婚約者は霧の怪異
 そこへ「あの~」と銀河先輩がそろりと顔をのぞかせ、両親は“娘の友人”を3時間近くも待たせていた事を思い出したようで、母が「やだ、ごめんなさい!」と慌てて立ち上がって頭を下げる。


「いえ、いいんですよ。私も知ってて今日ここにお邪魔していますから。それに橘さんのお部屋でのんびり本を読んでいましたし退屈なんてこれっぽっちも」

「え……そ、そうなのね」

「ええ! ただまあ、そろそろお暇(いとま)しようかと思いまして。ああ、皆さんはそのままどうぞ」


 銀河先輩はニッコニコ笑顔で部室から持ってきたゲームが入った鞄を肩にかけて「では」と玄関の方へ歩いて行く。

 私が見送りに立とうとしても、「いいからいいから」と止められてしまった。


「ただ……ただですね」


 居間を出ていく間際、先輩は扉を開けて廊下に一歩踏み出したまま明るい声色で言った。


「高村くんも、佐古くんも、橘さんも。今日まで何度も長い間色んな事があって、悩みましたよ。お父様方を悲しませたくないという気持ちで、たくさん考えました。そこで最後にどうしても譲れないラインが、2人が一緒になる事なんです」


 背を向けていた銀河先輩がくるりっとかわいらしく振り返る。


「それも取り上げちゃったらここにいらっしゃる皆さんが、きっともっと苦しいと思うんですよね私は。それで、一番長く苦しむ事になるのは橘さんと佐古くんだと思うんですよ。それでいいんですか? とは思いますけどね。……ふふ、ではでは失礼しまーす」


 そのまま彼女は静かに扉を閉めた。

 居間に沈黙が流れ、母はそっと弘則に「夕飯ウチで食べてく?」とたずねる。弘則が頷き、家に連絡入れておきますねとスマホを取り出した。


「雛芽」


 母が苦笑する。


「彼女は、何者なの?」

「え? ……うちの、部活の先輩だよ」

「…………まあいいわ。ずるい言い方をするわよね」

「ああ……あはは、でも」


 銀河先輩をフォローしようとした時、母は意外な言葉を口にした。


「でもきっと、彼女の言う通りよね」

「……」


 父は黙ったまま、母の顔を見た。「しょうがないじゃない」と言うように母は父の方を見る。


「……そう、だな」


 ぎゅっと組んだ手を強く握りしめた後、父は両手を膝にパン! と音を立てて置き、すくっと立ち上がって言った。


「よし、みんなで飯にしよう!」


 私や祖母達みんながきょとんと父を見上げる。そんな私たちの間抜けな顔をおかしそうに眺めて、父は豪快に笑った。


「娘が良い人を見つけたお祝いだ。ウマいもん食べるぞ」

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