婚約者は霧の怪異
 それから部屋は、さっきまでの出来事が嘘だったかのようにしんと静まりかえった。

 私を抱き締める力が緩められ、それに合わせるように恐る恐る後ろを振り返ると、弘則の肩を優しく叩く三栖斗がいた。


「やあ、度胸があるじゃないか弘則クン」

「佐古……先輩」


 あんな大きな音がしたのに、部屋の中はなんともなっていなかった。


「もう大丈夫だ」

「もしもーし、入るよー?」


 あっさりと外から扉が開かれ、銀河も中に入って来る。


「いやー、災難だったね2人とも。悪いヤツはみーんなみすとおにいさんがやっつけてくれたからねえ!」

「ふたりとも……どうして……?」

「え? だってあの声超うるさかったじゃん? 旧校舎中に響いてたんだからね?」


 へなへなと力が抜け、その場に膝から崩れてしまう。座り込む前に「おっと」と銀河と三栖斗が私の片腕をそれぞれ支え、立たせてくれた。


「ここは溜めすぎたんだねえ。でももう何もいないから怖がらなくても大丈夫だよ」

「何も……」

「だって俺たち漫画やゲームみたいに都合よく浄化とかできないから。しょうがないしょうがない」


 私がしっかり両足で立っているのだけを確認すると「じゃ、また後でね」と銀河は手を振って部室の方へ歩いて行った。


「あの、三栖斗……助かった。ありがと……」

「ん? 構わない。君たちが無事でよかった」

「佐古先輩……ありがとうございました……」


 うん、と三栖斗は頷き私達の肩をそれぞれポンポンと叩いてから銀河と同じように部室の方へ歩いて行ってしまった。

 私たちは顔を見合わせ、お互いにまだ手が震えているのを見ると苦笑した。


「弘則も、ありがとう」

「ううん。……雛ちゃん」


 弘則は微笑む。


「話って、何だった……?」


 このタイミングで訊いてくるのは、きっと弘則はわかっているから。


「うん。私、弘則にまず謝らなきゃ」

「謝る……?」

「そう。弘則は私の事、人間として生きようって言って頑張ってくれてたのに、私は……」


 突然ぽろりと涙がこぼれた。ああ、こんな風に泣くつもりじゃなかったのに。


「三栖斗と一緒になる事を選んだの」

「……」


 弘則が、私の顎に流れ落ちた涙を指でそっと撫で、「そう」と目を伏せた。


「ごめんね」

「……素直に、なったんでしょ」

「うっ、ん……」

「まだしばらくは一緒にいられるんでしょ?」

「うん……」


 私は何度も頷く。


「将来結婚式やるなら、どこでやるか知らないけど俺も呼んでよね」

「それは、私もわかんない……」


 なにそれ、と弘則が吹き出す。

 つられるように私も笑った。
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