婚約者は霧の怪異
 ゴン、と近くの壁から音がした。

 チラリと三栖斗がそちらを見て、フッと笑う。


「え、何?」

「いや、何でも。そっちの準備室の中にある物が何か落ちたんだろう」


 見てくるよ、と席を立つ私の腕を彼が掴んだ。

 突然の事にどきりとしてしまう。


「いい。君は座っていてくれ。……そうだな、どうしたものか」

「? どうしたのさっきから」


 椅子に座り直した私を、何やら企む視線がとらえる。

 あ、何か悪いこと考えてるな。と思った次の瞬間には、三栖斗の形は空気中に溶けるように消えていき、ひんやりと冷たい空気が準備室の方に流れていったのがわかった。


「え、三栖斗?」


 準備室から複数人の悲鳴と、ガタンという物音が響く。

 混乱しながら準備室の扉を開けると、そこに私以外の部員全員が揃ってクラッカー片手に壁に耳を当てていて、その背後に三栖斗が腕を組んで立っていた。


「おまっ、佐古、いつの間に後ろに!?」

「さすが佐古先輩、何かトリックを使ったんですね……やられました」

「えーっと、羽野川くん? 小城さん?」


 パン! というクラッカーの音がひとつ準備室に響いた。

 口を尖らせながら銀河が天井に向けてクラッカーを鳴らしたのだ。


「せーっかく親公認のカップルになったのをサプライズで祝ってやろうと思ったのにさ」

「だったらなぜ隠れる?」

「え? そりゃあ一番いい雰囲気の時にパパパパーーーンって鳴らしながら邪魔してやりたいじゃん?」


 銀河の頬が三栖斗に引っ張られて横に伸びた。痛い痛いと言いながら笑っている。

 いつ誰がこんなもの準備したんだ。と笑顔で銀河を問い詰める三栖斗をよそに、他の3人がぞろぞろと部室に戻って行くので私もそれに続いた。

 私の前を歩く弘則が「えへへ」とバレたのを気まずそうに後頭部を撫でるようにかきながら、私に笑いかけた。


「もう、弘則まで」

「橘先輩、詳しい話聞かせてくださいよ~。私達篠森先輩から触りを聞いただけで何にもわかってないんですから!」


 小城さんがそわそわしながら自分の席で全員が揃うのを待っていた。

 三栖斗と銀河も小突き合いながら戻ってくる。さあ、喋ったのならうまくバケモノの存在云々を誤魔化すのもちゃんとやってよね。

 銀河に三栖斗が何か耳打ちをした。「あー……」と銀河が目を泳がせた後、静かに自分の指定席に座る。そして机にドンとこぶしを置いて目を見開いた。


「キミ達、僕らはここに部活をしに来ているんだよ! どうでもいい話はその辺にして部活を始めようじゃないか!」

「おい言い出しっぺが何言ってんだ! 口調変わってんぞ! 買収か? 脅しか? くそう汚い真似を!」


 部室内がブーイングと笑い声に包まれる。

 変化した関係の愛しさと、変化しないあたたかさが心に広がるのを感じながら、私は今日も大切な人と――大切なみんなと新しい1日を噛みしめていた。
< 108 / 109 >

この作品をシェア

pagetop