婚約者は霧の怪異
 その日の帰り、いつも通る上り坂の手前で私は弘則と一緒に自転車を降り、手で押して進む。

 弘則は優しい声でぽつりと言った。


「雛ちゃん言わないけど、佐古先輩と修学旅行まわるんでしょ」

「え……う、うん。全部じゃないけど……なんか成り行きで」


 ああ、またこれ多分余計な言い訳してる。


「楽しくなるといいね」

「……楽しめるかな」


 ――あいつと一緒で。

 またどうせこうやって変に捻くれた事を言って自己嫌悪に陥るんだ。

 ふはっ、と弘則は笑った。


「別に佐古先輩との仲を応援するわけじゃないけどさ、“普通”にしてれば楽しいはずだよ」

「普通って」

「俺は姉の事をよくわかってる弟だから? 姉が素直じゃないのもわかってるわけですよ」


 得意げにそう言ってチキチキと音を立てる自転車を押す弘則に、私は否定するのをやめて黙って後ろをついていく。

 確かに私は素直じゃない。ここ最近で嫌というほど自覚してる。


「可愛くない。私」

「可愛くないなんてことは無いよ。ただ、雛ちゃんは強いから。いろんな意味で」

「いろんな意味って何よ!」


 すこしペースを上げて弘則に追いつき、背中を軽く叩いてやると楽しそうに笑った。


「褒めたのにっ」

「含みがあった!」


 ケラケラと笑って弘則は隣を歩く。けれど、ふと表情に悲しさを宿して私を見る。


「ねえ雛ちゃん。それ以外は望まないから、お願いがあるんだ」

「な、何?」


 弘則のお願いはいつもささやかだけど、とても大事なことばかりで、私は無意識に背筋を伸ばす。


「……銀河先輩みたいないなくなり方は、しないで」

「……何言ってんの」


 なんで私が居なくなるのよ。何を心配してるんだか。


「弘則が心配することなんて何もないんだから!」

「でも」

「そうだ、修学旅行! お土産私も個人的に買ってきてあげるから、楽しみに待っててよね」

「……うん。待ってる」


 弘則はそう柔らかく微笑んだ。
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