〜鎌倉あやかし奇譚〜 龍神様の許嫁にされてしまいました
確か、あやかしを近所の子供に紹介しようとした時だったと思う。
しかし、子供達は首をかしげるばかり。
今でこそ見えないのだから当然と納得できるのだが、
当時は何故周りが私に嘘をつくのかと分からずじまいだった。
近所の子供達も私の言葉を不思議がるばかりで、嘘つきだと罵られることすらあった。
その事実に気づいた時、大人たちが私に向ける視線はどこか訝しげで
私はその空気で口にしてはいけないことなのだと知った。
そんな時は悔しくて、泣きながらたつみ屋の奥、
もうすでに女将業は引退した祖母の部屋に転がり込むのが常だった。
「あやかしはね、いい子たちばかりなのよ……本当は」
それが私の祖母、藤村たまの口癖だった。
「あやかし?」
「そう……、みいちゃんも見えてるんでしょう? あの、可愛いあやかしさんたち」
くすくすと笑いながら祖母は私の眦に浮かんだ涙をそっと拭う。
今でも思い出す。
このころの私は友達にあやかしの話をしては、気味悪がられたり嘘つきだと罵られたりした。
私にはちゃんと見えているのになぜ信じてもらえないのだろう。
幼い私にはうまい気持ちの折り合い方や、説明の仕方が思いつかなかった。
そうして溜まりに溜まった感情がこうして爆発したのものだった。
祖母は私のことをみいちゃんと呼んだ。
かつてはたつみ屋を仕切る女将だったらしいが、足を痛めてからはこうして自室にこもりきりの生活をしていた。
白髪混じりで少し痩せ型だったが、泣きじゃくる私の頭をそっと撫でる優しい手つきが今でも思い出せる。
「動物とかじゃないの? 毛とかフサフサでしょ?」
「そう……、普通の人には見えないのよ。だから皆はみいちゃんのこと嘘つきなんて言うのよ。でも……そうねえ。きっと私に似たのねぇ……。だったらそのうち、龍神様にも会えるかもしれないわ」
「龍神様?」
はっとした私に祖母は穏やかな笑みを浮かべた。
「そう! 江ノ島に住んでるあの神様よ」
龍神様といえば、江ノ島の龍神伝説に出てくる五頭竜の神様だ。
鎌倉を根城としていた頭が五つある龍が江ノ島の天女に一目惚れするが、
悪行を咎められ求婚を断られてしまう。
その後、改心した龍神は天女とともに江ノ島を守ったというのが五頭竜の伝説だ。
しかし、あやかしが視えるとことがどうして繋がってくるのだろう?
少し考えても納得できる答えが見つからなかった。
「……だって龍神様は神様でしょ?」
素朴な疑問を投げかける。
祖母はニコニコと笑っていたが、急に口元に人差し指を当ててそっと呟いた。
「ふふ……ここだけの話。実はあやかしなのよ?」
「え? そうなの?」
そうであるならば、なぜ島に祀られているのだろう?
それに祖母がどうして龍神様があやかしなのだと知っているのだろう。
そのような伝承など島では聞いたことないのに。
島のあちこちにある白龍のモチーフは神様として扱われているはずだった。
そんな疑問が私の頭をよぎって、首をかしげる。
「おばあちゃんは、どうしてそんなこと知ってるの?」
答えが聴きたくて詰め寄る私に祖母はニコニコと笑う。
「それはね……、内緒」
「え! ずるいよ!」
怒ってポカポカと殴る私を祖母は優しくたしなめた。
その瞳がなんだか温かいのに寂しくて、
まるで何か大切な思い出に縛られているようなそんな切なさが伝わってきて思わず祖母の顔を見つめてしまう。
祖母は私の頭をそっと撫でながら優しく呟いた。
「きっとね、みいちゃんがもう少し大きくなったら会えるかもしれないわ。
それまでにあやかしとは上手に付き合いなさい。
見ても邪魔しちゃダメ。あやかしと話しちゃだめ。大きな声をあげてびっくりさせてもダメよ……」
「そんなことできないよ!」
あやかしは私にとって大切な最初の友達なのだ。
自分から距離を置くなんて到底できそうにもなかった。
「でもねぇ……。おばあちゃんはやっぱりみいちゃんが大切だからね」
「……っ」
思わず項垂れてしまう。
あやかしたちと一緒に遊べないだなんて。
胸がチクチクと痛むのが分かる。
これからもあの異形の生き物たちとこれからも仲良くできるとそう信じて疑わなかったのだ。
第一、口にさえ出さなければ他の人たちにバレやしない。
私だけの大切な秘密とすればいいのだ。何も、袂を別つような真似をしなくてもいいはずだ。
しかし、祖母は私の提案を頑として聞き入れなかった。
「ひょっとしたら……もっと大変なことに巻き込まれるかもしれないでしょう?」
「……でも」
「みいちゃんの気持ちも分かるけど……」
「だったら……!」
はっとして見上げると、祖母の真剣な表情が飛び込んで来た。
まるで私の心を見透かして、それでいてなだめるような視線。
「あやかしが皆……いい子達ばかりじゃあないからね」
「そんなの……、おばあちゃんはどうして知っているの?」
首をかしげるも祖母はただにこりとして笑うだけだ。
「これはおばあちゃんとの約束よ」
祖母がいつになく真剣な表情をしたのはこの時だけだった。
それはまるで海のように深い思惑が隠れているようで私は思わず首を縦にふるしかなかった。
「わかった……」
落胆する私を可哀想に思ったのかもしれない。
祖母は少し考えたそぶりをすると、思い出したように唇を開いた。
「でも……そうねぇ。いいわ、みいちゃんには特別にこれをあげるわ」
「え?」
祖母が和室の隅に置いていた和箪笥の奥から、ごそごそと何やら取り出した。
そして私の手のひらの上にそっと何かが乗せられた。
「お守り?」
手のひらの上の小さな包み。薄い青の生地に金色の龍の刺繍が施されている。
しかし、江ノ島でよくある江ノ島神社の紋がなくて私は首を傾げた。
その様子に祖母は目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
なんだか懐かしくて、愛おしいものを見るような瞳で……。
「そう……これを持っていればきっと龍神様がみいちゃんを災いから守ってくれるわ」
私はそっとお守りの紐をつまんでよくよくと眺めた。
それは午後の陽だまりの光に照らされてはきらりと光った。
(綺麗……)
ただのお守りの筈なのに、まるで宝物をもらったように私の心は踊った。
誕生日やクリスマスに買ってもらったプレゼントよりも、どきどきと胸の高まりが収まらない。
触れているとまるで生き物のように温かさすら感じる。
一体これはなんなのだろう?
ただのお守りにしては意識が引き寄せられてしまう。
そっと揺らしてみると中から、何か擦れる音がした。
……しゃらり。
まるで羽が擦れ合うかのような繊細な音。
その音を聞いた時、心臓がドクンと跳ね上がる。
「中には何が入ってるの?」
幼い好奇心から、中を開けようとした私を祖母がそっとたしなめた。
「ダメよ。これは龍神様の加護が入っているの」
「龍神様の……加護?」
「そうよ。開けたらその力が無くなってしまうから、絶対に中身を見てはいけないよ」
「えー」
中身が知りたくてたまらないのに、芽生えた好奇心を満たすことができそうもなくて思わず口を尖らせる。
「ふふ。これは龍神様との約束だから。絶対に守ってね」
「うん……」
差し出された小指を絡ませて、私は渋々指切りげんまんをした。
私と祖母の小さな秘密。
お守りを持ち歩くようになって少し変わったことが起きた。
あれだけ私と仲良くしてくれたあやかしが全く声をかけてくれなくなったのだ。
祖母の言いつけを守るために私は滅多なことでは声をかけることができない。
あやかしはきょろきょろと私を探すようなそぶりをしたものの、結局諦めて帰ってしまうことが増え、
疎遠になっていった。
あれだけ優しくしてくれたあやかしに何も言わないでと心が痛んだ。
そうしているうちに、いつの間にか私の家に訪れるあやかしがいなくなって、寂しい思いをしたけれど……。
祖母の約束を守ることの方がこの頃の私には大切だったからなんとか乗り切れた。
それからずっと私はこのお守りを大事に持ち歩いている。
高校になってもスマホケースのストラップにくくりつけているのだ。
昨年、祖母が亡くなってからもずっと……。
言いつけを守って、お守りの中に何が入ってるのかは分からずじまいだけど。
祖母が言う災いが起きるなんてことはなかったけど、
それはひとえにこのお守りがあったからなのかもしれないと思うことが増えた。
いやいや元から迷信の域を出ないのではないか。そう思える日もあった。
しかし、私を今まで守ってくれていたのは、このお守りなのだと。
失って初めて私は知ることになるのだった。
しかし、子供達は首をかしげるばかり。
今でこそ見えないのだから当然と納得できるのだが、
当時は何故周りが私に嘘をつくのかと分からずじまいだった。
近所の子供達も私の言葉を不思議がるばかりで、嘘つきだと罵られることすらあった。
その事実に気づいた時、大人たちが私に向ける視線はどこか訝しげで
私はその空気で口にしてはいけないことなのだと知った。
そんな時は悔しくて、泣きながらたつみ屋の奥、
もうすでに女将業は引退した祖母の部屋に転がり込むのが常だった。
「あやかしはね、いい子たちばかりなのよ……本当は」
それが私の祖母、藤村たまの口癖だった。
「あやかし?」
「そう……、みいちゃんも見えてるんでしょう? あの、可愛いあやかしさんたち」
くすくすと笑いながら祖母は私の眦に浮かんだ涙をそっと拭う。
今でも思い出す。
このころの私は友達にあやかしの話をしては、気味悪がられたり嘘つきだと罵られたりした。
私にはちゃんと見えているのになぜ信じてもらえないのだろう。
幼い私にはうまい気持ちの折り合い方や、説明の仕方が思いつかなかった。
そうして溜まりに溜まった感情がこうして爆発したのものだった。
祖母は私のことをみいちゃんと呼んだ。
かつてはたつみ屋を仕切る女将だったらしいが、足を痛めてからはこうして自室にこもりきりの生活をしていた。
白髪混じりで少し痩せ型だったが、泣きじゃくる私の頭をそっと撫でる優しい手つきが今でも思い出せる。
「動物とかじゃないの? 毛とかフサフサでしょ?」
「そう……、普通の人には見えないのよ。だから皆はみいちゃんのこと嘘つきなんて言うのよ。でも……そうねえ。きっと私に似たのねぇ……。だったらそのうち、龍神様にも会えるかもしれないわ」
「龍神様?」
はっとした私に祖母は穏やかな笑みを浮かべた。
「そう! 江ノ島に住んでるあの神様よ」
龍神様といえば、江ノ島の龍神伝説に出てくる五頭竜の神様だ。
鎌倉を根城としていた頭が五つある龍が江ノ島の天女に一目惚れするが、
悪行を咎められ求婚を断られてしまう。
その後、改心した龍神は天女とともに江ノ島を守ったというのが五頭竜の伝説だ。
しかし、あやかしが視えるとことがどうして繋がってくるのだろう?
少し考えても納得できる答えが見つからなかった。
「……だって龍神様は神様でしょ?」
素朴な疑問を投げかける。
祖母はニコニコと笑っていたが、急に口元に人差し指を当ててそっと呟いた。
「ふふ……ここだけの話。実はあやかしなのよ?」
「え? そうなの?」
そうであるならば、なぜ島に祀られているのだろう?
それに祖母がどうして龍神様があやかしなのだと知っているのだろう。
そのような伝承など島では聞いたことないのに。
島のあちこちにある白龍のモチーフは神様として扱われているはずだった。
そんな疑問が私の頭をよぎって、首をかしげる。
「おばあちゃんは、どうしてそんなこと知ってるの?」
答えが聴きたくて詰め寄る私に祖母はニコニコと笑う。
「それはね……、内緒」
「え! ずるいよ!」
怒ってポカポカと殴る私を祖母は優しくたしなめた。
その瞳がなんだか温かいのに寂しくて、
まるで何か大切な思い出に縛られているようなそんな切なさが伝わってきて思わず祖母の顔を見つめてしまう。
祖母は私の頭をそっと撫でながら優しく呟いた。
「きっとね、みいちゃんがもう少し大きくなったら会えるかもしれないわ。
それまでにあやかしとは上手に付き合いなさい。
見ても邪魔しちゃダメ。あやかしと話しちゃだめ。大きな声をあげてびっくりさせてもダメよ……」
「そんなことできないよ!」
あやかしは私にとって大切な最初の友達なのだ。
自分から距離を置くなんて到底できそうにもなかった。
「でもねぇ……。おばあちゃんはやっぱりみいちゃんが大切だからね」
「……っ」
思わず項垂れてしまう。
あやかしたちと一緒に遊べないだなんて。
胸がチクチクと痛むのが分かる。
これからもあの異形の生き物たちとこれからも仲良くできるとそう信じて疑わなかったのだ。
第一、口にさえ出さなければ他の人たちにバレやしない。
私だけの大切な秘密とすればいいのだ。何も、袂を別つような真似をしなくてもいいはずだ。
しかし、祖母は私の提案を頑として聞き入れなかった。
「ひょっとしたら……もっと大変なことに巻き込まれるかもしれないでしょう?」
「……でも」
「みいちゃんの気持ちも分かるけど……」
「だったら……!」
はっとして見上げると、祖母の真剣な表情が飛び込んで来た。
まるで私の心を見透かして、それでいてなだめるような視線。
「あやかしが皆……いい子達ばかりじゃあないからね」
「そんなの……、おばあちゃんはどうして知っているの?」
首をかしげるも祖母はただにこりとして笑うだけだ。
「これはおばあちゃんとの約束よ」
祖母がいつになく真剣な表情をしたのはこの時だけだった。
それはまるで海のように深い思惑が隠れているようで私は思わず首を縦にふるしかなかった。
「わかった……」
落胆する私を可哀想に思ったのかもしれない。
祖母は少し考えたそぶりをすると、思い出したように唇を開いた。
「でも……そうねぇ。いいわ、みいちゃんには特別にこれをあげるわ」
「え?」
祖母が和室の隅に置いていた和箪笥の奥から、ごそごそと何やら取り出した。
そして私の手のひらの上にそっと何かが乗せられた。
「お守り?」
手のひらの上の小さな包み。薄い青の生地に金色の龍の刺繍が施されている。
しかし、江ノ島でよくある江ノ島神社の紋がなくて私は首を傾げた。
その様子に祖母は目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
なんだか懐かしくて、愛おしいものを見るような瞳で……。
「そう……これを持っていればきっと龍神様がみいちゃんを災いから守ってくれるわ」
私はそっとお守りの紐をつまんでよくよくと眺めた。
それは午後の陽だまりの光に照らされてはきらりと光った。
(綺麗……)
ただのお守りの筈なのに、まるで宝物をもらったように私の心は踊った。
誕生日やクリスマスに買ってもらったプレゼントよりも、どきどきと胸の高まりが収まらない。
触れているとまるで生き物のように温かさすら感じる。
一体これはなんなのだろう?
ただのお守りにしては意識が引き寄せられてしまう。
そっと揺らしてみると中から、何か擦れる音がした。
……しゃらり。
まるで羽が擦れ合うかのような繊細な音。
その音を聞いた時、心臓がドクンと跳ね上がる。
「中には何が入ってるの?」
幼い好奇心から、中を開けようとした私を祖母がそっとたしなめた。
「ダメよ。これは龍神様の加護が入っているの」
「龍神様の……加護?」
「そうよ。開けたらその力が無くなってしまうから、絶対に中身を見てはいけないよ」
「えー」
中身が知りたくてたまらないのに、芽生えた好奇心を満たすことができそうもなくて思わず口を尖らせる。
「ふふ。これは龍神様との約束だから。絶対に守ってね」
「うん……」
差し出された小指を絡ませて、私は渋々指切りげんまんをした。
私と祖母の小さな秘密。
お守りを持ち歩くようになって少し変わったことが起きた。
あれだけ私と仲良くしてくれたあやかしが全く声をかけてくれなくなったのだ。
祖母の言いつけを守るために私は滅多なことでは声をかけることができない。
あやかしはきょろきょろと私を探すようなそぶりをしたものの、結局諦めて帰ってしまうことが増え、
疎遠になっていった。
あれだけ優しくしてくれたあやかしに何も言わないでと心が痛んだ。
そうしているうちに、いつの間にか私の家に訪れるあやかしがいなくなって、寂しい思いをしたけれど……。
祖母の約束を守ることの方がこの頃の私には大切だったからなんとか乗り切れた。
それからずっと私はこのお守りを大事に持ち歩いている。
高校になってもスマホケースのストラップにくくりつけているのだ。
昨年、祖母が亡くなってからもずっと……。
言いつけを守って、お守りの中に何が入ってるのかは分からずじまいだけど。
祖母が言う災いが起きるなんてことはなかったけど、
それはひとえにこのお守りがあったからなのかもしれないと思うことが増えた。
いやいや元から迷信の域を出ないのではないか。そう思える日もあった。
しかし、私を今まで守ってくれていたのは、このお守りなのだと。
失って初めて私は知ることになるのだった。