婚約者は霧の怪異
 放課後。

 弘則と2人で職員室へ行って、それぞれの担任の判が押された入部届を握りしめて部活棟にやって来た。

 ……が、まだ部室には鍵がかかっていて、中に入ることが出来なかった。

 しばらく雑談をしながら先輩たちが来るのを待っていると、おかしなことに気付く。


「ねえ、さすがに静かすぎない?」


 合唱部や吹奏楽部の練習する音を始め、昨日は賑やかだった部室棟。今日は物音ひとつ聞こえないのだ。


「早く来すぎたかなって思ってたけど……待ってても誰も来ないね」

「うん……」


 弘則が不安を顔に出してキョロキョロしている。

 廊下を進むと、L字型に曲がった先に教室棟への渡り廊下がある。一度そこまで様子を見に行こうと踏み出した時、後ろから「あら」と声がした。


「どうしてここにいるの?」


 銀河先輩がキョトンとした顔でそこに立っていた。それから私たちの顔を交互に見比べて、苦笑する。


「そう、あなた……」


 最終的に私の方を見て先輩は目を細める。


「彼と繋がってるのね」

「彼? ど、どういうことですか……」


 恐る恐るたずねる。

 先輩は、さっき私が行こうとした廊下の先を「ほら」と指差し、困ったように笑う。


「廊下の先が霞んで見えにくいでしょ?霧が出てるのよ」

「ひっ」


 弘則が短い悲鳴をあげる。

 落ち着いてと宥めると、ブレザーの袖をぎゅっと握られた。


「今日はこんな天気だし、別に不思議じゃないでしょ?」

「う、うん……そうかな……そう、かも……?」


 くすくすと銀河先輩が笑う。


「先輩、すみませんが彼は怖い話が苦手なもので、そういうのは程々にしてもらえると」

「あ、そう? ごめんごめん。でも、じゃあ今からどうしましょうね? 事実だから言わせてもらうけど、このままじゃ多分帰れないと思うわ。“あいさつしに来い”って言ってるもの」


 長い沈黙だった。

 何も言わない私たちの返事を待っていたらしい先輩は、どうする? と首をかしげた。


「別にいい奴というわけではないけど、噂通りの奴でもないわよ。多分ね」

「霧男、の事ですか」

「そう。だってさらわれた女子生徒がどうのこうのって、おそらく私があいつの部屋に入って行くのを誰かが見てただけのことでしょうから」


 えっ、と弘則が拍子抜けしたように間抜けな声をあげる。


「じゃ、じゃあ正体はただの人間……ってこと?」

「……」


 先輩は答えない。

 私は手の中の入部届を握りつぶして、わかりました、と弘則の前に出た。


「話がよく見えませんけど、先輩は私たちを誰かと会わせたいんですね」

「勘違いしないでほしいんだけどね、私が会わせたいんじゃなくて、彼が会いたがってるの。私はワガママに付き合ってるだけ」


 くるりと銀河先輩は背中を向けて歩き出す。いつの間にか霧は濃くなっていて、数歩先の先輩がすでに霞んで見えづらい。


「雛ちゃん……」

「私、行ってくるよ。弘則は怖かったらここにいていいんだよ」


 彼はふるふると首を振った。


「俺も行く」

「うん。じゃ、行こう」


 そうして互いに頷いて、先輩の足音を頼りに霧の中を進んでいった。
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