当に、って意味の方言だ。たびたび聞くうちに覚えた。てか、何でそんなに目を丸くするかな、マツモト先生?
「嘘はついてませんけど?」
「初めてタカハシ先生に誉められた」
「でしたっけ?」
「はい」
んー、そうだっけ?
「ほんと、何でもできますよね、マツモト先生は。手先が器用だし、スポーツも得意だし、字も上手だし、子どもたちに好かれてるし。この半年で思い知ったんですけど、小学校の先生って、想像以上にパーフェクトを求められるんだな、って。教科は全部わかってなきゃいけなくて、体育や音楽も自分でやんなきゃいけなくて、子どもたちからも保護者さんからも信頼してもらえるように頑張らなきゃいけなくて。難しいのに、マツモト先生、全部できてる。うらやましいです」
口に出して、自分でも気付いた。そうだ。あたし、言ったことないよね。
いっつも考えてること、ぐるぐる悩んだりすることを、初めてマツモト先生の前で言葉にした。
今、もう一つ気付いた。尊敬してるんだ、って。
あたしはマツモト先生のことを尊敬してる。ムカつくときもあるし、彼氏として接してはくれないし。でも、人間として尊敬してる。
まわりが噂を立てるから、勢いで「付き合う!」ってことにした。展開が速すぎて、自分でも、わけわかんなかった。だけど、ちゃんと道の途中にいるんだよ。この尊敬は、きっと、違う形に育っていくから。
二人きりの図工室で、お互い作業の手を止めて、目を見て話をしている。ドキドキしてないわけじゃない。でも今は“職場の先輩後輩”の距離で、居心地がいい。マツモト先生が、照れ笑いして、下を向いた。
「おれは……歌は、下手です」
「知ってます」
マツモト先生が、くくっと笑い出した。二人で、声をあげて笑った。