婚約者は霧の怪異
 和服に着替えて部室を出る。


「アイツは先にバス停まで行ってるから、私たちも行こう」

「バス? あの、どこへ行くんですか?」


 先輩は鼻歌を歌いながら問いには答えずに先導する。誰も使わない、外への古びた扉を「よいしょっ」と体当たりするように力任せに開けると、そこは雑草だらけのよくある校舎裏だった。

 植え込みとフェンスの向こうには、すぐそこに住宅地がある。

 けれどそこには、本来校舎裏にはないものがあった。


「――……へ?」


 朱色のバスが目の前――フェンスのこちら側に停まっていた。

 乗降口は開いていて、雨に濡れないよう屋根が私たちのいる出入り口までシュルシュルとのびてくる。

 先輩は自分の草履を履くと、さあ乗って乗って! と言ってバスに飛び乗った。


「先輩! だから何なんですか! これ、どこへ行くんですか」

「詳しくは乗ってから話すよ。大丈夫だから」


 バスは先輩以外誰も乗っておらず、運転席には顔が見えないという点以外はごく普通の運転手がハンドルを握っている。

 乗るのをためらっていると、急に体が宙に浮いた。


「きゃあっ!?」

「暴れるな。草履を落とさないように」


 背中と膝裏に腕をまわし私を持ち上げる声の主は、いつもの調子でそう言いながらバスに乗り込む。

 待って待ってこれっていわゆるお姫様抱っこってヤツでは……ッ!


「ばっ! 降ろして! 自分で歩くからーっ!」

「あれ、佐古くんいつの間に追い越してた?」


 バスの一番後ろの席に座った先輩が「おかしいなぁ」と口を尖らせている。

 私をそのまま先輩の隣まで運んでシートに座らせるようにゆっくりと降ろすと、何食わぬ顔で隣に三栖斗は座った。

 プシューッと音を立てて、乗降口が閉まる。


「ほんと……もう、これだから先輩たちって……」


 体勢を直すために座り直し、ため息を吐く。

 発車のアナウンスが車内に響いた。それからバスはそろそろとまっすぐ動き始める。

 目の前は校舎に沿って立てられているフェンスと植え込みがある。そこへ向かって、少しずつ速度を上げていく。


「これ大丈夫なんでしょうねっ」

「心配ないない」


 車内に吊り下げられた黄色い光を発する提灯が揺れる。

 改めて見ると、普通のバスじゃないのがわかる。


「部活棟七不思議、えーっと橘さんにとっては4つ目? 校舎裏に停まる“消えるバス”でーす」

「えっ!? 待って下さいよ! 消えてどこへ行っ……」


 そう私がわめくと、周囲の景色がバッとトンネルに入ったように突然暗闇に変わる。
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