三月のバスで待ってる
あの時のことは、よく覚えている。
小学校の時、お父さんの転勤で引っ越しすることになった。小学校2年生の春休みだった。
仕方ないことだとわかってはいたけれど、私は友達と離れるのが辛くて、お母さんが止めるのも聞かずに家を飛び出した。
でも家を出たところで行くところなんてなくて、街中をあてもなく歩いていた。私は当然のように迷子になり、でも意地を張って帰るもんかと、知らない場所をひたすら歩き続けた。どこかで見たことはあるけれどどこかはわからない大きな通りに出た。横断歩道で信号待ちをしていた時、少し離れた場所に人がいるのに気づいた。その人は、なんだか様子がおかしかった。
制服を着た自分よりずっと年上の男の子。背が高くひょろりとして、鞄もなにも持たずにぼうっとどこかを見つめていた。
私は彼のことが妙に気になって見ていたけれど、彼はまったくこっちに気づいていないみたいだった。彼は赤信号すら見えていなかったのか、ふらりと足を前に出して歩き出した。
私はびっくりして、ほとんど無意識に彼の手を掴んだ。
その時、彼は初めて私の存在に気づいたようだった。
『お兄ちゃん、信号ちゃんと見なきゃだめだよ。赤信号はとまれって学校で習わなかったの?』
私は年上の男の子に怒って言った。背は高いけれど、なんだか弱々しくて、少しも怖いとは思わなかった。それより、なんだかふらふらしているし、心配になった。どこか病気なのかもしれない。元気がないのかもしれない。
『お兄ちゃんにこれあげるよ。元気が出るお守り。わたし、元気がないときにこれ見ると、ちょっとだけ元気でるんだ。いまは元気じゃなかったけど……』
家族で引っ越し前の思い出づくりに出かけたドライブの帰り。道に迷って見つけた丘で、月明かりの下に立っていた、咲く白い花をいっぱいに咲かせた木。舞い落ちてきた花びらを1枚手にとって、透明の樹脂で固めてキーホルダーにした。
いつでも見れるように。
いつまでもとっておけるように。
『なんで、そんな大事なものを、僕にくれるの?』
彼は不思議そうに言った。
『だって、人に優しくしなさいって、先生が言ってたから。元気がない子がいたら助けてあげなさいって』
言いながら、大好きだった先生とも離れてしまうことを思い出して、寂しくなった。
『だから、お兄ちゃん、元気出してね。わたしも新しいところでがんばるから』
私はそんな前向きな気持ちなんて少しもなかったのに、気がつけばそんなことを言っていた。
ーーわたしもがんばるから。
少しも思っていなかったはずなのに、口に出すと、不思議とがんばれそうな気がしてきたのだった。