ティアドロップ(短編)
ドラマチックなことは、私の人生にそう起こることじゃない。現に西園寺さんと再会してから一週間たった今日も、何事もない日常が続いてる。

平穏で幸せな、それでいて息苦しくて死にたくなるような日々。




夜中の11時に食器を洗いながら、あかぎれのできた両手を眺める。幸久さんの好みに合う肉料理は私には重たいし、食事の片付けも手間がかかる。



夫の幸久さんはシブヤ健康フーズという食品会社の、三代目となる社長をしている。

シブヤ健康フーズは、かつて実家で営んでいた和菓子屋のお得意様だった。初代の社長さんが百田屋を贔屓にしてくれて、シブヤ健康フーズの創業記念日には毎年趣向をこらした特製のお饅頭を納品していた。

子供の頃、父と一緒にお饅頭を持っていくと、社長さんはいつも笑顔でお饅頭を誉めてくれたのを覚えている。社長としては型破りなほど気さくな方だと分かったのはずっと後のことだ。


現社長の幸久さんが、おじいさんのように出入りの業者と話すところは見たことがない。きっと幸久さんのような経営者がスタンダードなのだと思う。



ちなみに、社長の妻だと言うと豪華な暮らしを想像されるけれど、どちらかというと堅実な暮らしぶりだと思う。夫婦のお財布は別々で、私は幸久さんの収入を知らない。生活費はお互いに共通の口座に振り込むことにしているので、私が家計として知ってるのはその口座だけだ。



「親戚には、君が財産目当てで結婚したと思ってる人もいるからさ」


結婚当初にそう言われて以来、お金のことは聞きづらい話題になっている。


幸久さんが私と結婚するときに決めた条件は3つ。

務めている会社を辞めること。幸久さんの仕事に口を出さないこと。そして、家事は私の役割とすること。


彼が私にしてくれたことを思うと、この程度の条件 に反論の余地もない。失意と罪の意識で父母が店をたたんだ時、本来なら補償で莫大な借金を背負うところを幸久さんがすべて穏便に収めてくれたのだ。

< 3 / 18 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop