婚約者は霧の怪異
「ああ……」


 情けない声とともに、涙があふれる。夢の中って、泣けるんだっけ。


「……あああ……!」


 その場に座り込む。

 ガシャンと私の自転車が倒れ……その場にいたならきっと助け起こしてくれるはずの弘則はそこにはいなかった。


 私が、私の感情の内側をべりべりとはがしていく。

 ――内側って?

 ――そこにあるものって、なんなの?

 ――ああ、私は知ってる。


 私が今日までの私を逃がさないように、胸を押さえるけれど……どんなに強く押さえつけてももう、


「もう、だめなんだ」


 “知ってしまった私”は“知らなかった私”には戻れないのだ。


「バカだなあ、私」


 涙を拭うと、手の動きについて行くように視界を――目の前を赤い何かが横切った事に気付いた。

 まだ涙に歪む視界で手元を見ると、赤いひも状のものがあることくらいはわかる。

 瞬きをして涙を落とすと、それははっきりと姿を見せた。


「これがアイツらには見えてたのかあ」


 手をかざし、夕日に透かすようにそのリボンを見上げる。先日、縁切りさんに見せてもらった時と見た目には大した違いがないかもしれないけれど、そこから……視覚から得られる情報以外にも読み取れるものがあるという事は……今の私はちょっと妖怪寄りなのかもしれない。


「卑怯卑怯だと思ってたけど……これも卑怯だよね」


 こんなの、バレバレじゃないか。

 だから「私が勝つ」とか言ってたのかアイツ……ほんっと……。


「……私は可愛くないから」


 少し意地悪をしたくなった。


「まだ少し焦らしてやろう」
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