婚約者は霧の怪異
地面に足をつけた少年は目を恐る恐る開けると、一瞬で崖下から上がってきた事に驚いていた。適当にロープで引き上げたんだと誤魔化してみたが、全然納得していないのがわかる。
それに追い打ちをかけるように、下で私が何をやったかなど知る由もない雛芽が「あなたって本当に人間じゃないのね」と呟いた。……ああ、なるべく今はこの少年を刺激したくないのだが仕方ない。
「えっ!? どういう事?」
「君は気にしなくていい。それに雛芽、君ももう私と同じようなものだ」
そう言った次の瞬間、雛芽の体の輪郭がぼんやりと曖昧になる。
雛ちゃん! と少年が悲鳴をあげると、彼女も自分の体がだんだんと形を失っていっている事に気づいたようだった。輪郭が一定までぼやけた後は、少しずつ透明になっていく。
「なっ……なんで……なにこれぇっ」
「君はバケモノとしての自分の姿を持っていないんだろ? だから、自分がバケモノであると自覚して無意識のうちに人間の自分の姿のイメージが曖昧になると、形が保てないんだろう。落ち着いて自分の姿を正確に思い出すんだ。そうすれば戻る」
「落ち着けったってむむむ無理でしょこんなのっ」
完全にパニックになっているのがわかるくらいに狼狽えている。さっきまでの強さはどこへ行ったのやら。
仕方なく隣で同じように狼狽えている少年に声をかけてみる。
「君はできるか? 雛芽の元の姿をハッキリ思い浮かべて、手を握ってやればいい。君と彼女は“繋がっている”から君にもそれができると思うんだが」
「えっ……? えっ!?」
目を泳がせ、しばらく迷っているようだったが、そろりと雛芽の手に自らの手を重ねる。
「雛ちゃん……っ」
碧色の紐が強く輝き、雛芽が形を取り戻していった。
……誰とも繋がった事のない私は、知識ではどうすればいいかをわかっていても、実際にそれを――絆の力を見るのは初めてだった。
「雛芽、表面に出したモノをもう一度内側に戻しておく。強く意識さえしなければさっきのような事は起こらないし、これまでと変わらない生活ができるはずだ」
彼女の額に手をあて、力を込める。彼女の瞳は揺れていた。
「あ……私、その……」
「私との縁は結ばれているからな。もう少し成長すればまた会えるだろう。そういう運命のようなものも私は実際に体験してみたい。その時――……自分が何者なのかを君が知っていたなら教えてもらうとしよう」
額から手を離すと同時に、彼女は気を失った。
「雛ちゃん!」
「帰り道はわかるか? そっちにしばらく進めば道らしい道がある。あとは下っていくだけだ。雛芽を任せる。当分は寝ているだろうから抱えるなり背負うなりして運んでやってくれ」
ぐったりした彼女を少年に預ける。少し雛芽の方が小さいくらいで、体格は大きく変わらないから大変だろうがそのくらいは頑張ってやれ少年。
「あと、今見たものが“引き金”になると面倒だから、思い出しにくいようにもう一度術をかけさせてもらう。とにかく、家族の所へ帰る……それだけを考えて進め」
「え……えっと……? わかりました……」
よいしょ、と雛芽を背負って少年はフラフラと山を下っていく。その背中に向けて、さっき言ったように術をかける。
――……あの少年も、面白い。彼からもう一本紐が伸びていて、雛芽と別の縁を繋ぎたがっていたが、その色が“赤”だった。けれど赤はもう結べない。私と雛芽が結んでしまったから。
「また会おう。そうだな、次も……3人揃っていた方が楽しそうだ」
そう言いながらどっと疲れに襲われる。人間の姿を保っているのが億劫になり、周囲の霧に同化するように私は姿を崩した。
それに追い打ちをかけるように、下で私が何をやったかなど知る由もない雛芽が「あなたって本当に人間じゃないのね」と呟いた。……ああ、なるべく今はこの少年を刺激したくないのだが仕方ない。
「えっ!? どういう事?」
「君は気にしなくていい。それに雛芽、君ももう私と同じようなものだ」
そう言った次の瞬間、雛芽の体の輪郭がぼんやりと曖昧になる。
雛ちゃん! と少年が悲鳴をあげると、彼女も自分の体がだんだんと形を失っていっている事に気づいたようだった。輪郭が一定までぼやけた後は、少しずつ透明になっていく。
「なっ……なんで……なにこれぇっ」
「君はバケモノとしての自分の姿を持っていないんだろ? だから、自分がバケモノであると自覚して無意識のうちに人間の自分の姿のイメージが曖昧になると、形が保てないんだろう。落ち着いて自分の姿を正確に思い出すんだ。そうすれば戻る」
「落ち着けったってむむむ無理でしょこんなのっ」
完全にパニックになっているのがわかるくらいに狼狽えている。さっきまでの強さはどこへ行ったのやら。
仕方なく隣で同じように狼狽えている少年に声をかけてみる。
「君はできるか? 雛芽の元の姿をハッキリ思い浮かべて、手を握ってやればいい。君と彼女は“繋がっている”から君にもそれができると思うんだが」
「えっ……? えっ!?」
目を泳がせ、しばらく迷っているようだったが、そろりと雛芽の手に自らの手を重ねる。
「雛ちゃん……っ」
碧色の紐が強く輝き、雛芽が形を取り戻していった。
……誰とも繋がった事のない私は、知識ではどうすればいいかをわかっていても、実際にそれを――絆の力を見るのは初めてだった。
「雛芽、表面に出したモノをもう一度内側に戻しておく。強く意識さえしなければさっきのような事は起こらないし、これまでと変わらない生活ができるはずだ」
彼女の額に手をあて、力を込める。彼女の瞳は揺れていた。
「あ……私、その……」
「私との縁は結ばれているからな。もう少し成長すればまた会えるだろう。そういう運命のようなものも私は実際に体験してみたい。その時――……自分が何者なのかを君が知っていたなら教えてもらうとしよう」
額から手を離すと同時に、彼女は気を失った。
「雛ちゃん!」
「帰り道はわかるか? そっちにしばらく進めば道らしい道がある。あとは下っていくだけだ。雛芽を任せる。当分は寝ているだろうから抱えるなり背負うなりして運んでやってくれ」
ぐったりした彼女を少年に預ける。少し雛芽の方が小さいくらいで、体格は大きく変わらないから大変だろうがそのくらいは頑張ってやれ少年。
「あと、今見たものが“引き金”になると面倒だから、思い出しにくいようにもう一度術をかけさせてもらう。とにかく、家族の所へ帰る……それだけを考えて進め」
「え……えっと……? わかりました……」
よいしょ、と雛芽を背負って少年はフラフラと山を下っていく。その背中に向けて、さっき言ったように術をかける。
――……あの少年も、面白い。彼からもう一本紐が伸びていて、雛芽と別の縁を繋ぎたがっていたが、その色が“赤”だった。けれど赤はもう結べない。私と雛芽が結んでしまったから。
「また会おう。そうだな、次も……3人揃っていた方が楽しそうだ」
そう言いながらどっと疲れに襲われる。人間の姿を保っているのが億劫になり、周囲の霧に同化するように私は姿を崩した。