婚約者は霧の怪異
「今度はおかしな細工はしない。安心して飲むといい」


 部屋の真ん中の机には、空のティーカップとティーポット。柑橘系の紅茶のいい香りに部屋は包まれている。


「……あの時って、何をしたの? 変な薬でも混ぜた?」

「異界で売っている、私たちが好む甘味料を砂糖代わりに少し。薬ではない。人間が飲んでも何も起こらないが、君の舌はあれを気に入ったようだ」


 お好みでどうぞ。とすぐ傍の白い容器のフタを開ける。そこには普通の角砂糖にしか見えない白い塊がごろごろ入っていた。……遠慮しておく。


「紅茶派なんだね」

「アールグレイが好きだ。あとはアッサム。ダージリンは嫌いではないが、すすんで選ぶことはあまりない」


 今日の三栖斗は和服だ。私たちで言うルームウェアみたいなもので、そっちの方が制服より落ち着くらしい。

 あんな事があったけど、今度は細工もしないという言葉は嘘じゃないと分かった。少しだけ飲んで、カチャリと机に戻す。


「それで、話というのは」

「……うん。例えばよ。私があんたとの縁を切るために……本当に例えば、弘則と付き合うってそんな気もないのに言い出したとして。多分それだけじゃあなたの“敗け”にならないんでしょ」

「そうだな。そんな嘘で私たちの縁は切れない。まあ、嘘をついた事へのペナルティもないが、縁が切れてないならそれが嘘だという事は私たちには丸わかりだ」

「うん、そうよね」

「君が本当に弘則クンと心を通じ合って、愛し合っているなら。まず私との赤の縁が切れる。それはすなわち、その時点で私の敗けだという事」


 三栖斗は確かめるように自分の左手首を見つめ、ひらひらと動かして見せた。そこにリボンが結ばれてるんだろうけど私には見えないからなぁ……。


「あと、もうひとつ確認。その赤の縁って、私やあなたの心になにか作用するものはある?」

「具体的には?」

「……好感度を上げる、みたいなよ。本人も無自覚のうちに」

「うん? ははあ、また私は疑われているか? 縁は心に作用しない。むしろ逆で、心や運命によって現れるものが縁だ。作用するとすれば、こう……道端でばったり会いやすくなるとか、離れていても運命的な再会を果たすとか。あくまで出来事に関してのみだな」


 だから。机をはさんで向かいに座る三栖斗は紅茶を飲みながらいつもの微笑みで。


「今日は私には面白いものが見えている」

「何?」

「赤の縁がな……言っただろ、糸ではなくリボンのような紐なんだが。昼休みに話をした後に変化があった。なんと言えばいいか、しっかりしてきたというか」

「う、うそだよ!」


 声が裏返る。


「君にとって私は理解できないバケモノだった。けれどそれが少し変わって、今の君は私を少しは理解しようとしてくれている。そっぽを向いていたのが、向き合ってくれている。それだけでな」


 縁に影響があるんだよ、と続けるのかと思ったら、三栖斗は意外な言葉を繋げる。


「嬉しかったよ」
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