マツモト先生のこと―離島で先生になりました―

どきどき:バレンタインデー

 本土の小学校で先生をやってる友達が、ブログに書いてた。うちの学校ではバレンタインチョコ禁止令が出てます、って。男の先生たちにはチョコが殺到して、お返しが大変なことになるらしい。全校児童千人クラスの学校での「チョコが殺到」は、本気の殺到だろうね。

 まあ、全校児童三十人のミニマム小学校では、そこまで殺到することもありえないし。ってことで、バレンタインは大いに自由な空気だった。生意気なショウマくんなんか、堂々と宣言してくれたもんだ。

「タカハシ先生、チョコ、期待しとるけん。おれ、お返しはちゃんとするばい」

 言われなくても、万全に準備してるってば。女の先生たちで打ち合わせして、全員に一つずつ渡るように、役割分担したんだ。もちろん、手作りする。

 あたしの担当は、四年生と六年生。それと、職員室の全員にも、感謝を込めてお渡しする。合計して、十数個ってとこ。高校時代の友チョコのほうが断然、数が多い。

 材料やラッピング素材は、余裕を持って早めに、ネットの通販で頼んでおいた。お届けまでに一日余分にかかるし、お届け時間帯の指定もできないけど、通販は普通に利用できる。このことに気付いたときは、ひそかに感動してしまった。

 フェリーが日に二便しかない島に隔離されてるあたしが、家に居ながらにして、まともに買い物できてるよ。偉大だよ、通販。

 二月十三日は、キッチンにこもって、ブラウニーを作ってた。いびつな形の端っこは、あたしの晩ごはんになった。冷まして、ラッピングして、紙袋に並べて入れて、せっかくだからケータイで写真を撮った。

 久々に丁寧にお菓子作りをした。しょっちゅうは無理だけど、ときどきだったら、こういう作業は楽しい。楽しいせいもあって、時間が流れるのが早い。気付いたら、日付が変わってる。時計を見た瞬間、眠気に襲われた。

「やっぱ、無理だったなぁ……」

 時間的に余裕があったら、マツモト先生用に、別のお菓子も作ろうと思ってた。だけど、限界だな。いいんだ。別のプレゼント、ちゃんと用意してあるから。これも通販なんだけど。

 お菓子は、週末に改めて作ったらいい。それを持ってマツモト家にお邪魔するかな。いや、逆に、お菓子を口実に、マツモト先生にうちに来てもらう?

 二人になる時間を想像して、どきどきする。きゅんとする。息が苦しくなって、胸が熱くなる。

 普段、子どもたちに囲まれてるせいかな? あたし、大学時代よりもピュアだよ、今。すごく純粋な気持ちで、マツモト先生のことを想ってる。



 朝、起きたとき、家じゅうが甘い匂いに包まれてることに気が付いた。あたし自身、甘い匂いになってるらしかった。職員室でも教室でも、そう言われた。

「これ、先生からみんなに、バレンタインのプレゼントだよー」

 ブラウニーを配ったのは、お弁当のとき。ショウマくんとダイキくんは、少し照れてた。女の子たちは、飛び上がって喜んでくれた。

 おませなリホちゃんが、ニマニマ笑ってる。

「タカハシ先生、マツモト先生にはチョコあげたと?」
「みんなと同じチョコ、あげたよ」
「それだけで、よかと?」

 よくないですよね、はい。わかってるよ。でも、それは放課後の予定でね。子どもたちが帰ってから、ちゃんと渡すからね。

 あたしは笑ってごまかして、六年生のユウマくんとサホリちゃんにチョコを届けに行った。高学年クラスには、もちろん、担任であるマツモト先生がいる。今日、なんか目を合わせづらい。

 四年生よりもさらに生意気なユウマくんが、ニヤニヤしていた。何を言われるか、わかったもんじゃない。

「それじゃ~」

 あたしは大急ぎで逃げた。お弁当の時間がそんな感じだったせいで、午後の授業は、ぼけーっとしたり、そわそわしたりしてた。やだなー、もう。授業を受ける側のころも似たような経験があるけど、まさか授業をする側もバレンタインの放課後が待ち遠しくて落ち着かないなんて、学生時代は想像できなかった。



 ようやく迎えた放課後。マツモト先生へのプレゼントは、普段使いのトートバッグに入れて、教卓の内側に隠してた。

 子どもたちが帰ってしまった、がらんとした教室。あたしは、職員室に戻る前に、教室での作業をあれこれしてることが多い。そこにマツモト先生が来てくれて、仕事の相談に乗ってくれたりする。

 今日も、そういう流れだった。廊下からマツモト先生の足音が聞こえて、あたしは顔を上げる。マツモト先生がこっちを見ていて、目が合ったら、うなずくみたいに会釈してくれる。そこを、あたしがつかまえるんだ。

「マツモト先生、ちょっといいですか?」
「はい」

 掲示物のレイアウトとか、指導案の表現とか、学級通信のチェックとか、いろいろ、今までマツモト先生に教えてもらってきた。でも、今日は、仕事は一段落してるんだ。

 あたしは、教卓の下から、紙包みを取り出した。バレンタイン仕様ってほど派手じゃないけど、これでもプレゼント包装なの。スポーツメーカーのロゴが入った、ブルーのラッピング。

「バレンタインなので、これ、プレゼント、です」
「え? おれに……?」
「マツモト先生に、ですっ」
「あ……ありがと……」

 マツモト先生は、もそもそっと言って、袋を受け取ってくれて、あたしに目で合図した。開けていい? って感じで。あたしはうなずく。どうぞ、って。

 袋を手にした瞬間に、中身はわかってたと思う。マツモト先生にとって、なじみ深いものだもん。

 マツモト先生は、器用な手つきで、丁寧に袋を開けていく。大きな手。好きだなぁ、その形。どきどきしながら、あたしは、マツモト先生が中身を取り出す瞬間を待った。

 軽い布のこすれる音をたてて、マツモト先生が、あたしからのプレゼントを手に取った。よく見たら端正なその顔に、照れ笑いがこぼれた。

「ジャージですか。ありがとうございます」

 あたしも、笑う。照れたら、笑うしかなくなる。

「似合うと思うので」

 青系のジャージやウィンドブレーカーを愛用してるマツモト先生だけど、あたしが贈ったのは、黒地に赤が入ってるデザインだ。

「赤は、持っとりません」
「でも、絶対、似合いますから」
「着てみます」
「よろしくお願いします」

 放課後、教室、バレンタイン。贈ったのは、ジャージ。

 いつもジャージのマツモト先生のこと、最初は、変でダサいと思った。いなかっぽいしゃべり方も、オシャレじゃない髪型も、イヤだった。

 なのに、あたし、いつの間にか、ジャージ男のマツモト先生のこと、そのまんまの姿が好きになってる。どんなジャージが似合うかなって、考えたりするくらいに。

 マツモト先生が、小さく笑いながら、あたしのほうへ手を伸ばした。冬でも温かい手は、あたしの頭を、ぽんぽんと撫でる。

「職員室、戻りますか?」
「はい」
「じゃあ、行きますか」

 校庭から、子どもの声が聞こえた。マツモト先生は、手を引っ込めて、きびすを返した。歩き出す。

「マツモト先生、今度の土曜日ですけど」

 あたしは言いながら、ジャージの広い背中を追いかけた。
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