空白の夜

 街灯と木々に挟まれた道を十分程歩き、自宅に到着した。
十一階建てマンションの三階、奥から三番目の扉に鍵を差し込んで右に回し、玄関に入る。

「ただいまー」

 返事などあるはずもないのに、習慣でつい口にしてしまった。
 脱いだ靴を整え、自室のクローゼットへ向かう。取手を引いて扉を開け、ハンガーを取り出しコートをかける。
以前なら服も靴もコートも、全て脱ぎ散らかしたままにしていたが、そうもいかなくなってしまった。
 買ったものを冷蔵庫に放った後、ソファで落ちてしまう前にシャワーを済ませて、上下グレー、無地のスウェットに着替える。
 壁掛け時計に目を向けると、既に十二時を回っていた。リモコンでテレビの電源を入れ、先程放り込んだ酒とつまみを取り出して机に並べ、ソファに腰をかける。
 プルタブを開け、冷えたビールを渇いた体に注ぎ込んだ。
 液晶の向こうでは今月の音楽チャートを順に発表していて、一位はさっき店内で流れていた五人組バンドの曲だった。

「そういえば、あいつもこの曲好きだったなあ」

 前に二人でお酒を飲みながら、僕はそのバンドの歌詞が直接的過ぎて好きになれないという話をした。

「直球だからこそ胸に刺さるんじゃーん、この良さがわからないなんて、君はひねくれ者だね」

今思えばもう少し、普段からストレートに伝えるようにすれば良かったと思う。
 所詮は他人なのに、何の努力をせずともそばに居てくれると、当時の僕は思い上がっていた。その結果、今の僕はこうして独りでアルコールに縋っている。

 込み上げてくる後悔で満たされてしまう前に、再び酒を流し込む。
 今座っているこの場所も、机に酒とつまみが広げられていることも、画面の向こうで歌っているバンドでさえ、あの頃とは変わらない。
 彼女はもう僕の傍にいないという事以外は何も変わっていないのに、どうしてここまでこの部屋が殺風景に感じるのだろう。
 納得いく答えなど出るはずもないことを考えながら、つまみに買った生ハムを口に運び、噛み締め、そして飲み込んだ。


「なんか、今日のはちょっとしょっぱいな」


 連日の残業で、少し疲れているだけだろうと思った。
 いつの間にか机に広げた酒は空になり、潰した空き缶と食べかけのつまみが散乱している。だんだんと酔いが回り、体を起こしているのもままならなくなってきた。


「またか、、、」


 空腹に加え、風呂上がりで渇いた体のまま飲み始めたせいで、悪酔いをしたようだ。テレビを消してソファで横になり、頭の中のフィルムを一コマずつ辿ってみる。
 彼女の様子にこれといった変化は見えず、馴染みある二人の日常だけが浮かんできた。
 いつから綻び始めていたのかを何度考えてみても、やはり見当がつかない。
 けれども、予兆はきっと節々に存在していて、自尊心を守る為に見ないふりをしていたのだろう。
 寝ぼけ眼で見た時計は短針が北東、長針は南東を指しており、だんだんと意識が遠のいてきた。
 自己嫌悪と浮遊感の渦に引き摺り込まれ、僕は徐々に瞼を閉じた。
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