初恋エモ
店長の説教がひと段落したところで、時間は22時。
母には友達の家で宿題をやると伝えてはいるものの、もう限界だ。
打ち上げは始まったばかりだけど、帰らなきゃ。
「クノさん……私そろそろ」
時計を指さし、クノさんに合図する。
クノさんと翠さんはまだ残るのかな。どうするんだろう。
葉山さんに先帰ります、と挨拶し、出口へ向かうと。
「え~帰っちゃうの?」「まだライン交換してないよ~!」
と男性陣からのブーイングの声が後ろから聞こえた。
え? 私? と一瞬びっくりしたけれど、もちろん違った。
「おい、帰るぞ」
クノさんは翠さんの腕をつかみ、チャラいバンドマンたちから彼女を引きはがした。
翠さんは戸惑いの表情を浮かべ、腕を振りほどく。
「……先帰ってて」
「何で? 一緒に帰るでしょ、普通」
「トイレ行きたいから」
視線を外したまま、翠さんは低い声でクノさんに言葉をぶつける。
ただ、クノさんの行動や言葉には、翠さんへの確かな愛情が込められてるように思えた。
軽くため息をついたクノさんは、
「外で待ってる。美透、ちゃんと連れて来いよ」と言い、私に視線を向けた。
「え。あ、はいっ!」
クノさんはギターを背負って先にライブハウスを出る。
重要な任務を任された私は、トイレの扉の前で翠さんを待った。
しかし、五分ほど経っても出てこない。
「翠さん……大丈夫ですか?」
コンコン、と扉をノックしたが返事はない。
もしかして具合が悪くなったのかも。酔っぱらっていた感じもしたし。
心配になったため「開けますよ」と伝えて、ドアを開けた。
「うっ、もう、あいつ何なの? 意味わかんないっ」
洗面台の鏡越しに見えたのは、目を真っ赤にして泣いている翠さんの姿だった。
バンドが上手くいくほど、翠さんのメンタルがボロボロになっている気がする。
すきん、と心が痛んだ。