三月のバスで待ってる

いつものバス停で、バスがゆっくりと停まる。今まで、勇気がなくて言えなかった。

でも、今日は助けてもらったのだから、ちゃんと言わなきゃ。

私は面と向かって言うのが恥ずかしくて、座ったまま、

「ありがとうございます」

とアクリルの窓越しに言った。
想太が振り向いて、優しく微笑む。

「俺はただ、運転手として当たり前のことをしただけだから」

運転しながら後ろで起こっていることに気づいて瞬時に行動に移すなんて、後ろに目でもついていない限りなかなかできないと思う。

それなのに、当たり前のようにそう言ってのける彼を、やっぱりすごいなと思う。

すると、想太がいきなりガバッと頭を下げた。

「怖い思いさせて、ごめん」

「どうして想太さんが謝るんですか?」

びっくりして言うと、想太は顔をあげた。

「俺の仕事はバスを運転すること。お客さんを目的の場所まで届けること。でも、それだけじゃない。このバスに乗ってる間は、お客さんに安心してほしい。できる限り、全力で守りたいと思うんだ。もちろんそんなこと言っても、全部見ることなんてできないんだけど」

と、途端に気が抜けたみたいに、想太がはー、と息をついた。

「でも、偶然警察の人が乗っててくれてよかったー。改めてお礼言わないとな」

「えっ、偶然だったんですか?」

てっきり、私服警察かなにかで乗客に紛れていたのかと思っていた。

「そうだよ。つねに見張っててくれたら助かるけど、そういうわけにもいかないしね」

「じゃあ、どうしてわかったんですか?」

もしかして、本当に後ろに目があったりして……。

「ミラー越しに、深月ちゃんの辛そうな顔が見えたから。気分が悪いのかと思って近づいて声をかけようとして、気づいたんだ」

「そうだったんですか……」

「怖い時は、声を出せないと思う。でも、顔に出せば、誰か気づいてくれるかもしれない。充分、伝わったよ」

怖かった。声が出なかった。
でも、声にならない悲鳴が、ちゃんと伝わっていたんだ。

それだってきっと、人のことをよく見ている彼だから気づけるのだと思うけれど。

想太がふと、そういえば、と思い出したように言った。

「さっき、初めて名前で呼んでくれたね」

思いがけない言葉に、「え!?」と動揺する。名前、呼んだ?いつ?ああそうだ、

『どうして想太さんが謝るんですか?』

ーーって、うわぁ。私、なにを生意気なことを……!

思い出した途端、顔が燃えそうに熱くなる。

「……ほ、ほかのお客さんが、そう呼んでたから」

「うん。ありがとう。名前で呼んでもらうと、距離が縮まった気がして嬉しい」

透明の窓越しに、恥ずかしげもなくそんなことを言って笑う想太。

私はまだ心臓の音が収まらない。

夕暮れの座席は、鮮やかなオレンジ色。窓も、床も、想太も、私も、全部が同じ色に染まっていく。

光の中に溶け込んだようなこの景色を、私は目に焼き付けておきたいと思った。

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