彼女は実は男で溺愛で
並んで立っている染谷さんの手の甲が、私の手に触れる。
微かに触れた片手に、全神経が集中したみたいに熱を帯びる。
「あの、さ。俺」
言い淀む彼がなにかを伝えようとして、口を噤む。
私が帰らなければ、彼は会社に戻れないのに「もう電車に乗りますね」の一言が言えない。
「明日、お仕事終わられたら」
「うん」
「一緒に夕食を」
「え」
「あ、あの。迷惑ならいいんです。お忙しそうですし」
慌てて訂正して、見上げた先の彼は口元を片手で覆い、目を瞬かせている。
彼の耳は見る見るうちに赤くなり、上擦った声を漏らす。
「いや、嬉しい。史ちゃんからの誘いは初めてだね。意地でも定時に間に合わせる」
誘ったのは、私のただの我儘なのに。
私の一言で大人の男性である染谷さんを、ここまで動じさせている事実に驚きを隠せない。
悠里さんの秘密を、私だけが知っていたわけではなかった。
その事実を知って寂しく思い、その気持ちを上手く消化できなくて。
「あの、無理されないでくださいね」
「分かっているよ。長く引き止めて悪かった。気をつけてね」
染谷さんに促され、階段を降りる。
振り向くと、染谷さんは私に向かって軽く手を上げた。
恥ずかしくなって、駆けるように改札を抜けホームへと急いだ。