婚約者は霧の怪異
 その日の夜、夢を見た。

 今日弘則と帰ったあの坂での記憶で、私はまた自転車を押しながら「これは今日の出来事の回想だ」と自覚していた。

 実際と違うのは、そこに三栖斗と銀河もいた。私達の前をのんびり歩いている。


「俺は姉の事をよくわかってる弟だから? 姉が素直じゃないのもわかってるわけですよ」


 弘則が得意げにそう言う。銀河が背を向けたまま「よくできた弟だ」と言った気がした。


「ねえ、あなた達は私が見てる夢なの? それとも私の夢を覗いてる本物なの?」


 前を歩く2人に話しかける。2人はきょとんとした顔で私の方を振り向き「それは君が決める事だよ」とわけのわからない返事をする。

 ……このコントロールできない意味不明な感じは夢だ。


「なにこれ」


 なんで私、こんな夢見てんだろ。

 ええと、まあいいか。なんの話だっけ。もっと素直に楽しめって言われたんじゃなかったっけ。

 私が可愛くないから。


「可愛くない。私」

「どうして?」


 弘則が問いかけてくる。


「素直じゃないから」


 でもきっとこの意地っ張りは、私が人間でいるための最後の命綱なんだ。認めたら、私は今の私じゃなくなってしまう。


「お忘れですか?」


 いつの間にか前を歩いていたのは縁切りさんだった。「あれ?」と思ったけど、そういえば縁切りさんもいたっけ、という気になって来る。意識していないと夢に飲み込まれてしまいそうだ。


「私がなんと申し上げたか、お忘れですか?」


 縁切りさんは後ろ歩きで坂を上りながら、私に微笑みかける。


「……人間でも、妖怪でも、橘雛芽が橘雛芽であることには変わりない……でしたっけ」

「そういうことです」

「……妖怪になった私は、考え方が変わってしまったりはしないんでしょうか」


 縁切りさんとは会話が意味を持って成立する。目の前で喋ってるのが本物の縁切りさんじゃないなら、この回答は誰が出してるんだろう。


「生き方が変わるなら、それに応じて考え方が変わるのは自然なことです。ですから不安に思うことはありませんわ。例えば、大人になって子供が生まれれば大抵の人には大なり小なり心に変化が生まれますもの」


 ……縁切りさんの姿と口を借りて今喋ってるのは、誰なの。

 答えを出すのが怖い。だって、わかってる。ここには――


 それを決めるのは私だけど!


 ここには……この空間には、


 今、私しかいないじゃないか。
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