三月のバスで待ってる

「ねえ深月ちゃん。こんな都市伝説知ってる?」

想太は内緒話でもするみたいに、少し声をひそめて言う。

「バスに乗ってずっと同じ道を回ってると、違う世界に行ける時があるって」

「違う世界……?」

私はゴクリと唾を飲む。

一瞬、信じかけてしまったけれど。

「……それ、嘘ですよね?」

「うん、嘘」

と想太は笑いながらあっさり白状した。

「本当だったら俺、何度も別世界に行ってることになるよね」

「……ですよね」

「でもね、その話聞いた時、行けたらいいなって思ったんだ。そんなことが本当にあったら楽しそうだなって」

そう言う彼の目は、どこか懐かしそうに、遠くを見ていた。

「本当かどうかは、深月ちゃんが試してみてよ。これでも読みながら」

そう言って、ぽん、と想太が私の手に何かを置いた。

「……本?」

「そう、暇つぶしグッズその1」

想太が言って、にっこりと微笑む。

その1ということは、その2もあるんだろうか……とどうでもいいことを考えながら、私は渡されたそれに目を落とした。

それは、1冊の古い文庫本だった。深い森と小さな女の子が描かれた、ファンタジーっぽい表紙。

どんな物語なんだろう。読んでみたい、と好奇心が湧き上がる。

でもーー

「ごめんなさい、私、本は読まないんです」

そう言って、返そうとした手を止められる。

「読まなくてもいいから、持ってて。君に渡そうと思って持ってたものだから」

意味深な言葉に、つい押し返すのをやめてしまった。

私に渡そうと思ってた?なんで?

尋ねようとすると、想太が腕時計を見て言う。

「あ、そろそろ時間だ」

そして、急にスイッチが入ったみたいに仕事の顔になった。

「さ、好きな場所に座って」

「は、はい」

押されるがまま、私はいつも座る窓際の席に座った。

ブルル、とエンジンがかかって、シートが小さく揺れる。

本は読まないと言ったけれど……表紙の絵がきれいで、どんな内容なんだろうと気になってしまう。

私は隣のシートに鞄を置き、試しにページをめくってみた。

それは、架空の世界を舞台にしたファンタジー小説だった。

知らない物語。知らない国で繰り広げられる知らない人たちの生活が、そこでは当たり前のように繰り広げられていた。

ーー懐かしい、この感じ。


3回ページをめくる頃には、私はもう別世界に飛び立っていた。




< 50 / 155 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop