マツモト先生のこと―離島で先生になりました―
ぐるぐる:忘年会
二十四日が終業式で、その夜が忘年会だった。あたしを含めて、ほとんどの先生方が島外の出身だから、明日か明後日には、みんな島を離れて帰省する。ってことで、イヴでも関係なく、さっさと年中行事を済ませちゃう方針らしい。
まあ、それでいいと思ったけどね。「イヴだからデートしたら?」とか言われても、おうちデート以外の選択肢がないの。マツモト先生とのおうちデートじゃ、一緒に仕事するだけになりそうだし。
忘年会の会場は、校長先生のお宅だ。飲み会は、いつもそう。誰かの家の居間をぶち抜きで使うか公民館を使うかの二択が、離島のスタンダードらしい。もうちょっと大き目サイズの島に行かないと、大学時代に見知ってるような居酒屋は存在しない。
あたしは校長先生のお隣に住んでるし、教師の中でいちばん下っ端。飲み会のときには、率先して、校長先生の奥さんのお手伝いをしに行く。料理を覚えたいってのもある。いろいろ不自由な離島暮らしを続けてると、自力で何でもできなきゃマズいって思うんだよね。
校長先生の奥さんは、いつもにこにこ優しい笑顔。あたし、すっごく好き。奥さんは手先が器用で、家の中にも手作りのものがたくさんある。パッチワークとか、革細工とか、ちぎり絵とか。
「あっ、奥さんのセーター、もしかして手編みですか?」
「わかるかしら?」
「わかりますよー! 温かそうだし、ステキですね!」
「ありがとう。わたしは昼間、ひとりで暇やけんね」
「ほんっとに器用ですよね。うらやましいです」
乾杯のときには、奥さんも隅っこで参加してた。お手製の和風エプロンをしたままで、隣に座ったあたしとビールのグラスをカチンとして、それから、すぐに台所に戻っていった。あたしも追いかけた。
座ってていいよ、って言われるんだけど、できないよね。キッチンが奥さんひとりじゃ、やっぱり大変そう。
まだまだ料理下手のあたしでも、仕事はある。揚げたての魚のから揚げを、バットからお皿に盛りつけて、テーブルに運ぶ。空いたビール瓶をかき集めてきて、新しいのと交換する。役得って感じで、出来立てほやほやの料理を味見させてもらったりもする。
アラの煮物を運んでいったときだった。すでに真っ赤な顔をした校長先生から手招きされた。
「タカハシ先生、ちょっと座らんですか?」
「あ、はい」
えーっと、あたしのグラスとお皿とお箸、どれだ? きょろきょろしたら、マツモト先生がワンセット、差し出してくれた。確保してくれてたらしい。あたしはマツモト先生にお礼を言って、校長先生のそばに正座をした。マツモト先生も、あたしの隣に正座をした。あたしはちょっとそわそわしてしまう。
オホン、と校長先生が咳払いをした。
「噂で聞いとるとばってん、お二人は付き合いよるとでしょう?」
空気が、ざわっとして、しんとした。うわぁ、みんな聞き耳立ててるし。
マツモト先生が、ハッキリ言った。
「付き合っとります。お互い、実家のほうにも挨拶してあります」
あー、ちょい待ち。確かに挨拶済みです。あたしなんて、付き合う前から、マツモト先生の家にお邪魔してたくらいだし。
でもね、挨拶が先なんだよね。手をつなぐとか、キスするとか、そういうのよりも。なのに「実家にも挨拶」ってさ、勘違いを生む表現だと思うんですけど。
案の定、先生方がざわざわしつつ、拍手してくださった。何でしょう、この微妙な居心地悪さは?
校長先生は、にこっとして、うんうんとうなずいて、それから、まじめな顔になった。
「お二人のことやけん、きちっとしとるとは思います。ばってん、差し出がましか助言ばさせてもらいますね。マツモト先生、結婚ば考えとるなら、時期ば選びなさい。具体的に言えば、三月。お二人にとってうまくいくごと、私も教育委員会にお願いするけん。きちっと報告してください」
校長先生は「きちっと」って二回も言った。教師だから折り目とか節目とか考えて行動しなさいってこと?
マツモト先生は、少し黙っていた。そして、あたしのほうを見ながら、校長先生に答えた。
「おれは、タカハシ先生の意思ば尊重したか、と思っとります」
「え? あたし?」
酒豪のマツモト先生は、まぶたがかすかに赤くなってるだけで、普段とあんまり変わらない。もそっとしたしゃべり方で、言った。
「夫婦は、同じ学校に勤めることができんとです。今この島で結婚したら、少なくとも片方は、転勤せんばいかん。両方動ければ、よか。ばってん、よその学校の状況次第では、片方しか動けんかもしれん」
「え……単身赴任ってこと……?」
「その転勤の辞令がイヤやったら、どっちかが仕事ば辞めんばいかん」
「どっちかって……あたし、ですよね……?」
ガラガラと足元が崩れてくみたいな衝撃。冷たい水を浴びせられた気分。現実って、そうなんだ。
マツモト先生が、かすかに微笑んだ。眉尻が、かすかに下がってる。小さな表情の変化だけど、あたしは見付けられるようになった。
「時期ば選んでください。お任せしますけん。おれは、いつでも、お迎えします」
「あ……はい……」
あたしがうなずいたら、いきなり、校長先生が拍手した。「いよっ!」って声を掛けられて、気付いた。プロポーズみたいなせりふだな、って。
でも。
あたしは、頭の中がぐるぐるしてる。
結婚? 転勤? 島を離れる? 単身赴任? いろんな可能性が、ぐちゃぐちゃに飛び交ってて。
ビール、飲んじゃおう。頭、痛くなっちゃおう。家に引っ込んじゃおう。
社会人としてダメなことを思い付いて、実行することにした。マツモト先生が家まで送ってくれたけど、送ってくれただけだった。
まあ、それでいいと思ったけどね。「イヴだからデートしたら?」とか言われても、おうちデート以外の選択肢がないの。マツモト先生とのおうちデートじゃ、一緒に仕事するだけになりそうだし。
忘年会の会場は、校長先生のお宅だ。飲み会は、いつもそう。誰かの家の居間をぶち抜きで使うか公民館を使うかの二択が、離島のスタンダードらしい。もうちょっと大き目サイズの島に行かないと、大学時代に見知ってるような居酒屋は存在しない。
あたしは校長先生のお隣に住んでるし、教師の中でいちばん下っ端。飲み会のときには、率先して、校長先生の奥さんのお手伝いをしに行く。料理を覚えたいってのもある。いろいろ不自由な離島暮らしを続けてると、自力で何でもできなきゃマズいって思うんだよね。
校長先生の奥さんは、いつもにこにこ優しい笑顔。あたし、すっごく好き。奥さんは手先が器用で、家の中にも手作りのものがたくさんある。パッチワークとか、革細工とか、ちぎり絵とか。
「あっ、奥さんのセーター、もしかして手編みですか?」
「わかるかしら?」
「わかりますよー! 温かそうだし、ステキですね!」
「ありがとう。わたしは昼間、ひとりで暇やけんね」
「ほんっとに器用ですよね。うらやましいです」
乾杯のときには、奥さんも隅っこで参加してた。お手製の和風エプロンをしたままで、隣に座ったあたしとビールのグラスをカチンとして、それから、すぐに台所に戻っていった。あたしも追いかけた。
座ってていいよ、って言われるんだけど、できないよね。キッチンが奥さんひとりじゃ、やっぱり大変そう。
まだまだ料理下手のあたしでも、仕事はある。揚げたての魚のから揚げを、バットからお皿に盛りつけて、テーブルに運ぶ。空いたビール瓶をかき集めてきて、新しいのと交換する。役得って感じで、出来立てほやほやの料理を味見させてもらったりもする。
アラの煮物を運んでいったときだった。すでに真っ赤な顔をした校長先生から手招きされた。
「タカハシ先生、ちょっと座らんですか?」
「あ、はい」
えーっと、あたしのグラスとお皿とお箸、どれだ? きょろきょろしたら、マツモト先生がワンセット、差し出してくれた。確保してくれてたらしい。あたしはマツモト先生にお礼を言って、校長先生のそばに正座をした。マツモト先生も、あたしの隣に正座をした。あたしはちょっとそわそわしてしまう。
オホン、と校長先生が咳払いをした。
「噂で聞いとるとばってん、お二人は付き合いよるとでしょう?」
空気が、ざわっとして、しんとした。うわぁ、みんな聞き耳立ててるし。
マツモト先生が、ハッキリ言った。
「付き合っとります。お互い、実家のほうにも挨拶してあります」
あー、ちょい待ち。確かに挨拶済みです。あたしなんて、付き合う前から、マツモト先生の家にお邪魔してたくらいだし。
でもね、挨拶が先なんだよね。手をつなぐとか、キスするとか、そういうのよりも。なのに「実家にも挨拶」ってさ、勘違いを生む表現だと思うんですけど。
案の定、先生方がざわざわしつつ、拍手してくださった。何でしょう、この微妙な居心地悪さは?
校長先生は、にこっとして、うんうんとうなずいて、それから、まじめな顔になった。
「お二人のことやけん、きちっとしとるとは思います。ばってん、差し出がましか助言ばさせてもらいますね。マツモト先生、結婚ば考えとるなら、時期ば選びなさい。具体的に言えば、三月。お二人にとってうまくいくごと、私も教育委員会にお願いするけん。きちっと報告してください」
校長先生は「きちっと」って二回も言った。教師だから折り目とか節目とか考えて行動しなさいってこと?
マツモト先生は、少し黙っていた。そして、あたしのほうを見ながら、校長先生に答えた。
「おれは、タカハシ先生の意思ば尊重したか、と思っとります」
「え? あたし?」
酒豪のマツモト先生は、まぶたがかすかに赤くなってるだけで、普段とあんまり変わらない。もそっとしたしゃべり方で、言った。
「夫婦は、同じ学校に勤めることができんとです。今この島で結婚したら、少なくとも片方は、転勤せんばいかん。両方動ければ、よか。ばってん、よその学校の状況次第では、片方しか動けんかもしれん」
「え……単身赴任ってこと……?」
「その転勤の辞令がイヤやったら、どっちかが仕事ば辞めんばいかん」
「どっちかって……あたし、ですよね……?」
ガラガラと足元が崩れてくみたいな衝撃。冷たい水を浴びせられた気分。現実って、そうなんだ。
マツモト先生が、かすかに微笑んだ。眉尻が、かすかに下がってる。小さな表情の変化だけど、あたしは見付けられるようになった。
「時期ば選んでください。お任せしますけん。おれは、いつでも、お迎えします」
「あ……はい……」
あたしがうなずいたら、いきなり、校長先生が拍手した。「いよっ!」って声を掛けられて、気付いた。プロポーズみたいなせりふだな、って。
でも。
あたしは、頭の中がぐるぐるしてる。
結婚? 転勤? 島を離れる? 単身赴任? いろんな可能性が、ぐちゃぐちゃに飛び交ってて。
ビール、飲んじゃおう。頭、痛くなっちゃおう。家に引っ込んじゃおう。
社会人としてダメなことを思い付いて、実行することにした。マツモト先生が家まで送ってくれたけど、送ってくれただけだった。