三月のバスで待ってる
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2月になると、ピンクや白や茶色、街はバレンタイン特有の甘い色に染まる。バスの窓から見えるショーウィンドウにはかわいらしいデザインのチョコレートが並び、つい甘い香りまで漂ってくるようで、食欲をそそられる。
でも、やっぱりそれを好きな人に渡す自分なんて、どう頑張っても想像できなかった。
それにーー
「今日もありがとう、深月ちゃん」
バスを降りる時、想太のいつもの声に、私も「ありがとうございます」と答える。お礼にお礼を返すのは少し変かもしれないけれど、彼に言われると、そうしたくなるのだ。
想太は毎日、「ありがとう」の言葉を欠かさない。
それは私だけじゃなく、朝から仕事が終わるその時間まで、バスに乗った人全員に向けられる言葉だ。疲れていても、嫌なことがあった次の日でも、いつも笑顔で、感謝の言葉を伝えている。
それは、すごいことだと思う。誰にでもできることじゃない。些細なことでくよくよ悩んでしまう私には、到底無理なことだ。
『べつに告白しなくてもいいんだよ?日頃の感謝の気持ちってことで』
杏奈の言葉に、たしかにそうかもしれない、と思った。
感謝なら、どれだけ伝えても伝えきれないくらいある。いつも助けてもらってばかりで、私は何も返せていないから。
でも、なにか返したい、そう思うたびに、想太の苦しそうな表情が頭を過ぎる。突き放すような『ごめん』という言葉と、あの母親の冷たい視線。
『あなたには関係ない』
そう、はっきり言われてしまった。
想太はきっと、なにか大きな問題を抱えている。私には想像もつかないくらい、大きな。
だけど私はそこに踏み入ることはできない。最初から追い出されているのだから。
たくさんのものをもらったのに、恩返しをしたいのに、何もできない自分が情けなくて、どうしても浮かれた気分にはなれないのだった。