マツモト先生のこと―離島で先生になりました―

4月3日

 午前中は校長先生に連れられて、教育委員会に挨拶に行ってきた。昼休みを挟んで、さて仕事、と気合いを入れたとき。

「タカハシ先生、ちょっと、よかですか?」

 昨日と同じ午後一時だ。あたしを呼んだのは、汗をかいて湯気までたててるジャージ姿のマツモト先生。

「何でしょう?」

 マツモト先生は、ちょいちょいと窓のほうを指差した。職員室は、校庭に面した一階だ。窓に子どもたちの顔が並んでいる。あたしは大急ぎで、マツモト先生用のしかめっ面を、子どもたち用の笑顔に作り直した。

「今日も鉄棒の練習ですか?」
「いえ、今日は五年生の子たちも交えて、ドッジボールば、しよりました」

 マツモト先生は、つかつかと窓に近寄った。古めかしいサッシを軋ませながら窓を開ける。子どもたちが、わぁっと声をあげた。

「先生、今から仕事するとー?」
「タカハシ先生、こんにちは!」
「見て、先生、鉄棒で手の皮むけたぁ」
「マツモト先生、仕事は何時に終わると?」

 島の子どもって、こうなのよね。無邪気で人なつっこい。言葉が荒くて敬語を知らないけど、それは目をつぶっておこう。

 マツモト先生はガキ大将のように言い放った。

「四時半に仕事が終わるけん、何ばするか決めとけ。ドッジボールか?」

 ドッジボールぅ、と合唱する子どもたち。なるほど、子どもたちの言葉遣いがあれなのは、こういう先生が指導してるからなのね。

 あたしもあんなふうにすればいいの? 不意に、あたしは不安になった。だって、あんなの、距離感がつかめないよ。

 あたしが小学生のころ、先生って職業の大人は、もっと遠い場所に立っていた。お堅くて偉そうだった。教育実習でお世話になったときも、あたしの母校は昔の雰囲気のままだった。

 この学校は、なんか、まったく違う。

 あたしは、中途半端に子どもたちとアイコンタクトを交わしながら、でも、うまく会話に入っていけない。

 夕方はタカハシ先生も来てね、と四年生の女の子が言った。リホちゃんっていう子。

 担任する子の名字と名前は完璧に一致させてる。昨日「名字+さん」で呼んだら、微妙な顔をされた。下の名前で呼ぶのが、島の小学校のスタンダードなんだって。確かに同姓が多いから、「名字+さん」で呼んだら紛らわしいけど。

 子どもたちをひとまず解散させ、マツモト先生は窓を閉めた。いかつい肩越しに、あたしに視線を投げる。

「タカハシ先生は人見知りするとですか?」
「えっ?」
「口数の少なかったけん。子ども相手に緊張しとったら、ざまに大変ですよ」

 あのさあ、マツモト先生、アナタ二重人格? 子どもの前での顔とあたしの前での顔、絶対、別人格でしょ? いちいちムカつくのよ。

「なんでもないですっ」

 あたしは自分の机の椅子を引き、ドスンと腰掛けた。古くて重たい椅子はクッションが最悪で、衝撃が腰骨に突き抜けた。
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