マツモト先生のこと―離島で先生になりました―
だいすき:あたしの選択
卒業式が終わった後は、午前中のうちに下校だった。保護者の皆さんも一緒に帰る感じだった。
放課後、って呼ぶには特別だった。校舎の中でも、校庭でも、ユウマくんとサホリちゃんを囲んで、みんな写真を撮ってた。スマホの構え方とか自撮りの仕方とか、意外と手慣れてて、現代っ子だなって感じたりした。
みんな、さっきまで泣いてたくせに、全力で笑顔だった。あたしもだけど。マツモト先生も、赤い目をしてたけど。
午後二時。さすがに、みんな帰っちゃった。というか、おなか減ったからごはん食べに帰ったんだ。お昼を食べて着替えたら、きっと校庭に戻ってきて遊ぶんだろうけど。
職員室にも教室にも、マツモト先生がいなかった。なんとなく居場所がわかる気がして、あたしは体育館に向かった。
予想どおりだった。マツモト先生は、一人ぽつんと、ステージの前に立っていた。卒業証書授与式って横長のプレートを見上げてる。あっという間にスーツからジャージに着替えた後ろ姿が、あたしの足音に、振り返った。
「タカハシ先生……」
声がよく響く体育館の中だから、マツモト先生のつぶやきはあたしの耳にも届いた。あたしはマツモト先生のそばまで小走りで向かった。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「いや……終わったな、っち思って」
「終わりましたね。ユウマくんもサホリちゃんも、立派でしたね」
マツモト先生はうなずいた。ふぅっと大きな息をついた。
「卒業学年ば受け持ったとは、初めてでした。自分が経験してきたどの卒業式より、今日の卒業式が、素晴らしかった」
ユウマくんとサホリちゃんは、マツモト先生が去年から持ち上がりで担当していた子どもたちだ。たった二人だし、母校の後輩でもあるし、すごく思い入れがあっただろうな。
「あたしも、もらい泣きしまくりでした。今の四年生が卒業するときは、どうなっちゃうんだろ?」
ぽろっと出た言葉に、あたしは息を呑む。思いっきり固まってしまった。マツモト先生が、あたしの顔をのぞき込んだ。
「どげんしたとですか?」
その言葉が本音だった。今の四年生が卒業するまで、あたしは担任として、あの子たちを見守りたい。この小さな学校で、先生として成長させてもらいたい。
卒業式で、子どもたちのまっすぐな呼びかけを聞いて、わかった。あたしは子どもが好き。小学校っていう職場が好き。ずっとここで働いて生きていたい。
あたしは、大きく息を吸って、吐いた。マツモト先生を見上げた。
「わがまま、言ってもいいですか?」
マツモト先生は、真剣な目をして、うなずいた。どうぞって、かすかに唇が動いた。あたしは、震えそうな声を励まして、言った。
「あたしは、先生でいたいです。今のままでいたいです。職員室の隣の机は、マツモト先生のままがいいです。今の受け持ちの子どもたちを、卒業式で見送りたいです。だから、今は、結婚できません。結婚したら、かけがえのないものを失うかもしれません。だから、わがままですけど、あたしは今のままでいたいです」
やっぱり、声は震えてしまった。体育館の高い天井に、あたしの情けない声が反響した。
マツモト先生は、ひとつうなずいた。真剣な目は、ピンと張り詰めたままだ。
「わかりました。ばってん、付き合い続けるのは、よかでしょう?」
マツモト先生の声も、少し震えていた。卒業式の最中、マイクを通した声も、同じように震えていた。
あたしは鼻をすすった。今日は涙腺が壊れてる。涙が、ぼろっとこぼれた。
「あたしはマツモト先生のことが好きです。ずっと付き合っててください。もっともっと、マツモト先生のこと、知りたいです」
あたしは顔を上げていられなくて、とっくに汚れて濡れたハンカチで、目元を拭った。
と、温かいものが、あたしの頭の上に載った。マツモト先生の大きな手のひらだった。ぽんぽん、と優しいリズムで、手のひらはあたしの頭を軽く叩く。
「今度の土日、映画ば観に行かんですか?」
「え、映画?」
「朝のフェリーに乗って、昼ごろの映画ば観て、夕方のフェリーに乗れば、日帰りもできますよ」
島に映画館なんてない。往復六時間のフェリーで出かける映画デートって、どんだけ不便なんだろう? でも、なんか、笑えてきた。
「映画、行きたいです」
「おれは全然知らんけん、全部お任せしますけど」
「任せてください!」
マツモト先生も、にっこりした。あたしの頭をぽんぽんする手を下ろして、まっすぐ差し出す。
「ホッとしました。タカハシ先生らしか選択で、よかった。あと二年、この学校で、よろしくお願いします」
あたしはマツモト先生の手を握った。広くて厚い手のひらは、力強くて温かい。
「よろしくお願いします」
島じゅうが噂する職場恋愛でも、許してください。ゴールの遠いカップルだけど、認めてください。
あたしはようやく最近、先生になってきたところ。そして、マツモト先生の彼女になってきたところ。このままもうしばらく、この場所で時間を過ごしたい。
でも、必ずあたしはマツモト先生と結ばれる。きちんと、堂々と、自信を持って、離島でマツモト先生のお嫁さんになる。
がらんとした体育館で、手を握り合って、笑い合う。この穏やかな時間の流れに、ドキドキしてる。
いつもジャージのあなたの少しだけ後ろを、あたしは全力で走って、追いかけていたい。ときどき振り返って手をつないでくれる優しさに、すがったりしながら。
受け止めてください、この気持ち。応えてください、この想い。
大好きなんです、マツモト先生のこと。
【了】
放課後、って呼ぶには特別だった。校舎の中でも、校庭でも、ユウマくんとサホリちゃんを囲んで、みんな写真を撮ってた。スマホの構え方とか自撮りの仕方とか、意外と手慣れてて、現代っ子だなって感じたりした。
みんな、さっきまで泣いてたくせに、全力で笑顔だった。あたしもだけど。マツモト先生も、赤い目をしてたけど。
午後二時。さすがに、みんな帰っちゃった。というか、おなか減ったからごはん食べに帰ったんだ。お昼を食べて着替えたら、きっと校庭に戻ってきて遊ぶんだろうけど。
職員室にも教室にも、マツモト先生がいなかった。なんとなく居場所がわかる気がして、あたしは体育館に向かった。
予想どおりだった。マツモト先生は、一人ぽつんと、ステージの前に立っていた。卒業証書授与式って横長のプレートを見上げてる。あっという間にスーツからジャージに着替えた後ろ姿が、あたしの足音に、振り返った。
「タカハシ先生……」
声がよく響く体育館の中だから、マツモト先生のつぶやきはあたしの耳にも届いた。あたしはマツモト先生のそばまで小走りで向かった。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「いや……終わったな、っち思って」
「終わりましたね。ユウマくんもサホリちゃんも、立派でしたね」
マツモト先生はうなずいた。ふぅっと大きな息をついた。
「卒業学年ば受け持ったとは、初めてでした。自分が経験してきたどの卒業式より、今日の卒業式が、素晴らしかった」
ユウマくんとサホリちゃんは、マツモト先生が去年から持ち上がりで担当していた子どもたちだ。たった二人だし、母校の後輩でもあるし、すごく思い入れがあっただろうな。
「あたしも、もらい泣きしまくりでした。今の四年生が卒業するときは、どうなっちゃうんだろ?」
ぽろっと出た言葉に、あたしは息を呑む。思いっきり固まってしまった。マツモト先生が、あたしの顔をのぞき込んだ。
「どげんしたとですか?」
その言葉が本音だった。今の四年生が卒業するまで、あたしは担任として、あの子たちを見守りたい。この小さな学校で、先生として成長させてもらいたい。
卒業式で、子どもたちのまっすぐな呼びかけを聞いて、わかった。あたしは子どもが好き。小学校っていう職場が好き。ずっとここで働いて生きていたい。
あたしは、大きく息を吸って、吐いた。マツモト先生を見上げた。
「わがまま、言ってもいいですか?」
マツモト先生は、真剣な目をして、うなずいた。どうぞって、かすかに唇が動いた。あたしは、震えそうな声を励まして、言った。
「あたしは、先生でいたいです。今のままでいたいです。職員室の隣の机は、マツモト先生のままがいいです。今の受け持ちの子どもたちを、卒業式で見送りたいです。だから、今は、結婚できません。結婚したら、かけがえのないものを失うかもしれません。だから、わがままですけど、あたしは今のままでいたいです」
やっぱり、声は震えてしまった。体育館の高い天井に、あたしの情けない声が反響した。
マツモト先生は、ひとつうなずいた。真剣な目は、ピンと張り詰めたままだ。
「わかりました。ばってん、付き合い続けるのは、よかでしょう?」
マツモト先生の声も、少し震えていた。卒業式の最中、マイクを通した声も、同じように震えていた。
あたしは鼻をすすった。今日は涙腺が壊れてる。涙が、ぼろっとこぼれた。
「あたしはマツモト先生のことが好きです。ずっと付き合っててください。もっともっと、マツモト先生のこと、知りたいです」
あたしは顔を上げていられなくて、とっくに汚れて濡れたハンカチで、目元を拭った。
と、温かいものが、あたしの頭の上に載った。マツモト先生の大きな手のひらだった。ぽんぽん、と優しいリズムで、手のひらはあたしの頭を軽く叩く。
「今度の土日、映画ば観に行かんですか?」
「え、映画?」
「朝のフェリーに乗って、昼ごろの映画ば観て、夕方のフェリーに乗れば、日帰りもできますよ」
島に映画館なんてない。往復六時間のフェリーで出かける映画デートって、どんだけ不便なんだろう? でも、なんか、笑えてきた。
「映画、行きたいです」
「おれは全然知らんけん、全部お任せしますけど」
「任せてください!」
マツモト先生も、にっこりした。あたしの頭をぽんぽんする手を下ろして、まっすぐ差し出す。
「ホッとしました。タカハシ先生らしか選択で、よかった。あと二年、この学校で、よろしくお願いします」
あたしはマツモト先生の手を握った。広くて厚い手のひらは、力強くて温かい。
「よろしくお願いします」
島じゅうが噂する職場恋愛でも、許してください。ゴールの遠いカップルだけど、認めてください。
あたしはようやく最近、先生になってきたところ。そして、マツモト先生の彼女になってきたところ。このままもうしばらく、この場所で時間を過ごしたい。
でも、必ずあたしはマツモト先生と結ばれる。きちんと、堂々と、自信を持って、離島でマツモト先生のお嫁さんになる。
がらんとした体育館で、手を握り合って、笑い合う。この穏やかな時間の流れに、ドキドキしてる。
いつもジャージのあなたの少しだけ後ろを、あたしは全力で走って、追いかけていたい。ときどき振り返って手をつないでくれる優しさに、すがったりしながら。
受け止めてください、この気持ち。応えてください、この想い。
大好きなんです、マツモト先生のこと。
【了】