マツモト先生のこと―離島で先生になりました―
しくしく:卒業式の準備
「タカハシ先生、これ、ちょっと支えとってー!」
「あ、はーい!」
校長先生に呼ばれて、あたしはステージ脇へダッシュする。今、三時間目と四時間目の授業を潰して、卒業式の準備の真っ最中だ。午後からは卒業式のリハーサルがある。
校長先生は、ステージ脇の壁にプログラムを貼り出す作業をしている。模造紙に書かれたプログラムは、マツモト先生の手によるものだ。
あたしはパイプ椅子に乗って、模造紙の右上の角を押さえた。校長先生が左上を押さえてて、養護の先生が少し離れて左右の高さのバランスを見てくれてる。
「タカハシ先生、あと五センチ上に……あ、行き過ぎ」
「これくらいですか?」
「あ、うん、揃いました」
校長先生は模造紙の角を画鋲で留めた。あたしは養護の先生に画鋲をもらって、同じく留める。ぴらぴらにならないように、辺の途中とか下の角とか、あちこち固定する。
ステージの上では、マツモト先生が脚立に上って、ステージ奥の壁の掲示物を設置してる。「卒業式」の正式名称が書かれた横長のプレート。開催回数を見て、終戦直後からある学校なんだ、って改めて知らされた。昔は、今より大きい規模の学校だったんだろうな。
子どもたちは、自分の椅子を教室から持ってきた。所定の位置に並べる作業は、低学年担当の先生が指導してくださってる。卒業生が座るためのパイプ椅子も、すでに並べてある。といっても二客だけだから、あっという間だったけど。
在校生と卒業生の椅子並べが終わったら、次は保護者席。子どもたちと一緒に、先生方もパイプ椅子を並べる作業に加わる。ガランとしてた体育館が、だんだん式典会場になっていく。
校庭に軽トラが二台、入ってきた。保護者さんの車だ。軽トラの荷台に積まれてるのは、プランターに入ったお花。色とりどりのパンジーだって聞いてる。
椅子を並べる途中だった子どもたちが、先生の指示を受けて、下駄箱のほうへ駆け出した。靴を取ってくると、校庭に面した引き戸を開けて、靴に履き替えて軽トラへと走っていく。お花を運ぶ手伝いをしに行ったんだ。
「ひっくり返さないでよー」
あたしは独り言をつぶやいた。いちばん速いショウマくんと五年生のカナデくんは、もう軽トラにたどり着いてる。二人一組でプランターを運ぶことにしたらしい。帰りは、みんな丁寧に歩いてる。
校長先生がにこにこしていた。
「ここの子たちは、ほんとによく働く。体ば動かすことが好いとっとでしょうね」
マツモト先生が、いつの間にか、靴を片手に、隣に立っていた。
「卒業式の準備は特別ですよ。子どもたちは、体ば動かしとかんば、寂しかとです」
今、マツモト先生が受け持ってる六年生の二人は、教室で明日のための練習をしてる。体を動かしてなきゃ寂しいのは、マツモト先生も同じなのかもしれない。靴を履いて、軽い足取りで軽トラへと走っていった。
あたしも手伝わなきゃな。と思ったんだけど、校長先生が「語ります」モードに入ってた。はい、聞かせていただきます。
「今年度は、子どもたちが誰も島の外に出ていかん年です。珍しか。毎年、転校していく子がおりますけんね。教職員の子どもには、転校が付きものですよ」
「そうなりますよね。うちの県の離島地区は、転勤のたびに島を移らないといけませんもんね」
校長先生はうなずいた。
「転校ば嫌う子どもも、もちろんおります。うちの娘みたいにね。そぃけん、うちの娘は、中学に上がる年から本土の私立の学校に入れたとですよ。中学も高校も、親元ば離れて寮生活」
「えっ、それって……寂しくなかったんですか?」
「寂しかったし、心配でしたよ。ばってん、親の都合で何度も転校さすっとも、かわいそうでしょう? どっちにしても、高校からは寮に入れるつもりでしたよ。高校がなか島もありますけん」
あたしが今いる島にも、高校はない。高校に上がりたかったら、島を出るしかない。
この島の子たちはのびのびと育ってて、すごくかわいい。いい子たちばっかりだと思う。でも、親の立場からすると、やっぱり悩ましい子育て環境なんだろうな。
黙っちゃったあたしに、校長先生は話を続けた。
「ユウマがうちの娘と同じことを選ぶかもしれんっち聞いとったとですよ。中学から本土の学校で寮生活ばするかも、っち」
「ユウマくんが? どうしてですか?」
「島の中学校には、サッカー部がなかでしょう? 本格的にサッカーばやりたか、っち思っとったごたる。夏休みには毎年、ユウマとショウマの兄弟は、本土のサッカー合宿に参加しとるとです。そげんとこまで出らんば、試合するための人数が足らんけん」
あたしは急に泣きたくなった。切なくて、胸がしくしくする。だって、小学生のサッカーだよ? 普通の小学校だったら、昼休みや放課後に、みんなやってるでしょ?
十一人対十一人。そりゃ、全校上げてのレクリエーションだったら、チームを組める。一年生から六年生まで、ハンデありのルールで、わいわい楽しむことはできる。でも、運動神経抜群のユウマくんとショウマくんが本気でプレーするサッカーは、島の中じゃできない。
不自由すぎる。
「校長先生、ユウマくんは、あきらめたんですか? サッカーを本気でやりたいって、小学生らしい素敵な夢ですよね。なのに、島に残ることを決めたんですか?」
お金、かな? 私立の学校がお金かかることは、あたしだって知ってるよ。いくら子どもの夢のためと言っても、お金を出せる家庭ばっかりじゃない。世の中お金がすべてだなんて思わないけど、お金があれば叶う夢だってある。
あたしが暗い顔してるせいか、校長先生は、ことさらにっこりした。
「ユウマは、自分できちんと考えて答えば出したとですよ。明日の卒業式のユウマからの『呼びかけ』、しっかり聞いてやってください」
マツモト先生と、ショウマくんとカナデくんが、校庭から戻ってきた。早歩きで競争してきたらしい。
「おっしゃーっ、先生に勝ったぞー!」
「何ば言いよるか! 花ば並べるところまでが勝負ぞ」
「よぉし、負けんし! 校長先生、これ、どこに置けばよかと?」
校長先生は笑いながら、小走りでステージへと向かっていった。マツモト先生たちもついて行く。
「明日かぁ……」
六年生たちの晴れ舞台なのに、卒業式って、胸がしくしくして、なんかイヤだ。
「あ、はーい!」
校長先生に呼ばれて、あたしはステージ脇へダッシュする。今、三時間目と四時間目の授業を潰して、卒業式の準備の真っ最中だ。午後からは卒業式のリハーサルがある。
校長先生は、ステージ脇の壁にプログラムを貼り出す作業をしている。模造紙に書かれたプログラムは、マツモト先生の手によるものだ。
あたしはパイプ椅子に乗って、模造紙の右上の角を押さえた。校長先生が左上を押さえてて、養護の先生が少し離れて左右の高さのバランスを見てくれてる。
「タカハシ先生、あと五センチ上に……あ、行き過ぎ」
「これくらいですか?」
「あ、うん、揃いました」
校長先生は模造紙の角を画鋲で留めた。あたしは養護の先生に画鋲をもらって、同じく留める。ぴらぴらにならないように、辺の途中とか下の角とか、あちこち固定する。
ステージの上では、マツモト先生が脚立に上って、ステージ奥の壁の掲示物を設置してる。「卒業式」の正式名称が書かれた横長のプレート。開催回数を見て、終戦直後からある学校なんだ、って改めて知らされた。昔は、今より大きい規模の学校だったんだろうな。
子どもたちは、自分の椅子を教室から持ってきた。所定の位置に並べる作業は、低学年担当の先生が指導してくださってる。卒業生が座るためのパイプ椅子も、すでに並べてある。といっても二客だけだから、あっという間だったけど。
在校生と卒業生の椅子並べが終わったら、次は保護者席。子どもたちと一緒に、先生方もパイプ椅子を並べる作業に加わる。ガランとしてた体育館が、だんだん式典会場になっていく。
校庭に軽トラが二台、入ってきた。保護者さんの車だ。軽トラの荷台に積まれてるのは、プランターに入ったお花。色とりどりのパンジーだって聞いてる。
椅子を並べる途中だった子どもたちが、先生の指示を受けて、下駄箱のほうへ駆け出した。靴を取ってくると、校庭に面した引き戸を開けて、靴に履き替えて軽トラへと走っていく。お花を運ぶ手伝いをしに行ったんだ。
「ひっくり返さないでよー」
あたしは独り言をつぶやいた。いちばん速いショウマくんと五年生のカナデくんは、もう軽トラにたどり着いてる。二人一組でプランターを運ぶことにしたらしい。帰りは、みんな丁寧に歩いてる。
校長先生がにこにこしていた。
「ここの子たちは、ほんとによく働く。体ば動かすことが好いとっとでしょうね」
マツモト先生が、いつの間にか、靴を片手に、隣に立っていた。
「卒業式の準備は特別ですよ。子どもたちは、体ば動かしとかんば、寂しかとです」
今、マツモト先生が受け持ってる六年生の二人は、教室で明日のための練習をしてる。体を動かしてなきゃ寂しいのは、マツモト先生も同じなのかもしれない。靴を履いて、軽い足取りで軽トラへと走っていった。
あたしも手伝わなきゃな。と思ったんだけど、校長先生が「語ります」モードに入ってた。はい、聞かせていただきます。
「今年度は、子どもたちが誰も島の外に出ていかん年です。珍しか。毎年、転校していく子がおりますけんね。教職員の子どもには、転校が付きものですよ」
「そうなりますよね。うちの県の離島地区は、転勤のたびに島を移らないといけませんもんね」
校長先生はうなずいた。
「転校ば嫌う子どもも、もちろんおります。うちの娘みたいにね。そぃけん、うちの娘は、中学に上がる年から本土の私立の学校に入れたとですよ。中学も高校も、親元ば離れて寮生活」
「えっ、それって……寂しくなかったんですか?」
「寂しかったし、心配でしたよ。ばってん、親の都合で何度も転校さすっとも、かわいそうでしょう? どっちにしても、高校からは寮に入れるつもりでしたよ。高校がなか島もありますけん」
あたしが今いる島にも、高校はない。高校に上がりたかったら、島を出るしかない。
この島の子たちはのびのびと育ってて、すごくかわいい。いい子たちばっかりだと思う。でも、親の立場からすると、やっぱり悩ましい子育て環境なんだろうな。
黙っちゃったあたしに、校長先生は話を続けた。
「ユウマがうちの娘と同じことを選ぶかもしれんっち聞いとったとですよ。中学から本土の学校で寮生活ばするかも、っち」
「ユウマくんが? どうしてですか?」
「島の中学校には、サッカー部がなかでしょう? 本格的にサッカーばやりたか、っち思っとったごたる。夏休みには毎年、ユウマとショウマの兄弟は、本土のサッカー合宿に参加しとるとです。そげんとこまで出らんば、試合するための人数が足らんけん」
あたしは急に泣きたくなった。切なくて、胸がしくしくする。だって、小学生のサッカーだよ? 普通の小学校だったら、昼休みや放課後に、みんなやってるでしょ?
十一人対十一人。そりゃ、全校上げてのレクリエーションだったら、チームを組める。一年生から六年生まで、ハンデありのルールで、わいわい楽しむことはできる。でも、運動神経抜群のユウマくんとショウマくんが本気でプレーするサッカーは、島の中じゃできない。
不自由すぎる。
「校長先生、ユウマくんは、あきらめたんですか? サッカーを本気でやりたいって、小学生らしい素敵な夢ですよね。なのに、島に残ることを決めたんですか?」
お金、かな? 私立の学校がお金かかることは、あたしだって知ってるよ。いくら子どもの夢のためと言っても、お金を出せる家庭ばっかりじゃない。世の中お金がすべてだなんて思わないけど、お金があれば叶う夢だってある。
あたしが暗い顔してるせいか、校長先生は、ことさらにっこりした。
「ユウマは、自分できちんと考えて答えば出したとですよ。明日の卒業式のユウマからの『呼びかけ』、しっかり聞いてやってください」
マツモト先生と、ショウマくんとカナデくんが、校庭から戻ってきた。早歩きで競争してきたらしい。
「おっしゃーっ、先生に勝ったぞー!」
「何ば言いよるか! 花ば並べるところまでが勝負ぞ」
「よぉし、負けんし! 校長先生、これ、どこに置けばよかと?」
校長先生は笑いながら、小走りでステージへと向かっていった。マツモト先生たちもついて行く。
「明日かぁ……」
六年生たちの晴れ舞台なのに、卒業式って、胸がしくしくして、なんかイヤだ。