婚約者は霧の怪異
「三栖斗の知り合いの方ですか」


 私が掴んでいた裾が振りほどかれた時には、もう三栖斗が男の前方に立ち塞がっていた。そして男の姿をじっと見据える。


「――……確かに、木を隠すなら森の中とは言いますが」


 三栖斗は、それだけ言うとフッと苦笑するように笑った。


「自ら出てきてしまっては水の泡になってしまうのではないですか?」

「……」


 男は三栖斗を睨み返し、黙る。

 しばらく睨み合いが続き、先に口を開いたのは男の方だった。


「……いや、俺が隠れていても……もうそれすら意味がないんだろう」

「ええ」


 くるりと男が悲しそうな目で私の方を振り返る。


「大きくなったな」

「あの……?」

「雛芽、私がずっと探していた――君のおじい様だ」


 え? と思った時には、その大きな手が私の頭の上にのびて、クシャクシャッと頭を撫でられていた。







「雛芽を見つけたのは偶然だ。制服だったし、修学旅行だというのはすぐにわかった。君が近くに居て、2人がどういう関係になっているのかも理解して……焦った。もう少し……気づくのが遅かったなら、雛芽の中から君の記憶を全て消そうと、思っていた」


 近くの狭い路地に入り、私の祖父だというその人はそう話した。

 私は――祖父の名を知らなかった。父は詳しく祖父の話をしたことはないし、それは名前についてもそうだった。

“小さい頃に父親みたいな人と遊んでいたのはなんとなく覚えているけど、名前も姿も忘れてしまったし居なくなった父親の事は別に母親に訊こうとも思わない”と言っていた。父の中で祖父は、祖母と父を置いて家を出て行った最低な奴で、それ以外の何者でもない興味がない。といった存在のようだった。

 祖父は、三栖斗達と同じように名前を持っていなかった。祖母からは“シロガネ”と呼ばれていたという。

 人間の記憶を食べる妖怪なのだそうだ。いい思い出、嫌な思い出、それぞれの味を楽しみ食らうのだという。


「そんな事をしても、縁そのものは繋がれたままだと思うのですが」

「わかっているよ……でも、またチャンスが生まれるだろうと思った。少なくとも、今よりは」

「シロガネさん……それは……」


 私がシロガネさんと呼ぶと、彼は「こんな駄目な爺だが、孫からそう呼ばれるのは少し……」と言うので「えっと、それじゃあ……おじいちゃん?」と呼んでみると「ありがとう」と微笑んだ。


「……それは、三栖斗の事を全部忘れさせられるのは……私、嫌です」

「……大丈夫。もう、するつもりもないし、彼がそれを許さないさ」

「そうですね」


 おじいちゃん……と私が呼ぶと、俯いていた祖父は少し顔を上げた。
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