三月のバスで待ってる
「ねえ深月ちゃん。こんな都市伝説知ってる?」
想太は内緒話でもするみたいに、少し声をひそめて言う。
「バスに乗ってずっと同じ道を回ってると、違う世界に行ける時があるって」
「違う世界……?」
私はゴクリと唾を飲む。
一瞬、信じかけてしまったけれど。
「……それ、嘘ですよね?」
「うん、嘘」
と想太は笑いながらあっさり白状した。
「本当だったら俺、何度も別世界に行ってることになるよね」
「……ですよね」
「でもね、その話聞いた時、行けたらいいなって思ったんだ。そんなことが本当にあったら楽しそうだなって」
そう言う彼の目は、どこか懐かしそうに、遠くを見ていた。
「本当かどうかは、深月ちゃんが試してみてよ。これでも読みながら」
そう言って、ぽん、と想太が私の手に何かを置いた。
「……本?」
「そう、暇つぶしグッズその1」
想太が言って、にっこりと微笑む。
その1ということは、その2もあるんだろうか……とどうでもいいことを考えながら、私は渡されたそれに目を落とした。
それは、1冊の古い文庫本だった。深い森と小さな女の子が描かれた、ファンタジーっぽい表紙。
どんな物語なんだろう。読んでみたい、と好奇心が湧き上がる。
でもーー
「ごめんなさい、私、本は読まないんです」
そう言って、返そうとした手を止められる。
「読まなくてもいいから、持ってて。君に渡そうと思って持ってたものだから」
意味深な言葉に、つい押し返すのをやめてしまった。
私に渡そうと思ってた?なんで?
尋ねようとすると、想太が腕時計を見て言う。
「あ、そろそろ時間だ」
そして、急にスイッチが入ったみたいに仕事の顔になった。
「さ、好きな場所に座って」
「は、はい」
押されるがまま、私はいつも座る窓際の席に座った。
ブルル、とエンジンがかかって、シートが小さく揺れる。
本は読まないと言ったけれど……表紙の絵がきれいで、どんな内容なんだろうと気になってしまう。
私は隣のシートに鞄を置き、試しにページをめくってみた。
それは、架空の世界を舞台にしたファンタジー小説だった。
知らない物語。知らない国で繰り広げられる知らない人たちの生活が、そこでは当たり前のように繰り広げられていた。
ーー懐かしい、この感じ。
3回ページをめくる頃には、私はもう別世界に飛び立っていた。