婚約者は霧の怪異
 私が反論しないのを確認すると、縁切りさんはにっこりと微笑んで頷いた。


「お2人の事は……私、良い繋がりだったのではないかと思います」

「そう……なんですかね……」

「はじめは形だけの繋がりだったでしょう。けれど、今はちゃんと心が伴っています。私にはわかるんですよ? ふふふ」

「ま、また縁が……って言うんですか? 私には見えないんでわからないんです」


 そう、いつもそうだ。私のわからないもの、見えないものがみんなには見えてて、それを中心に話す。

 だから、騙されてるんだか何なんだかわからない。


「……あなたにも見えるようになりますよ」

「それってつまり“人間じゃなくなれば”って事ですか?」

「まあ、シンプルに言えば」

「それは嫌なんですっ」


 妖怪側に傾くと、身体が消えてしまう事も話した。


「橘さん、毎日鏡は見てらっしゃいますか? 洗面台で、しっかり鏡の中のご自身と目が合ってますか?」

「え、えっと……多分?でも、鏡は見てます」

「でしたら、その姿があなたです。人間であっても、妖怪であっても、あなたは橘雛芽さんという無二の存在なのです。それさえ忘れなければ、形を見失う事はないはずですわ」


 前にも似たような事を言われた気がする。

 縁切りさんがいつの間にか手のひらに小さな丸いケースを乗せていた。

 私がそれを見ていると


「アイシャドウです。薄付きで目立たないので、ちょっとつけていいですか?」


 と彼女が微笑んだ。

 フタ開けると、その小さな容器の中にピンクベージュのシャドーが入っている。


「目の疲れがひどい時に使ってるんですけれどね、薬が練り込んであってよく見えるようになるんですよ」


 私が、意図を理解して戸惑っていると、彼女は中指にそれをつけながら続ける。


「普通の洗顔で落ちます。落ちるまでは、私に見えているものがあなたにも見えるでしょう」

「……やっぱり、身体が消えないかが怖いです」

「さっき私が言ったことを深呼吸しながら頭の中で繰り返して。大丈夫です。失敗するイメージはあまり考えないで下さい」


 縁切りさんが、中指で私のまぶたに触れようと手を伸ばした。私は、恐る恐る目を閉じる。

 するすると指がまぶたをなぞり、目尻から抜けるように流れる。それを左右同じようにして、縁切りさんの「できましたよ」という声でゆっくりと目を開けた。


「今見えない何かを見るつもりで、自分の手を少し集中して見て下さい」

「は、はい」


 自分の手の甲を目の前に持ってくる。それから、言われたように少し集中。

 ぼんやりとした赤い何かが手から伸びているのがわかり、驚きながらももう少し意識を集中する。

 それはだんだんハッキリと形を作り、艶のある生地のきれいなリボンが手首にしっかりと結ばれているのが見えた。


「な、なんか……普通のリボンですね。サテンとかシルクみたい」

「締め付けや触った感じはないでしょう?」

「はい」


 反対の手を見ると、毛糸みたいなやわらかくふわふわした見た目の緑色っぽい糸が結ばれていた。こっちが、弘則か……。
< 64 / 109 >

この作品をシェア

pagetop