ティアドロップ(短編)
「ん?でも…」


西園寺さんが怪訝な顔をするので、彼氏とのことを説明した。


彼はデートを重ねても私に全く触れこなかったこと。彼が私を好きなのか不安になってキスしたいとお願いしたら、ホテルに行くことになったこと。

部屋に入ったとたんに彼は人が変わったように私をベッドに押さえつけてきて、すっかり怖くなってしまったこと。そういう態度が彼を怒らせたこと。



「…そうか、

全部忘れとけ。俺が上書きしてやるから」


その後何度かキスを重ねて、いつの間にか西園寺さんに口の中を食べられていた。これまで知らなかった浮遊感に、怖くなって西園寺さんの二の腕に掴まる。


「っ…」


私が苦しくなると分かるらしく、「息止めなくていいのに」と笑って唇を離す。そしてまた唇を塞がれる。呼吸を止めてるつもりはないけれど、気づけば忘れてしまうのだ。注がれる熱だけを追いかけて、それ以外は何もわからなくなる。


「ヤバい、参ったな…」


「…ぁ…好きです…」


本当は私に興味なんか無いのに、こんなに優しくしてくれる。

西園寺さんに言われた通り「すみません」の代わりに「好き」と言う。その度に、落ちてはいけない場所に堕ちていく気がする。


それなのに、もう自分でも止め方がわからない。肌に直接触れられた時も少しも嫌じゃなかった。


「あんまり見っ…」


「それは無理、悪いな」


本能を暴かれるような指先に、髪から足先まで受け止めきれないほどの切なさが募る。跳ねた爪先でシーツを引っ掻いて、不自然に力が入るのが恥ずかしくて思わず顔を背けた。


「平気?」


「全然、平気じゃないですっ…こんなっ

ぁっ…、……!」


「息止めるなよ、声に逃がした方が苦しくないから」


言ってることは優しいのに、彼の触れ方はどこまでも私を追い詰める。けれど、その意地悪さすら


「好き……っ、ぁ…

好きですっ」



本当は私には手の届かない人で、明日にはアメリカに言ってしまう。好きと言うのは「すみません」の代わり。ただの西園寺さんへの謝罪だ。決して好きになったらいけない。



「時乃、好きだ。今更こんな気持ちにさせるな馬鹿。」


「私はっ…。ちゃんと『普通』ですか?大丈夫ですか?」


不意に言われた事が気になった。元彼が言うように私が普通にできてないなら、西園寺さんをもっと困らせることになる。


「この期に及んでまだ前の男を気にしてるのか?

言うな、おかしくなりそうだから」


ずっと一杯一杯で分からなかったけど、薄暗い中でも西園寺さんの目が射るように光ってる。もし視線に触れることができたら、熱くて溶けてしまうだろう。




「もう、俺だけで十分だろ?」



体を重ねたときには、痛いとか初めてだとか思う余裕も無くなってた。体の中が熱くて、西園寺さんの視線に目を奪われて、それ以外のことは何も考えられない。



好きになったらいけないのに。恋人ごっこには終わりがあるのに。


「…好き…」


西園寺さんは、優しくて、優しくて、優しくて、やっぱりとても意地悪な人だ。新しい世界に旅立ってしまうのに、私を新たな奈落につき落とす。


腕の中でいつまでも眠っていたかったけど、始発の時間に合わせて部屋を抜け出すことにした。出国の日まで西園寺さんを困らせたくはない。


この部屋の代金は想像もつかなかったから、メッセージカードの側に一万円札を挟んでおいた。
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