負け犬の傷に、キス


とろとろになったお肉ごと3回かき回した。


これでよしっと。

ちゃんと愛情も入れた。


鍋にふたをして、エプロンを外した。




「じゃあわたし部屋にいるね」




ソファーで読書を始めた宵は空返事をして本にふける。




「……ごめんね、宵」




口からぽろっとこぼれた。

何の反応もない小さな弟の姿に頬をゆるめる。



静かに自分の部屋へ移動した。




2階にある自室は思ったより暗くなかった。

空に残る茜色が淡く照らしてる。



ちょうど午後6時半を過ぎた。



電気も点けずに部屋着を脱ぐ。

着替える服は決めていた。




「つい最近のことなのに久々に感じるな……」




鏡に映る自分がひどくなつかしい。


鎖骨の部分の透けたトップス、フリンジつきのデニムショートパンツ、メンズ物の大きめチェックシャツ。



3日前に古着屋さんで買った洋服たち。

わたしの知らないわたし。



愛用の柔軟剤のジャスミンの香りが、この古着からするのがなんだか変な感じ。




右と左に固く結んだゴムをほどく。

ゆるくクセのついた長い髪。


最後に唇を赤く色づけ。



あのときの“新しい自分”に近づいた。




「……あぁ、なんだ」




胸を撫でおろした。


そっか……そうだったんだ。

魔法は自分でもかけられるんだね。


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