マツモト先生のこと―離島で先生になりました―
十月三回目の日曜日:学習発表会(二)
運動会の代休の翌日、四年生の子どもたち五人は、学習発表会の演目を決める学活をした。最初の十分間は、あーだこーだ言って、まとまりそうになかった。でも、人なつっこくてかわいいダイキくんの一言で、方向性が決まった。
「タカハシ先生の好きな歌ば歌おう!」
「さんせーい!」
「歌だけじゃなくて、合奏しながら歌おう!」
「できると?」
「ルミちゃんがおるけん、できるばい!」
「楽譜、作るよー!」
「そぃなら、できるたいね!」
ということで、あたしに質問が回ってきた。
「タカハシ先生の好きな歌、何?」
えーっと、ここで流行りのJ-POPとか、学生時代の思い出の泣き歌とか言っちゃマズいよね。子どもたちもわかる歌がいいでしょ? アニソン? ディズニー? ジブリ?
あ、そーだ。
「みんなは『カントリー・ロード』っていう歌、知ってる? ジブリ映画の主題歌なの。先生が四年生のときに市の音楽祭で歌ったんだよ」
音楽の先生はまだ若い人で、着任の挨拶でも『耳をすませば』が大好きだって言ってた。女の子たちは、おしゃれなその先生のことが好きだった。学校が休みの日、みんなで『耳をすませば』のDVDを借りてきて観た記憶がある。
二学期にあった市の音楽祭で『カントリー・ロード』を歌った。なんか気に入っちゃって、五年生の学習遠足や六年生の修学旅行のバスの中でも、どのクラスも『カントリー・ロード』を歌った。
そういう事情を知ってる先生が、卒業式の退場のときにも『カントリー・ロード』を流してくれた。あれで泣いちゃったんだよね、みんな。
あたしは、そんな思い出話を子どもたちに聞かせた。子どもたちは、目をキラキラさせて聞いてくれた。
「じゃあ、『カントリー・ロード』で決まりやね!」
リホちゃんが音頭を取って、ほか四人も賛成して、生意気いたずらっ子のショウマくんがニヤッと笑って提案した。
「タカハシ先生は、本番まで聴かんでほしか」
いや、それ無理でしょ。練習の指導、あたしがするんだし。と思ったんだけど。
ちょうどそのとき、教室の戸口に六年生の男の子が立った。ショウマくんのおにいちゃん、ユウマくんだ。ユウマくんは、ショウマくんとそっくりな感じに笑った。
「タカハシ先生、マツモト先生とチェンジして! おれたち五・六年クラスは、マツモト先生に内緒で練習ばするけん。四年も、先生ばチェンジするほうが、よかやろ?」
ははぁ、こいつら、家で打ち合わせしてきたんだな。そういうの、ありなの?
「みんなの意見はわかったわ。学活が終わったら、校長先生やマツモト先生と相談してみるから。ちょっと待っててね」
ユウマくんも含めて、全員が「はーい!」と、いい返事をした。
で、マツモト先生と一緒に、校長先生に相談しに行った。一瞬でOKが出た。校長先生は嬉しそうだった。
「子どもたちに好かれとりますね、マツモト先生もタカハシ先生も。そげん言うてくれる子どもたちは、宝物ですよ。大事にせんばね」
マツモト先生が受け持ってる五・六年生との時間割調整は、ものすごく簡単だった。四年生は音楽室を使うから、三年生以下の子どもたちや全校合唱・合奏の練習との兼ね合いだけ調整した。
学習発表会の練習の時間、あたしは五・六年生クラスに行くことになった。五・六年生は合計六人。全員、うちのクラスの子の兄弟か親戚。とっくに顔も名前も一致してるから、何の問題もない。
でも、教室の雰囲気は全然違うんだ。学究目標も時間割表も、何もかもマツモト先生の字。高学年らしくキリッとしてる印象。
それと、十一月に迫った修学旅行の計画表なんかも貼ってある。二学年合同での、たった七人の修学旅行。引率は、マツモト先生と校長先生と保健の先生。天気が荒れて船が欠航したら、修学旅行そのものがなくなっちゃうらしい。
五・六年生の演目は、六年生の国語の教科書に載ってる『狂言・清水』。六年生を含むクラスが狂言をやるのは、この学校の伝統なんだって。難しいセリフを丸暗記。でも、それだけじゃ、四年生以下の子どもたちにはわからない。
「そぃけん、バイリンガルバージョンでやると」
なんじゃそりゃ? と、キョトンとしたら、児童会長のサホリちゃんが解説してくれた。
「まず、昔の言葉でやると。次に、同じ場面ば今の言葉でやると。動き方もね、狂言の動きでやって、今の普通の動きでもやって、二回やるけん、みんな、意味のわかるはずばい」
マツモト先生の入れ知恵とかじゃなく、自分たちで考え出した演出らしい。サホリちゃんの国語のノートを見せてもらったら、現代語版『狂言・清水』のシナリオの原案があった。
(昔の言葉)
☆始め
主人 :このあたりの者でござる。ちかごろ、ほうぼうの茶の湯の会がさかんでござる。
☆最後
太郎冠者:御許されませ、御許されませ。
主人 :やるまいぞ、やるまいぞ。
(今の言葉)
☆始め
主人 :私はこのあたりに住んでいる者です。最近、あちこちで、お茶会を開いている人がたくさんいます。
☆最後
太郎冠者:すんません、勘弁してくださーい!
主人 :待てー! 絶対許さーん!
ユウマくんが、チャレンジャーな目でニヤッと笑った。
「すげー劇ばやって、マツモト先生ばビックリさせてやりたか!」
なるほど。だから、あたしのクラスと入れ替えで練習したかったんだ。
「うまくいったらいいね」
「うまくいくごと、タカハシ先生が監督してくれんばいけんとばい」
うぅ、できるかなぁ……? 今年の五・六年生、おっそろしく頭のいい子が揃ってるんです。知能テストの結果も知ってるけど、ほんとすごい。校長先生も言ってた。
「たまに、こげん『当たり年』のあるとですよ」
島から東大に行く子も、十数年に一人いるらしい。ひゃあ。
そして、今日がついに本番。あたしは進行の裏方で駆け回りつつ、自分の花笠音頭もこなした。五・六年生の劇、すっごく上手だった。逃げる太郎冠者を主人が追いかけるラストでは、子どもたちが笑ってた。
お昼休みもバタバタで、立ったままおにぎりを食べて、午後一発目の教員合唱に備えた。教員合唱の伴奏は、マツモト先生のアコーディオン。
マツモト先生は、歌わずにすむポジションをちゃっかり持っていったわけだ。でも、ノスタルジックなアコーディオンの音は『ふるさと』や『岬めぐり』にピッタリだった。お年寄りたちが喜んでくれて、拍手が温かかった。
「次は、四年生による合唱・合奏。曲は『カントリー・ロード』です。この歌は、タカハシ先生の小学校時代の思い出が詰まった歌だそうです。わたしたち四年生は、タカハシ先生のために、精いっぱい演奏します。皆さん、応援よろしくお願いします」
放送委員のルミちゃんってば、自分でアナウンスして、自分で出演するんだ。あたしも、楽器をステージに配置してから客席に飛んで戻るっていう、一人二役だけど。
四年生の五人は、緊張してるように見えた。ルミちゃんがピアノで、最初のファの音を出す。始まりのサビは、アカペラ。五人の幼い声が、ピッタリと、一つのメロディを描き出す。
ルミちゃんのピアノとサリナちゃんのタンバリンが伴奏。Aメロは、一人ずつのソロだ。
「ダイキは、最初は声が出らんで苦労したとですよ」
いつの間にか、マツモト先生が隣にいた。真っ赤な顔で歌ってるダイキくんは、普段の音楽の授業では、確かに声が小さい。
「でも、今日は元気に歌えてます」
「練習しとりましたけん」
間奏で、全員が楽器を取った。ダイキくんとショウマくんがリコーダー。リホちゃんが鉄琴。サリナちゃんはタンバリンを置いて、木琴に変わる。
原曲では、リコーダーとバイオリンとの掛け合いになってるパートだ。バイオリンを鉄琴と木琴に置き換えて、五人の音色が絡み合う。
「ショウマくん、すごい……!」
リコーダー、ほんとに苦手だったはずなのに。左手だけで吹けるソ・ラ・シ・ド・レしかダメだったはすなのに。難しくて速いフレーズを、ちゃんと全部吹けてる。
確かにCDみたいな完璧な音じゃない。でも十分、いや十分以上に、頑張ってくれたんだってことが伝わってくる。
間奏明けのサビで、ルミちゃんとリホちゃんがハモりを歌った。たった五人の合唱って、こんなに力強いものなの? なんか、ダメ。喉の奥がゴツゴツ熱くて、鼻がツンとする。
ラストのワンフレーズ。ピアノもタンバリンもない、静寂。そこに響き渡る、子どもたちのユニゾン。
カントリー・ロード……。
涙が出た。拍手しながら、ボロボロ泣けて、どうしようもなかった。
駆け出しの未熟な教師に過ぎないあたしのために、子どもたちがこんなに一生懸命になってくれた。ふるさとでも理想郷でもない、このちっちゃな離島の小学校が、愛しくて愛しくてたまらない。
子どもたちがおじぎをして、ステージから引っ込んでいく。あたしは、全然涙が止まらなくて、客席で顔を覆って、ぐすぐすやり続けた。マツモト先生が、あたしの肩を、ぽんぽん叩いてくれた。
「ざまん、よかったですね」
うん、ざまん、よかったです。一生忘れられない。ありがとう、みんな。
「タカハシ先生の好きな歌ば歌おう!」
「さんせーい!」
「歌だけじゃなくて、合奏しながら歌おう!」
「できると?」
「ルミちゃんがおるけん、できるばい!」
「楽譜、作るよー!」
「そぃなら、できるたいね!」
ということで、あたしに質問が回ってきた。
「タカハシ先生の好きな歌、何?」
えーっと、ここで流行りのJ-POPとか、学生時代の思い出の泣き歌とか言っちゃマズいよね。子どもたちもわかる歌がいいでしょ? アニソン? ディズニー? ジブリ?
あ、そーだ。
「みんなは『カントリー・ロード』っていう歌、知ってる? ジブリ映画の主題歌なの。先生が四年生のときに市の音楽祭で歌ったんだよ」
音楽の先生はまだ若い人で、着任の挨拶でも『耳をすませば』が大好きだって言ってた。女の子たちは、おしゃれなその先生のことが好きだった。学校が休みの日、みんなで『耳をすませば』のDVDを借りてきて観た記憶がある。
二学期にあった市の音楽祭で『カントリー・ロード』を歌った。なんか気に入っちゃって、五年生の学習遠足や六年生の修学旅行のバスの中でも、どのクラスも『カントリー・ロード』を歌った。
そういう事情を知ってる先生が、卒業式の退場のときにも『カントリー・ロード』を流してくれた。あれで泣いちゃったんだよね、みんな。
あたしは、そんな思い出話を子どもたちに聞かせた。子どもたちは、目をキラキラさせて聞いてくれた。
「じゃあ、『カントリー・ロード』で決まりやね!」
リホちゃんが音頭を取って、ほか四人も賛成して、生意気いたずらっ子のショウマくんがニヤッと笑って提案した。
「タカハシ先生は、本番まで聴かんでほしか」
いや、それ無理でしょ。練習の指導、あたしがするんだし。と思ったんだけど。
ちょうどそのとき、教室の戸口に六年生の男の子が立った。ショウマくんのおにいちゃん、ユウマくんだ。ユウマくんは、ショウマくんとそっくりな感じに笑った。
「タカハシ先生、マツモト先生とチェンジして! おれたち五・六年クラスは、マツモト先生に内緒で練習ばするけん。四年も、先生ばチェンジするほうが、よかやろ?」
ははぁ、こいつら、家で打ち合わせしてきたんだな。そういうの、ありなの?
「みんなの意見はわかったわ。学活が終わったら、校長先生やマツモト先生と相談してみるから。ちょっと待っててね」
ユウマくんも含めて、全員が「はーい!」と、いい返事をした。
で、マツモト先生と一緒に、校長先生に相談しに行った。一瞬でOKが出た。校長先生は嬉しそうだった。
「子どもたちに好かれとりますね、マツモト先生もタカハシ先生も。そげん言うてくれる子どもたちは、宝物ですよ。大事にせんばね」
マツモト先生が受け持ってる五・六年生との時間割調整は、ものすごく簡単だった。四年生は音楽室を使うから、三年生以下の子どもたちや全校合唱・合奏の練習との兼ね合いだけ調整した。
学習発表会の練習の時間、あたしは五・六年生クラスに行くことになった。五・六年生は合計六人。全員、うちのクラスの子の兄弟か親戚。とっくに顔も名前も一致してるから、何の問題もない。
でも、教室の雰囲気は全然違うんだ。学究目標も時間割表も、何もかもマツモト先生の字。高学年らしくキリッとしてる印象。
それと、十一月に迫った修学旅行の計画表なんかも貼ってある。二学年合同での、たった七人の修学旅行。引率は、マツモト先生と校長先生と保健の先生。天気が荒れて船が欠航したら、修学旅行そのものがなくなっちゃうらしい。
五・六年生の演目は、六年生の国語の教科書に載ってる『狂言・清水』。六年生を含むクラスが狂言をやるのは、この学校の伝統なんだって。難しいセリフを丸暗記。でも、それだけじゃ、四年生以下の子どもたちにはわからない。
「そぃけん、バイリンガルバージョンでやると」
なんじゃそりゃ? と、キョトンとしたら、児童会長のサホリちゃんが解説してくれた。
「まず、昔の言葉でやると。次に、同じ場面ば今の言葉でやると。動き方もね、狂言の動きでやって、今の普通の動きでもやって、二回やるけん、みんな、意味のわかるはずばい」
マツモト先生の入れ知恵とかじゃなく、自分たちで考え出した演出らしい。サホリちゃんの国語のノートを見せてもらったら、現代語版『狂言・清水』のシナリオの原案があった。
(昔の言葉)
☆始め
主人 :このあたりの者でござる。ちかごろ、ほうぼうの茶の湯の会がさかんでござる。
☆最後
太郎冠者:御許されませ、御許されませ。
主人 :やるまいぞ、やるまいぞ。
(今の言葉)
☆始め
主人 :私はこのあたりに住んでいる者です。最近、あちこちで、お茶会を開いている人がたくさんいます。
☆最後
太郎冠者:すんません、勘弁してくださーい!
主人 :待てー! 絶対許さーん!
ユウマくんが、チャレンジャーな目でニヤッと笑った。
「すげー劇ばやって、マツモト先生ばビックリさせてやりたか!」
なるほど。だから、あたしのクラスと入れ替えで練習したかったんだ。
「うまくいったらいいね」
「うまくいくごと、タカハシ先生が監督してくれんばいけんとばい」
うぅ、できるかなぁ……? 今年の五・六年生、おっそろしく頭のいい子が揃ってるんです。知能テストの結果も知ってるけど、ほんとすごい。校長先生も言ってた。
「たまに、こげん『当たり年』のあるとですよ」
島から東大に行く子も、十数年に一人いるらしい。ひゃあ。
そして、今日がついに本番。あたしは進行の裏方で駆け回りつつ、自分の花笠音頭もこなした。五・六年生の劇、すっごく上手だった。逃げる太郎冠者を主人が追いかけるラストでは、子どもたちが笑ってた。
お昼休みもバタバタで、立ったままおにぎりを食べて、午後一発目の教員合唱に備えた。教員合唱の伴奏は、マツモト先生のアコーディオン。
マツモト先生は、歌わずにすむポジションをちゃっかり持っていったわけだ。でも、ノスタルジックなアコーディオンの音は『ふるさと』や『岬めぐり』にピッタリだった。お年寄りたちが喜んでくれて、拍手が温かかった。
「次は、四年生による合唱・合奏。曲は『カントリー・ロード』です。この歌は、タカハシ先生の小学校時代の思い出が詰まった歌だそうです。わたしたち四年生は、タカハシ先生のために、精いっぱい演奏します。皆さん、応援よろしくお願いします」
放送委員のルミちゃんってば、自分でアナウンスして、自分で出演するんだ。あたしも、楽器をステージに配置してから客席に飛んで戻るっていう、一人二役だけど。
四年生の五人は、緊張してるように見えた。ルミちゃんがピアノで、最初のファの音を出す。始まりのサビは、アカペラ。五人の幼い声が、ピッタリと、一つのメロディを描き出す。
ルミちゃんのピアノとサリナちゃんのタンバリンが伴奏。Aメロは、一人ずつのソロだ。
「ダイキは、最初は声が出らんで苦労したとですよ」
いつの間にか、マツモト先生が隣にいた。真っ赤な顔で歌ってるダイキくんは、普段の音楽の授業では、確かに声が小さい。
「でも、今日は元気に歌えてます」
「練習しとりましたけん」
間奏で、全員が楽器を取った。ダイキくんとショウマくんがリコーダー。リホちゃんが鉄琴。サリナちゃんはタンバリンを置いて、木琴に変わる。
原曲では、リコーダーとバイオリンとの掛け合いになってるパートだ。バイオリンを鉄琴と木琴に置き換えて、五人の音色が絡み合う。
「ショウマくん、すごい……!」
リコーダー、ほんとに苦手だったはずなのに。左手だけで吹けるソ・ラ・シ・ド・レしかダメだったはすなのに。難しくて速いフレーズを、ちゃんと全部吹けてる。
確かにCDみたいな完璧な音じゃない。でも十分、いや十分以上に、頑張ってくれたんだってことが伝わってくる。
間奏明けのサビで、ルミちゃんとリホちゃんがハモりを歌った。たった五人の合唱って、こんなに力強いものなの? なんか、ダメ。喉の奥がゴツゴツ熱くて、鼻がツンとする。
ラストのワンフレーズ。ピアノもタンバリンもない、静寂。そこに響き渡る、子どもたちのユニゾン。
カントリー・ロード……。
涙が出た。拍手しながら、ボロボロ泣けて、どうしようもなかった。
駆け出しの未熟な教師に過ぎないあたしのために、子どもたちがこんなに一生懸命になってくれた。ふるさとでも理想郷でもない、このちっちゃな離島の小学校が、愛しくて愛しくてたまらない。
子どもたちがおじぎをして、ステージから引っ込んでいく。あたしは、全然涙が止まらなくて、客席で顔を覆って、ぐすぐすやり続けた。マツモト先生が、あたしの肩を、ぽんぽん叩いてくれた。
「ざまん、よかったですね」
うん、ざまん、よかったです。一生忘れられない。ありがとう、みんな。