〜鎌倉あやかし奇譚〜 龍神様の許嫁にされてしまいました
仲見世通りを抜けると、目の前に大きな赤い鳥居が飛び込んでくる。
朱の鳥居と呼ばれるその隣には弁天様の琵琶に江島神社と書かれた看板が立てかけられている。

竜宮城を模した瑞心門をくぐり、手水を済ませ、境内まで伸びる急な階段を上がりきればそこは辺津宮(へつみや)だ。
 江島神社といえば、まずは連想する御社殿だろう。
ここには江ノ島の龍神伝説に出てくる田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)という神様が祀られている。龍神と女神が恋をしたという伝説は今でも語り継がれており、そのため江ノ島には竜のモチーフがたくさんある。
現に境内内にはお金を清める銭洗白龍王があり、私もまずはそこでお清めをする。
 社殿でお賽銭をきっちり五円投げる。それから二礼二拍手してぐっと手のひらを重ね合わせる。
 こうして祈るのは決まった願い事なのだ。
 お参りさえしなければ、もっと自宅に帰りやすい道はたくさんある。
 しかし、毎日毎日、わざわざくるのには理由があるのだ。

「……っ! お願いします……」

 神様でもあやかしでもなんでもいい。
 私の願いを叶えてくれるなら! 
 そんなすがりたくなるような気持ちで祈った。

(ああ……! お願いします! 弁財天様! 龍神様! 私を、どうか! 海外留学に出させてください!)

 私のささやかな夢。
 それは海外に留学して通訳になることだ。
 島で生活してる人たちを否定するわけじゃないけど、やっぱり地元は物足りない。
私はもっと広い世界で人たちと交流したいのだ。
悠々と自分の力で未来を切り開いて輝かしい生活をしたい。

 まだ若いって自分でも分かる。
 だからこそ、広い世界で自分の可能性を精一杯伸ばしたいのだ。

(そのために勉学に励んで、お金も貯めてきたというのに……)

 私の野望を打ちくだく宣言が母親からされたのは、おとといのことだった。

(たつみ屋を継がなきゃならないって言われても、諦められないよ!)

 祖母が亡くなった後、父親不在のたつみ屋は母に引き継がれた。
 ただ、元から旅館業に携わっているわけではない母には重荷らしく、実際のところたつみ屋の経営も芳しくない。
 そこで母は私にたつみ屋を引き継がせたいのだと話したのは進路相談のお知らせを持っていった数日前だった。お嬢様育ちでいまいち金勘定が得意じゃない母親にとっては、成績もよく、きっちりしている私は経営者にぴったりなのだと言う。
 しかも早く結婚して夫婦でたつみ屋を切り盛りして欲しいと言う始末だ。

(絶対に……阻止しないと!)

 とはいえ、高校生の私が貯められる額などスズメの涙だし、今の所は何も打つ手がない。
 このまま地元で枯れるまで稼げるかどうか分からない生活を過ごさねばならないのだろうか。
 そう考えるだけでなんだかどっと疲れがでる。

(ううん……! ダメダメ。落ち込んでばかりじゃ……)

 そう自分を奮い立たせてみるものの、いい方法はとんと思いつかなくて……。

「本当に……。もう、どうしよう~~!!」

 二年生も折り返し、同級生たちは本格的に就職や進学の準備を始めている。
 奨学金も考えたが、家の収入的にも借りられるところが絶望的だ。
 しかし、ここで遅れをとるわけにはいかないのだ。
 なんとしてでも、夢を叶える方法を探さなくてはいけない。

「なんとかしないと。しないとなんだけど……!」

 何度目かのため息をついて、周りのカップルの浮ついた空気から逃げるようにあとを離れる。
 おみくじを引いたり、絵馬に願い事を書いたりとなんだかキラキラしてて、人生を謳歌しているようで羨ましいことこの上ない。
 本当! 羨ましい!

(くっそー! 私だって絶対に留学して素敵な彼氏作って、青春を謳歌してやるんだから!)

 ツンとした鼻の下を人差し指でそっと拭った。
 たつみ屋は島の裏手にある。
 私はいきり立ってずんずんと足音を立てながら、江島神社の境内から離れ緑の広場横の小道を通っていく。
 そして進んだ先、奥まった島の端にたつみ屋はひっそりと居を構えているのだ。



「あれ……?」

 異変に気付いたのはちょうど山二つ眺め舞台を超えて、茶店が並ぶ小道を抜けたあたりだった。

「これ……。なんだろ?」

 点々と続く、赤黒い模様。
 朝ここを通った時はこんなものがあっただろうか。
 見慣れなくて首をかしげる。
 何かの雫……、が落ちたようにも見える。
 それは等間隔を空けて、島の奥へと続いている。

「まさか……、血?」

 さあっと背中に冷たいものが走る。 
 穏やかな島なのに喧嘩か何かなのだろうか?
 しかしぼうっとして歩いていたにしろ、何かが起きたような様子は感じなかった。
 もうここに血の主はいないということなのか。

「ど……どうしよう」

 正直トラブルは御免だ。
私は自分のことで精一杯で他人のことを考える余裕などない。
なんとかして留学を認めてもらわなくちゃいけない状況で問題ごとに巻き込まれるなんて……。

(でも……!)

 一瞬気がひけるも、キュッと拳を握る。

「もし大怪我だったら大変だし……。何かあったら、誰か呼べばいいよね?」

 そう呟いて、心を奮い立たせて血のあとを辿る。
 少し小走りに追いかけるとだんだんと血の量が多くなっているのがわかる。
 小道に赤い色が溢れていて、その傷の深さを連想させた。
 明らかにまずいことが起こっていると本能が私に知らせる。
 ひょっとしたら殺人事件なのかもしれない。急に不安が私の心を襲う。
心臓がドキドキとして、痛みが鼓動を通じて頭にまで走った。

(や……やばい。これは私じゃなくて、誰かと……。ううん、警察を呼んだ方がいいのかもしれない……)

 そうして、誰かに声をかけようとしたその時、私は気付いてしまった。

「なんで……、誰も気付いてないの?」
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